『どうやら、一雨来そうですよ』
あいも変わらず大地の存在に縛られることなく宙に浮いたまま移動しつつテネブラエは、自身が感じ取ったのかはたまた配下の魔物たちから情報を得たのか、なんにせよ雨の到来の予言を発する。
しかし、エミルとマルタの前に広がるのは遮るものの限りなく少ない広大な大地と、そこに広がる雲ひとつない青空で、テネブラエの言はどうしても信憑性にかけるもののように思われた。
「うそ、こんないい天気なのに?」
『はい』
「でも……雲も出てないよ……?」
『降ります』
「えぇ〜、本当に〜?」
マルタからの露骨な疑いの言葉に、テネブラエの方も不愉快だと言わんばかりの表情で応戦する。そのやりとりを苦笑を浮かべながらエミルが見守っていた。
『そこまでお疑いなら、雨に降られてしまえば良いのです』
明らかに不貞腐れた声でテネブラエは、ツンと顔をエミルとマルタから背けたかと思えば、いつも街へ入るときにするのと同じように姿を消してしまう。
「そんなスネなくてもいいのに」
『スネてません』
声だけは聴こえてくるあたり何とも厄介なもので、マルタは思わず顔をしかめた。
「ね! エミル」
「あはは……」
同意を求めるマルタの声に、エミルは肯定も否定も出来ないままたまらず苦笑をこぼす。テネブラエはと言えば、姿を消して完全にだんまりを決め込んでいた。
やがて、青空に雲がかかりはじめてエミルとマルタははっとする。口にすることこそない——特にマルタは先の一件で意地を張っている様子で、頑ななまで口を開く気がない——が、辺りには確実に雨を予感させる気配が漂い始めた。空気がどんどん重く水気を含みはじめ、まだ遠く小さな音でこそあるが雷鳴まで轟き始める。
ぐるりと周りを見回したエミルの視界に、一本の大きく葉を広げた樹の姿が飛び込んできた。あれだけ大きくそしてしっかりと葉を広げているならば雨宿りには充分だろう。
「マルタ、こっち!」
そう言うが早いか、エミルはマルタの手を取って一目散に樹に向かって駆けていく。半ば引き摺られそうになりながらマルタは、手を引くエミルに着いて必死に走った。
葉の生い茂る樹の下へと向かう中、雷鳴は近づき大粒の雨がいつのまにかたちこめた重く暗い雲から落ちはじめている。本降りに至る前に二人はなんとか、樹の下へと滑り込むことが出来た。
大きく息をひとつ吐いてエミルは、潜り込んだ樹の幹に背を預ける。どっしりと構えた樹の幹は、人間の一生を生きる以上の年月をこの地で根づき見守ってきたと感じさせる逞しさだ。
ひとまず落ち着ける場所を見つけられたことに安堵したエミルだったが、手から伝わる温もりと柔らかな感触にハッとする。手を引いたときのままマルタの手をしっかり握りしめていて、いつの間にか彼女と向かい合うよな格好になっていた。
「あっ……ごめん! 思い切り引っ張っちゃったよね、痛くない?」
「大丈夫だよ」
慌ててエミルが引き離そうとしたその手を、しかと握り直してマルタは笑顔と共に彼を見上げる。見上げた視界に入ってくる恥ずかしさと申し訳なさの入り交じったなんとも頼りない表情は、とても先程までマルタの手を引き走っていたのと同一人物とは思えないものだが、そんな彼すら愛おしいと思わずにはいられない。
マルタの瞳に映る雨に少し濡れたエミルの金色の髪の毛は、湿り気でいつもの外ばねがなりをひそめて、かつ髪の毛が透けてでもいるかのような錯覚を覚えさせるほど、いつもとは違う輝きを見せていた。そんな髪の毛からのぞく彼の鮮やかな緑色の瞳に見つめ返されて、マルタの心臓は唐突に高鳴る。さらには握った手のぬくもりを強く意識してしまい、胸の鼓動は加速するばかりだ。
「マルタ?」
自身を見上げてくる真っ直ぐな視線を向けつつも口を開かないマルタに疑問を抱いた様子で、エミルは小首を傾げながら彼女の名前を呼ぶ。エミルのその動作にマルタは大きく首を振って見せると、いつものように彼の顔を覗き込むようにして笑顔を浮かべた。
「なんでもない! エミル、カッコいいよ」
「え……あの……」
突然の言葉にしどろもどろになるエミルとハートのひとつでも飛んでいそうなキラキラとしたマルタの笑顔を、姿を消したまま黙ってただ見守るテネブラエはひとつ大きくため息を吐く。姿を現わすタイミングを完全に見失ってしまった不覚を感じながら、漆黒の双眸は初々しいエミルとマルタの姿を捉え続けていた。
