黄色の残像/桃色の残響(znnz)

『黄色の残像』

――禰豆子ちゃん、大好きだよ

 夢の中で起きた出来事は鮮明に、禰豆子の脳裏に焼き付いていた。黄色の羽織、透けるような金髪を持つ人が、自分の前に立ち大好きだと告げる。その声は優しくて、暖かくて、いとしく彼女の耳に目が覚めても残っていた。
 それが誰のものが、今の自分には分からないけれど夢の中で自分を庇ってくれた彼が、心の底から守りたいとそう思ってくれていたことは伝わっていた。

――貴方は誰なの?

 そう問いかけても何も返ってきやしない。夢の中で起きた出来事なのだから、当たり前といえばそうなのだが。やはりどこかで期待感を抱いていたのは嘘ではない。
 しかし、目を覚ました禰豆子にはやはり黄色い彼が誰だったのかはわからないままだ。
 もしかしたら、いつかどこかでの自分が想っていた人なのかもしれない、禰豆子はそんな風に少し夢見がちな気持ちに浸りながらベッドからゆっくりと身体を起こした。
 今日からキメツ学園に通う、文字通り門出の日。しっかりしなければ、禰豆子はそう自分を奮い立たせて身支度をはじめる。期待と不安の混ざり合う初日だが黄色い彼のおかげで、頑張れそうだった。

 禰豆子はあとから来る父と母に送り出され、一人学校へと歩き出す。どうしても、拭えない夢から続く黄色い彼の気配を振り払うようにぶんぶんと横に首を振った。
 真っ直ぐと向かう通学路は、これから慣れ親しむことになるだろう道だが今の禰豆子には門出の緊張と期待と不安を綯い交ぜにしたような、なんとも形容しがたい道程であった。時間には余裕を持って出てきたつもりだが、なんとなく早足になってしまうのもまたその綯い交ぜになった想いの表れだ。
 そんな早足のおかげかせいか、想定よりも早く到着した校門には一人の人影があった。遠目に見てもげんなりとした様子だが、そこから動くこともなく、そこに立っている。
 何をしているのかは分からない、しかしその透けるような金髪は夢に見た黄色い彼にそっくりであった。彼の姿に禰豆子の視線は固定されてしまったかのように釘付けで、目を凝らしてその姿を動向を見つめる。
 しばらくそのまま、少しずつゆっくりと校門へと向かって歩いていた禰豆子だが、近づけば気配も視線もわかりやすいものだ。次第に黄色い彼によく似た生徒が禰豆子に気づいて視線を向けた。なんの気なしだったのだろう、向けられた視線はみるみるうちに驚きへと変わり、まるで機械がフリーズでもしてしまったかのように固まってしまっている。
 かく言う禰豆子もすっかりどうしたものかと、あわてふためく始末だ。
「おはようございます」
 兎にも角にも無難な言葉を、なんとか口にした禰豆子に「おはよう」と目の前の黄色い彼も挨拶を返してくる。しかし、相変わらず驚きに見開かれた琥珀色の瞳は禰豆子を捉えて離さない。
「はじめまして、だよね?」
「そのはず……です」
「じゃあ誰かによく似てるとかなの?」
「そんな、感じ、です」
「……俺と、同じだ」
 今度は禰豆子が驚きに目を見開く番だった。舞い散る桜の花びらに似た、淡い桃色の瞳は見開かれてまっすぐ金髪の先輩らしき生徒を見つめる。一方的に夢の中で見た、そんなあまりにも片道な関係性に相手からなにかアクションがあろうとは思いもしなかったし、それが自分と近しい思いなどとは考えもしていなかった。そのことがただひたすらに禰豆子の動揺を誘う。
「ここにいるってことは先輩……なんですよね?」
「えっ、うん。そうなるね」
「あの……よろしく、お願いします」
 そう言って必死にはにかんでみせると、そのまま歩き出した。そうでもしないと、なぜだか無性に恥ずかしくて仕方が無いだけでなく、居心地すらも悪くなってしまいそうだったのだ。
「待って!」
 逃げるように去ろうとする禰豆子を、金髪の先輩だろう彼が引き止める。禰豆子の鼓動がどきりと跳ねた。「俺は、我妻善逸! 君の名前は!?」
「かっ、竈門禰豆子……ですっ」
 少し早口に慌てた様子で名前を名乗った善逸が、禰豆子の名を聴いて何故か少し苦笑したように見えた。
「禰豆子ちゃん、またね」
「は、はい!」
 何故そんな表情をしていたのか、尋ねてみたくはあったがそれはそっと胸にしまって予め知らされていた集合場所へと急ぐ。心が妙に弾み、幸せとか喜びを刻み続けているのが分かった。

――禰豆子ちゃん、大好きだよ

夢の黄色い彼の声が聴こえた気がした。

[newpage]
『桃色の残響』

――泣き出しそうな呻き声がした。悲しげな音が張り裂けんばかりに響いて、こちらへ手を伸ばしてる。嗚呼、俺は幸せ者だなぁ……

を どすん、と音を立ててベッドから落ちる。どんな夢を見ていたのか、すっかり忘れてしまっていた善逸は胸に焼け残った熱情の残りかすの行き場を探した。行き場のないどこから来たのかも定かではない気持ちと、もやりと膨らんだ違和感に困ったように金髪の頭を掻くばかりだ。自分でも呆れかえるほどにすっぱりと忘れ去られた夢の記憶は、崩れた残骸が残るばかりで判別はどう贔屓目に見ても不可能だった。
 はぁ、と目に見えて大きすぎるほどのため息を落としながら善逸は、のろのろと緩慢な動作とともにその場に立ち上がる。覚えていないながらも、何となしにいつも思い出す朧気な少女の面影を頭の中に必死に思い浮かべ、でれと情けのない笑みをこぼした。
(あの子が幸せならいいなぁ)
 彼女は善逸の中の妄想の産物かもしれないし、もう生きてはいない人かもしれない。それでも淡い記憶の中に住む、竹轡をした可愛らしい少女のコトを想いながら、気の重くなるような風紀委員の仕事へと向かうべく身支度を始めるのだった。

 別に風紀委員会に所属しているからと言っても、入学式の日まで登校する必要は本来ならばない。委員長にでもなれば、在校生の代表の一人として入学式に参加しなくてはならないだろうが、善逸はただのいち風紀委員に過ぎない。
 それでもこうして学校へ出向かなければならないのは、偶然の不運の産物とでも言うべき出来事が重なった結果だった。
(冨岡先生、初日から服装チェックするとか鬼なんじゃね……新しくくる子たちが不憫でならないわ……)
 先日、校内でと風紀委員の担当教師である冨岡に呼び止められて言われた言葉を思い出して、露骨なまでに大きなため息を吐き出しながら善逸は通学路を歩く。どうしようもなく肩まで重くなるような気の重さを覚えつつ進む善逸の姿は、通学路の周りに咲き乱れる桜の花の華やかさとは対極に位置するほどに憂鬱さに満ちていた。
 善逸の根の人の良さからか、冨岡には逆らえないとどこかで諦めているからか、結局のところ憂鬱さは申し分なく彼の中に蓄積されていたが、さもいつもの朝だと言わんばかりに校門の前に立つ。
 校門を抜けていく新入生たちは希望に満ち溢れ、期待に胸を高鳴らせていることがよく分かる。あまりにポジティブな感情を浴び過ぎて、逆に卑屈になってしまいそうな勢いだ。
 自分にもこんな日が、こんなときがあったのだったかと考えてみたりしながらも善逸は淡々と、冨岡から指示された通りいつもと変わらぬ仕事をこなしていく。黙々といつもと同じ動作を繰り返す善逸の横をひっきりなしに通り過ぎていく希望のかたまりたちは、どうにも遠い世界の住人のようにすら思われた。
 彼らは善逸を意に介さない。当然といえば当然だが、存在意義の感じないこの瞬間は虚しさすら感じる。その感覚を真っ向から覆すような視線が、唐突に善逸のことを射抜いた。
 その視線は真っ直ぐで、しかし決して嫌なものでは無い。何故か昔から知っているような、そんな錯覚をも抱かせる。
――誰だろう?
 それは純粋な興味だ。そして、居心地の悪いこの瞬間から逃げ出すための口実でもある。そんな想いを抱き善逸は視線の主へと顔を向けた。
 そこに立っていたのは一人の女子生徒だ。淡い桃色の瞳が印象深く、目鼻立ちの良い彼女の表情はどこか驚きを含んでいる。長く伸びた黒い髪の毛がふわりと揺れた。
 申し分なく可愛い女の子である。いつもの善逸なら鼻の下を伸ばしてしまうところなのだが、今回ばかりはそれどころではない。
 夢に見た、あの女の子にそっくりだった。泣き出しそうな呻き声、悲しげな音、全てが未だ鮮明で彼女とぴったり重なる。これは奇跡か運命か、そう考える自身と、そんな都合のいいことなどあるはずがないと断じようとする自身の思いが、混ざりあってせめぎ合う。
 混乱で固まってしまう善逸に、彼女はゆっくり近づいた。
「おはようございます」
 可憐な声が響く。
「おはよう」
 驚きに目を見開きながら、何とか挨拶を返して息を呑んだ。見れば見るほど、夢にみた彼女に全てがそっくりだった。
(嘘だろ……こんなことある!?)
 ただただ驚愕で、先の挨拶以外の言葉など出て来もしない。絶句という有様だ。しかし彼女の方も同じく、ぽかんと呆けた様子で善逸のことを見ている。彼女の音は、この人を知っているとまるで告げているように思われた。
「はじめまして、だよね?」
「そのはず……です」
「じゃあ誰かに似てるとかなの?」
 その言葉に彼女は愛らしい桃色の瞳を大きく見開く。思った通りであったらしい、まさに図星という表情だった。
「そんな、感じ、です」
「……俺と、同じだ」
 こんなことがあるものなのか、驚きと疑念の元に発した善逸の言葉は、再び彼女を驚かせる。しかしその瞳は真っ直ぐに善逸のことを捕らえて離さない。
「ここにいるってことは先輩……なんですよね?」
 ここで飛び出す想定外の問いかけに、あたふたと視線を左右に走らせた。
「えっ、うん、そうなるね」
「あの……よろしく、お願いします」
 そういうが早いか早足に歩き出した彼女を、善逸は反射的に引き止めなければと感じて口を開く。
「待って! 俺は我妻善逸! 君の名前は?」
「かっ、竈門禰豆子……ですっ」
 大慌てで名乗って見せれば、声をつまらせながらも名乗り返してくる。聞こえた名前に心当たりがあった。
(あっ、炭治郎の……よく話してる妹、か)
 すっかりよくつるんでいる友の一人、炭治郎の姓は〝竈門〟である。そうそう見かける苗字という訳でもない、妹であることはほぼ十中八九間違いないだろう。よもや炭治郎の妹であるのは思いもしなかったが、それはそれだ。
「禰豆子ちゃん、またね」
「はっ、はい!」
 少し前よりも緊張の色の減った笑顔とともに、禰豆子は小走りでその場を去っていく。
(やばい、馴れ馴れしかったかな! でも、苗字で呼ぶのも何だかなんというか! というか、可愛かったなぁ~禰豆子ちゃん!)
 少し前までの憂鬱はどこへやら、文字通り鼻の下をのばしただらしのない表情は、どうにも風紀委員とは思えない様子であった。
(夢の中の子も、今の禰豆子ちゃんみたいに笑っていればいいよなぁ)
 そんなことを考えているあいだに、何人もの生徒が善逸の横を素通りしていく。冨岡に手酷くされる未来はすぐそこまで迫っていた。