世の中は赤と黄、深い色合いに染まり始めるころ。朝を迎えた人々の喧騒は変わり映えもしない。だが季節柄か少し肌寒さを感じる風を受け、街を行き交う人々は肩を小さく震わせていた。
人々の往来激しい街中で、二十四時間稼動を続ける場所というのも決して珍しいものではない。
そういった施設の内でとある事務所も、世界から分け隔てされることなく朝を迎えていた。
この事務所には麻薬取締官たちが多く所属している。薬物関連の監視や捜査を行う職員のみが占める場所だ。続々と人が集まり、そして外へと出ていく。
そんな出入りの激しい場所の片隅で、小さくひとつあくびをする青年の姿があった。
それは昨晩――それもかなりの深い時間だった――に仕事をこなし犯人を摘発した竈門、その人だ。昨日の今日はでは、やはり疲れが抜けないのだろう彼の様子はどこか気怠げだった。
次の捜査がまた始まる。その当たり前の光景は、この場にいる全ての者にとって例外なくいつも通りのものであり、必要な緊張は少しばかり空気を震わせるがそれだけだ。
時間の区切り目を告げるチャイムが鳴る。それと同時に事務所の中へ、一人の人物が滑り込んできた。目立つ金髪が視線を集める。寄れたスーツと歪んだネクタイが、彼の行動がギリギリでのものだったことをうかがわせていた。
昨日、竈門と組んで仕事を終えた我妻、その人の姿に周りは取り立てて反応も示さない。これが彼の日常らしい、そのことに竈門の表情が曇る。
どうしてこんなギリギリのタイミングで平然と姿を現し、当然の如くこの場に存在できるのか、竈門には全くもって理解が及ばない。
そんな竈門の苛立ちをよそに、事務所に流れるのは日常の時間だ。
「我妻さん」
声をかけずにはいられなかった。呼び掛けられた我妻は、驚きの表情を竈門の方へと向けてから、うんざりした様子で大きなため息を吐く。
「どうしていつもこんなギリギリなんですか……!」
はっきりと苛立ちと見せながら竈門は丁寧な、しかし荒さも感じる言葉をぶつけた。
「大丈夫だって、遅刻したわけじゃないんだし」
悪びれる様子なくあっけらかんと笑う我妻が、竈門の苛立ちをさらに募らせる。真剣さをかけらも感じさせない姿が、この上なく腹立たしかった。
「そういう話じゃないでしょう⁉︎ そもそも俺と我妻さんの条件は同じはずです。個人差はもちろんあるとは思いますし理解できますけど、これはさすがに度を超えていますよ!」
怒り続ける竈門に、我妻は見るからに面倒だと言わんばかりの様子で、耳を塞ぎながら目を瞑る。そんな様子は重ねて竈門の怒りを煽り、止まる気配もない。
「人の話はちゃんと聞いてください!」
「あ〜はいはい」
「適当な返事をしないでいただきたい!」
「もぅ、うるさいなぁ……」
がみがみと説教を繰り返す竈門に、耳を塞いだままの我妻。昨晩、息の合った確保劇を繰り広げた二人とは、にわかには信じがたい有様だった。
「おい、お前ら」
ぶっきらぼうな声が我妻と竈門に向けられる。二人の顔がほぼ同時に声の主の方へと向き、同時にその人物へと視線が集まった。
「こっち来い」
手招いている声の主は肩口まで伸びた灰色の髪を揺らし、がたいの良い身体を持つ。その人物は仁王立ちでどっしりと構え、赤みの強く帯びた瞳には怒気を含ませながら、急いでこちらへ来いと言葉以上に強く要望を訴えかけていた。
竈門も我妻も慌てて、手招きされる方へと向かう。そして声の主の立つ先にある部屋へと二人はもちろん、呼びつけた当人も全員が入っていった。
すると部屋の奥にはもう一人、黒髪の冷ややかな表情を浮かべた男性が立っている。
「冨岡さん」
竈門に冨岡と呼ばれた黒髪の男性は、一つ頷いて見せるが口は開かない。
「我妻、お前また調子こいてんのか」
「違いますって宇髄さん」
たった一言発しただけで遺憾無く尊大さを発揮し、我妻に宇髄と呼ばれたのが先程二人に対して手招きをしていた人物だ。
我妻と竈門を呼び立てたのは、宇髄と冨岡の二人であり彼らはこの上なく真剣な面持ちを浮かべている。彼らの重苦しさすら感じる様子からは想像もつかないが、宇髄にあてがわれているこの部屋の内装は空気を読まないほど煌びやかだ。しかし煩すぎず落ち着いた様子も同時に感じさせて、なんとも評し難い雰囲気を帯びていた。
「お前らを呼んだのは他でもない、次の仕事についてだ」
再び口を開いたのは宇髄だ。
「宇髄さん、またこいつと組むんですか?」
上司である宇髄に対し、我妻は最低限の敬語こそ使いつつも、その声も表情もありありと不服を表している。だが、なんとかその感情を押しとどめて、言葉を口にしていた。
「当たり前だろ。お前ら二人を一緒に呼ぶ理由なんてそれしかねぇだろうよ」
我妻の言葉を受けた宇髄は、荒々しい口調で答える。その言葉は我妻はもちろん、竈門をも愕然とさせるものだった。
「……落ち込んでいる場合ではない」
ぼそりと呟いたのは冨岡だ。竈門は冨岡の声に、姿勢をぴんとただして視線をぐいと上に持ち上げる。二人の関係性が窺い知れるというものだ。
しかし我妻の方は視線を床に落としたまま、だらりとした姿勢には微塵もやる気は感じられない。その様子に宇髄は手を前に突き出したかと思うと、我妻の額をばちんと弾いた。
「いたっ!」
「自業自得だ、お前」
「そう言われても!」
「口ごたえすんなっての!」
「だから、痛いって!」
再び額を弾く鈍い音とともに我妻と宇髄の激しく、それでいて軽快なやり取りが室内に響く。
「二人とも、いい加減にしろ」
冨岡の静かな声が、我妻と宇髄の会話をぴしゃりと止めた。一転して静寂が部屋の中を包む。冷えた空気は我妻と宇髄の熱くなった勢いを落ち着かせていった。
「すみませんでした」
「悪かったな、冨岡」
「二人とも、わかってくれたならいい」
なんとか落ち着きを見せた二人の言い争いの顛末を見守っていた竈門が口を開く。
「それで今回はどういった捜査をするんでしょうか?」
その問いは最もなもので、このままでは一向に話が進まない。それでは仕事にならないのだ。
この現状を危惧した竈門の言葉で、やっと我妻と竈門をこの宇髄の部屋へ呼び込む至った理由へと話が及ぶことになる。
「おお、それだ。二人にはまた潜入操作を頼みたい」
宇髄がそう切り出した。その言葉に応じて冨岡が我妻と竈門両名に資料を手渡す。資料といっても薄っぺらな紙一枚のみ、簡潔というよりも淡白という方が正しいだろう資料には、潜入先と目的、その要項が形式張った状態で並べ連ねられていた。
「その紙にもある通り潜入先は店。っていうかバーだな。ここでブツの受け渡しが行われているっていう垂れ込みが入ったって訳だ」
宇髄の言葉に反応を示すわけでもなく、我妻も竈門も目の前の紙をじっと見つめる。二人はしばらく口を開かなかったが、ついにその無言の間を切り裂いたのは我妻の言葉だった。
「ところで昨日の俺らの仕事に対して、ねぎらいの言葉とかは特にないんですかね?」
その言葉は申し分なく不服の色を帯びていて、表情もまた同様に口まで尖らせて主張している。
「あ?」
「あ? じゃないんですよ、このポンコツ上司」
やっと落ち着いたはずの宇髄と我妻の舌戦の火蓋が再び切って落とされてしまった。
「ポンコツとはいってくれるじゃねぇか」
「ポンコツにポンコツって言って何が悪いんです?」
「我妻、お前はどうあってもこの俺に楯突きたいらしいな?」
二人はすっかり目が据わり、周りのことが目に入らなくなっている様子だ。冨岡も竈門も、この様子には閉口するばかりだった。
何故なら、こういった言い争いは合同捜査の打ち合わせの度に勃発していて、飽きもせずに毎度毎度このような有様なのだ。
こればかりは慣れだ、冨岡も竈門も幾度かの仲裁の努力を経てある程度まではそう割り切るようになっていた。今日もまた、それは変わらない。
呆然と、この舌戦が早く終わりを迎えることだけを祈りながら見守ることしか、冨岡にも竈門にも出来なかった。
まだ確認しなければならないこともある。ここはただ忍耐あるのみ、だった。
はぁ、と竈門の口からあからさまに大きなため息が溢れる。心底からのため息だったが、それも件の二人には届いていない。激しい舌戦はさらにヒートアップしていて、尚のこと周りのことなど見えていそうになかった。
ギャアギャアと騒ぎ立てる二人の言葉は、低俗な罵詈雑言と表現するのが一番ふさわしい。それに割って入れる隙などなく、口を挟む気も起きないような現状は、あまりにもはっきりと冨岡と竈門を愕然とさせる。
「二人とも!」
愕然とした感情を振り払い、竈門が大声を張った。すると宇髄と我妻の声がぴたりと止む。大声を出した竈門は肩を激しく上下させ、声を出してそのままのぽっかりと空いた口は不気味さすら感じさせた。
「いい加減にしてください! いつもそうやって話の腰を折って! これは仕事ですよ? 社会人として責任を持って行動してください」
あまりにも勢いよく吐き出された言葉に、宇髄と我妻そして冨岡さえも口を開くことすらできない。
「聞いてます⁉︎」
とんでもない剣幕で詰め寄ってくる竈門に、宇髄も我妻も「はい」と皇帝の言葉を口にすることしかできなかった。
「……すみません、話の続きをお願いできますか?」
ほんの少し落ち着きを取り戻した竈門の言葉に対して、宇髄は頷きながら再び口を開く。
「……悪かったな。店についての詳細だが」
口にされた潜入先について、我妻も竈門も唖然とするばかりだ。それもそのはずで、その店はバーではあるが女装バーだったのだ。想像を超えた状況に唖然とせずにはいられない、というわけだった。
「分かったか?」
宇髄の確認にも我妻と竈門からの反応は返ってこない。というよりも、絶句してしまっていて反応を返すことが出来ないという状況が正確なところだった。
「おい」
もう一度声をかけられて初めて、竈門が弾かれたように姿勢を正して口を開く。
「すみません、聞いてます!」
「聞いてます……けど……」
きちんと聞いていると、我妻もまた主張するが、二人してそのことのみの言及にとどまった。驚きの表情を浮かべているところから、内容についてを口にするまで理解が及んでいないことは察するにあまりある。
まさか女装バーに潜入するとは想像もしていなかった。全くだ。だからこそ、受け止めるまでには時間もかかるというわけだった。
「……お前ら、分かってんのか。これ、仕事だからな」
「飲み込んでほしい」
「それ、いまいち伝わりにくいだろ……」
宇髄は冨岡の守護のない言葉に呆れつつも、我妻と竈門の方へと視線を向ける。
驚きと呆然とした様子を見せながら、二人は重たく緩慢な動作で頷いた。
「……わかり、ました」
口を開いたのは竈門だ。渋々とした様子ではあるが、それでも肯定の言葉を口にする。
だが彼とは反対に、渋々を越えて不服さを全身で表しているのは我妻だ。
「でも……でもさ、他にも潜入捜査出来る人はたくさんいるわけでしょ? なら俺たちじゃなくても……」
そう言って食い下がる。しかし宇髄は取り合う気配の一つも見せはしない。
「昨日の晩まで別の潜入捜査してたのに、流石にこれは人使いが荒いんじゃないんです?」
さらに言い連ねる我妻だが、宇髄はやはり様子を変えなかった。
「これはもう、お前らで決まりの案件だ。よほどのことでもあれば別だが、今のところそういうこともないからな。覆らねぇよ」
はっきりと告げられる決定事項。それは取り付く島のないことの証明であり、決められたことに従い仕事をこなさければならないということだ。突きつけられる現実に、我妻はがっくりと項垂れ、彼の講義を少なからず期待の感情を持って見守っていた竈門もまた肩を落とす。
「上のお達しだ、悪く思うなよ」
この言葉がとどめだった。我妻もそして竈門も、意気消沈といった様子で、これ以上は口を開こうともしない。これだけ無駄だと思い知れば、言葉も出ないというものだ。
きっと女装することになるのだろう。そんな絶望にも近い実感を胸に抱きながら、我妻も竈門も向かい側に立つ宇髄と冨岡を見つめた。
見つめられた二人は、向かい側を見つめ返しながらも口を聞かない。結局のところ、納得するより他ない我妻と竈門が絶望と共に仕事にかかるよりなかった。
「必要があればまた連絡する」
冨岡の言葉とともに、この場はお開きの空気となる。我妻と竈門はもう、この部屋を立ち去ることしか出来ない。
「失礼しました」
「失礼しましたぁ」
宇髄たちを残して二人は部屋を出た。扉を閉じた次の瞬間に、彼らは同時に肩を落とす。理解したくない潜入についてと、昨日の今日でまた次の潜入操作を告げられ任じられたことへの圧倒的な絶望を何度でも抱いてしまうし、そうせずにはいられない。
しかしこれも仕事だ。がっくりとしながらも二人は準備をするべく移動をはじめる。これもいつものことであり、我妻にとっても竈門にとっても、慣れたものではあった。状況に慣れていても、感情が追いついてくるかというと、それはまた別なのだが。
彼らは組んで捜査をするとき、決まって情報を共に収集する。それは以前二人別々で情報を得て共有しようと試みたときに、その過程で大喧嘩をしてしまい無駄に手間がかかってしまったという出来事があったからだ。
あまりにも非効率で不毛な状況であったため、さすがにそれは問題だということで彼らは、その回避のために一緒に情報を集めることにしているというわけだった。
もうひとつ、情報を集めるときに決めていることがある。それは我妻が竈門の指示通りに端末を捜査することだ。
これは竈門は真面目かつ丁寧に仕事をするタイプだが、機械には強くないということが主な理由である。ずぼらなところが目立つ我妻だが、機械にはめっぽう強く役割を分担するには最適と言えた。
検索用の端末のところへ移動すると、我妻がすぐに端末のうちのひとつの前にどっかりと腰を下ろす。竈門は椅子をひとつ借りてきて、我妻の隣へ置くと同じく腰を下ろした。
「は〜、めんどくさ」
我妻が大きなため息と共に、面倒くさそうに言葉を吐き捨てる。
「面倒がっても仕方がないでしょう?」
真面目な竈門の返しに、我妻は露骨に大きなため息を吐いた。
「分かってるって。けど女装バーだぜ? ため息のひとつくらい吐いたってバチは当たらないだろ」
「そういう問題じゃないです」
四角四面とも言える竈門の返答に、我妻は再び大きなため息をこぼす。うんざりと言わんばかりの表情は、疲れすら感じさせた。
「今回の行先にあまり乗り気に慣れないのは分かります。けど、仕事である以上どうしようもないじゃないですか。これは仕事です、公務です」
「いや、まぁ、それは分かってるんだよ……俺たち、公務員……だもんなぁ……」
我妻のみならず竈門も、語気はすっかり失せてしまっている。仕方がないことだ、やらなければならない。そう二人は自身のことを奮い立たせて端末の方へと向いた。
二人は先に渡された手元の資料から、対象の詳細情報を調べ始める。この端末で捜査する者たちは必要な情報を入手し、それぞれに与えられた捜査に臨むのだ。現場に行くにあたり、わからないことを少しでも減らしておく、当然のことだった。
「それです」
「はいよ」
竈門の指示に合わせて、我妻が手早く端末を操作して記録されている必要な情報を取り出し、そして確認していく。
店の名前は「浪漫」。夢を見る場所の意でつけられたものなのだという。薬の受け渡しの垂れ込みは複数件、しかし同一人物からもたらされていた。だがその情報提供者は今までも多くの有力な情報をもたらしていたことにより、彼らの潜入が行われるに至る。取引の詳細については想定も含めて不明。だが外部のものが店を温床にしている確率が二人の情報を確認した心象としては高そうだ、と考えられた。
店そのものはよくあるバーで、女装をして客商売をする者と、バーテンダーとして働く者によって成り立っている。店は繁盛しており、人の出入りもなかなかに激しいらしかった。
「こんなもんかな」
「ありがとうございます」
「大した情報はなかったなぁ」
二人は言葉を交わして、お互いに顔を見合わせると、深いため息を吐く。期待していたよりも得ることの叶わなかった貧相さすら感じる情報たちを思うと、愕然とせずにはいられなかった。
それでも手に入れた情報だけは逃すまいと、しっかりと頭に叩き込む。仕事に欠かすことの出来ないものであることは確かだった。
二人が一通り情報を頭に入れた瞬間。竈門の電子端末から着信を告げる音が鳴った。大慌てで竈門は端末を取り出すと、着信に応じる。
「はい、竈門です」
応えた竈門の耳に端末を通して届いたのは冨岡の声だった。
「何かありましたか、冨岡さん」
問いかける竈門に、電話口の冨岡が応える。どうやら冨岡曰く、潜入の日程が翌日の晩からであるということと、その間での生活についてだった。その淡白な言葉とともに即電話は切られる。
「え……っと……」
突然の宣言に竈門は言葉を失ってしまった。その様子に困惑したのは我妻だ。
「捜査の連絡?」
問いかけても竈門は我妻の言葉に応えない。
「なぁ!」
我妻はもう一度、声をあげる。やっと視線を合わせた竈門が、やっと口を開いた。
「潜入、明日の晩から開始だそうです……」
「は⁉︎ 早すぎだろ!」
告げらられたあまりにもタイトな日程は、驚きという言葉だけでは片付かないほどにハードで辟易としてしまう。
「あと、潜入している間には部屋がそれぞれ用意されるとのことでした」
「確かにここの店に、俺の家からは遠くて不便だから部屋借りれる方がいいわ」
「俺も、それは助かります」
部屋については納得をみたが、それでもこの理不尽な潜入捜査に不服の気持ちは尽きない。
「……ま、頑張りますか」
「そうですね、頑張りましょう」
結局のところ、不服さをいくら口にしても仕方がないものだ。それならば、結末を無事迎えるために尽力することが得策というものだった。
翌日からの捜査に備えての諸々を終え、二人は早めに事務所を後にする。昼夜逆転の生活は慣れたものとはいえど昨晩の大捕物を乗り越えたばかりの彼らは、疲労困憊だった。
自然と二人の口から溢れるのは大きなため息だ。
肩を並べる二人の前に広がるのは、コンクリートジャングルと称するにふさわしい立ち並ぶビル群。そしての間からちらりと見える紅葉の気配だった。
「部屋が用意されるなんて、今回の潜入は長期化するかも知れませんね」
そう口にしたのは竈門だ。彼の言葉に我妻はうーんと唸って腕を組む。
「今回は本当に読めないんだよなぁ」
少し考える様子を見せてから、悶々としたままに言葉を絞り出した。我妻のことをじっと見つめて竈門もまた小さく唸る。今回の潜入のために与えられた情報の少なさと、急さについては思うところがあったからだ。
読めない、という我妻の言葉はもっともで竈門としても異論のない状況であろうと言えた。
「早めにかたをつけられるといいんですけどね……」
「うん……あ、そうだ」
唐突は我妻の声色の変化に、竈門は首を傾げながら次の言葉を待つ。
「部屋、別々にもらえるらしいけどシェアでもしてみる?」
当然ながら冗談だ。文字通りの軽口。だが、それは竈門からすると予想の遥か向こうからやってきた、考えも及ばないような言葉だった。
「は……え……?」
間の抜けた声に我妻は吹き出さずにはいられない。人の決して多くない道に我妻の笑い声だけが響いた。
「何、言ってるんです?」
更なる竈門の言葉に、我妻の笑い声が加速する。
「いいじゃん、その方が便利だろ?」
必死に笑いを噛み殺しながら我妻はさらに悪ふざけを続けるが、竈門にしてみればたまったものではない。
「冗談でもやめてください!」
竈門の張り上げた声が、我妻の笑い声を上回る。
「ごめんって。でもお前、初めてあった時はさぁ!」
我妻はまだ笑いを含んだままの声で、かつての竈門についてを口にし始めた。初対面の頃から真面目で、しかし今よりも初々しさのある竈門のことを。竈門はその言葉をむくれた様子で聞いているが、我妻の口は止まらない。
話は初対面の頃から、初めて組んで仕事をしてすぐくらいの頃のものへと移っていく。やはり初々しく、そして右も左もわからない頃の彼の話をつらつらと並べ立てて、我妻のよく回る口は止まる気配がない。
次から次へと、どこか楽しげに思い出話を語る様子は竈門からしてみれば、恥ずかしさと口惜しさしかないものだ。
竈門が不服を前面に押し出した表情で口を尖らせている。そんな彼の姿に我妻の様子をも楽しげなものから、そうではないものへと変わっていった。相槌の一つもないのだから、楽しい会話とはお世辞にも言い難い。
そのうち、途端に二人の間が持たなくなっていく。ただただ無言と、口を開こうとしようものならば一人空回りを繰り返しているような、何とも言い難い微妙な空気は彼らの間の空気を冷たくしていった。
そのうち二人の間に会話はなくなり、不服もしくは不快な表情を浮かべるばかりの時間は、彼らをよりぐったりと疲れさせていく。
それぞれの家へと向かう別れ道へ着く頃には、すっかり二人の間に流れる空気は凍りついてしまっていた。
「じゃ、お疲れ」
「……お疲れさまでした」
形式張った挨拶とともに、二人はそれぞれの家路へとつく。竈門の背中が離れていくのを振り返って確認してから、我妻は小さく舌打ちをしながら向き直った。
「なんだよアレ、感じわっる!」
そう吐き捨てて、ずんずんと竈門とは逆方向の道を歩いていく。
離れてなお二人の間には冷たい空気が流れていた。
