関係性にピリオドを(tnzn)

 ――明日、放課後に少しだけ時間をもらえないだろうか。
 
 そんな文面が端末に届けられたのは昨晩のことだ。送り主は竈門炭治郎。この文面を送られた当人である我妻善逸の一学年下の後輩であり、親友でもある人物だ。
 善逸はこの文面に不安を抱く。自分は何かやらかしてしまったのではないか、そんな風に考えてしまってやまない。心当たりがあまりにもありすぎる。
 常日頃から炭治郎とともに行動することが多い善逸だが、どう考えても距離感がおかしい。それだけでなく、先輩らしいところは何一つ見せられないばかりか炭治郎に甘えて頼りきり、今まで我慢していたけれどもううんざりだ、とでも言われるのではないか。そんな不安を抱くのも仕方がない状況だった。
 終礼のチャイムが鳴る。今日一日、この瞬間が来なければいいのにと思い続けていた。だが時間が過ぎていく以上その望みが叶えられることはない。
 善逸にとっては絶望の音とも言えるチャイムの音を聴きながら、驚くほどに重たい溜息を吐き出した。
 重たい身体を引きずりながら、善逸は炭治郎から指定された屋上へと足を向ける。その一歩ずつはあまりにも重たく、あまりにもゆっくりだったが、約束を違えるというのも気が引けてなんとか足を運び続けた。
 階段を登り、屋上へと続く扉を開く。するとすでにそこには炭治郎の姿があった。
「炭治郎」
 善逸の呼び声に、彼からは背中を向ける格好になっていた炭治郎が振り返る。
「遅くなってごめん」
「いや、俺こそ突然呼び出してしまってごめんな」
 善逸の謝罪に対して、炭治郎もまた謝罪の言葉を返した。その表情はあまりにも申し訳なさそうなもので、いっそ悲しげですらある。
「それはいいけどさ……何の用事なの?」
 本当は聞きたくないが、聞かなければ話の進まない本題について善逸は言及した。怖くてたまらないが、聞かなければと意を決してここまできたのだ。ここで怖気付くわけにはいかない。
「ああ、それなんだけど……驚かせてしまうと思う」
 炭治郎の言葉も表情もほんの少し曇り、彼もまた善逸と同様に不安を感じているのだということが、ありありと伝わる。それだけで善逸に安堵の気持ちを抱かせた。
「けれど、聞いてほしい」
 ゆっくりと言葉を区切りながら炭治郎は、しっかりそしてはっきりと話す。真剣な面持ちはこれから真面目な話が始まるのだということを感じさせ、善逸は自然と背筋をただした。
「俺、善逸のことが好きなんだ」
 一陣の風が吹く。それは炭治郎の心をはっきりと善逸に伝えようとしているようでもあった。
「好き……」
「うん、善逸のことが友達としてだけじゃなくて……本当に好きなんだ」
 炭治郎の言葉はあまりにも善逸にとって予想外で、しかしそれでいてすとんと胸に落ちる。善逸もまたそうだ、炭治郎に嫌われたくない、一緒にいたいと昨晩悩んだことはそういうことだった。
 だが、どう言葉を返したらいいものかわからない。
 困惑する善逸とは対照的に、炭治郎の表情は晴れやかだ。告げたかった言葉、胸の支えのようなものを吐き出したことが、炭治郎に解放感を与えていた。
「好きっていうだけで、こんなにも満たされるんだな」
 満面の笑顔でそういう炭治郎は、自身の気持ちを伝えるということが目的だったようで、屋上から出る扉に向けて歩き出す。
「炭治郎?」
「答えが欲しいわけじゃない。俺がどうしてもこの気持ちを善逸に伝えたいと思っただけだから。受け止めてくれてありがとう」
 清々しいほどの諦めの言葉、善逸からしてみればどうしようもなく憎らしく、そしてどうしようもなく愛しい言葉だった。
「待てよ、炭治郎」
 善逸は炭治郎の背中にまた声をかける。この場所に来たときと同様に炭治郎が再び振り返った。
「なんで俺の答えが返ってくることを勘定に入れてなかったわけ?」
 問いかけられた言葉に、炭治郎はぽかんとした表情を浮かべる。想像もしていなかったという様子で、呆然としてからようやっと口を開いた。
「善逸は女の人が好きだろう?」
「うん」
「だから、俺からこんな風に言われても困らせてしまうだろうなと思ったんだ」
「なるほど?」
「だから、俺の告白を受け止めてもらえただけでも嬉しいなと、思って」
 そう言って炭治郎は曖昧に微笑む。その表情はやはり諦めに満ちていて、善逸の目には愛憎入り混じるものとして映った。
「なんでさ、そんなに満足しちゃってんの?」
 再びの善逸の問いかけに、炭治郎は首を傾げる。言葉の意味をはかりかねているようだった。
「俺が、炭治郎のこと好きって言うとは思わなかったわけ?」
 さらに連ねられる善逸の言葉に、炭治郎はただただ呆然としていた。
「ねぇ。どうなの?」
 善逸は炭治郎に詰め寄り、じろりと見つめる。その様子は確かな圧を感じさせ、炭治郎は思わず一歩後ずさった。
「それは……」
「俺は! いや、俺も! 炭治郎のこと、好きだよ。友達とは別の、好きだ」
 噛み付くような勢いとともに告白する善逸の姿は、世間一般の告白とは少し異なる空気を帯びている。甘さなどは全くない、ともすれば喧嘩のひとつでも始めるのではないかという様子で、炭治郎も思わず怯んだ。
「あ、ありが……とう……」
「どういたしまして!」
 不可思議な様相を呈して来た二人の会話だが、内容だけを見てみると両思いである。そうとは思えない雰囲気を帯びてこそいるが、晴れて互いの気持ちが成就したというめでたい瞬間だった。
「これを俺が言わなかったら、炭治郎はそのことを知らないままだったわけでしょ!」
「うん」
「もう、勘弁してくれよな。こんなに好きなの、に……」
 善逸の言葉から急に覇気がなくなっていく。次に耳まで真っ赤に染め上げて、今度は俯いてしまった。
「善逸?」
 あまりにも急な変化に、炭治郎は首を傾げる。善逸の顔を覗き込もうとしたが、それを本人が拒絶した。顔を背けてしまったのだ。
「どうしたんだ、善逸」
「こっち見るなよ」
「何でだ」
「恥ずかしいの!」
 はっきりと言葉にされると、炭治郎もまたそのことを意識する。ようやっと、告白の末に想いの通じ合った二人の様子になって来た。二人して視線を合わせることもままならなくなり、ついにはどちらともなく笑い出す。
「まさか善逸に怒られるとは思わなかった」
「俺は、炭治郎に好きって言われるのが予想外だったわ」
 双方、当てが外れていたということも確認して、また笑い合った。どうにも決まりが悪い。だがこれはこれで、幸せを感じるものだ。
「もう一度、きちんと言わせてくれ。善逸のことが好きだ」
「俺も。好きだよ、炭治郎」
 今度の笑顔は照れを含む。双方ともにだ。
「俺と、付き合ってほしい」
 炭治郎はこの言葉とともに照れを捨て、穏やかな微笑みを浮かべて手を差し伸べる。絵になるような姿に思わず見惚れてしまわずにはいられない。
「うん」
 はにかみながら善逸は肯定の言葉を口にして、大きくひとつ頷いた。
 炭治郎は目の前の善逸を勢いよく抱きしめる。抱きしめずにはいられなかった。
「えっ、たんじろ……?」
「今、本当に、幸せなんだ」
「それを言うなら、俺だってそうだよ」
 善逸は炭治郎の言葉を受けて、嬉しそうに口角を上げる。そして炭治郎のことを抱きしめ返すと、肩口に顔を擦り付けた。
「俺の方こそ……すごい幸せを、ありがとうね」
 穏やかな善逸の声は、いつものそれとは異なり甘い気配を帯びている。互いの腕に力がこもり、存在を確かめ合うかのようにしっかりと抱き合った。
 いつまでそうしていただろうか。一瞬のようでも永遠のようでもあった瞬間を終え、二人は身体を離す。漂う幸せはまごうことなく二人のもので、高揚感に酔いしれた。
 だが、そうばかりもしていられない。すっかり日は傾き、夜が迫っている。下校の時間はすぐそこだった。
「帰ろう、善逸」
 炭治郎はその言葉とともに善逸の頭を軽くひと撫でする。こういうことを何の気なくやるのだから、善逸としてはたまったものではない。
「そういうの、やめろよな」
「いや、だったか?」
「違う! 違うよ……心臓がもたないってこと……」
 顔をまた赤く染めて善逸はふいと視線を逸らす。まごうことなき照れ隠し、そんな姿に炭治郎はつい嬉しくなった。あぁ幸せだ、そんな実感を噛み締める。
「もう! 帰るぞ!」
 善逸は口を尖らせながら、ずんずんと扉の方へ歩いて行ってしまった。
「待ってくれ善逸っ」
 にやけてしまった顔はそのままに炭治郎は大慌てで善逸のことを追う。炭治郎の表情に落ち着きかけた善逸の赤面具合が復活し、何とも初々しい状況が繰り広げられていた。
 友人から恋人へと関係性が名を変えた二人は、どこかぎこちない様子で夕暮れに沈みかけた校舎を背に歩き出す。いつもならば肩がつきそうなほどの距離で歩く二人の間には、いつになく大きな空白ができていた。
 ぎこちない。その言葉が一番しっくりくる。そんな二人の間に言葉はなく、ただ無言で少し緊張を帯びた空気が流れていた。
「な、なぁ」
 ほんの少し震える声で善逸は、隣を歩く炭治郎へ呼びかける。声の方に首を動かすだけのはずなのだが、炭治郎の動きはどこかぎこちない。
「どう、したんだ? 善逸」
 動き同様にぎこちない炭治郎の声に、きっとお互い様なのだろう。そんなことを考えながら歩く帰り道は、どうしようもなくもどかしい。
「明日、休みじゃん」
「うん」
「予定……ある?」
「特には、ないけど」
 炭治郎の返答に、少しだけ善逸の目が輝いた。
「じゃ、俺の家来いよ。明日はじいちゃんも兄貴もいないんだ」
「じゃあ、お邪魔しようかな」
 楽しみだ、そう口にしながらはしゃぐ善逸は、すっかりいつもの調子で横に並ぶ炭治郎との距離を詰める。炭治郎はどきりとするが、それでもいつも通りにと口の中で唱えながら、笑顔の善逸を見つめた。
「また明日な」
 そう言って手を振る善逸の姿は眩く見える。煌めく笑顔に炭治郎もまた、来たる明日に心が躍った。
 
 
 
 ガサガサと紙の擦れる音が鳴る。
 すっかり明るくはあるが、太陽はまだ真上に到達するには早い。爽やかな空気の満ちる道を炭治郎が紙袋と鞄を携えて歩く。
 軽やかな足取りと、その様子に見合った上機嫌な顔つきは、昨日の緊張など微塵も感じさせない。
 善逸の家の場所はよく知っている。中に入ったことこそなかったが、近くまで一緒にいくことはあったからだ。
 上機嫌さをそのままに、ある家のまで炭治郎は立ち止まる。そして迷うことなくインターホンに手を伸ばした。
 呼び出し音が高らかに響く。すぐさま人の気配が足音とともに近づいてきて、扉が乱暴に開け放たれた。
「お待たせ! 入って入って〜」
 息を切らしながら出てきた善逸は、炭治郎をすぐに家の中へと招き入れる。
「お邪魔します」
 炭治郎は善逸以外には誰もいないと承知しながらも、きちんと挨拶をしてから靴を脱いで丁寧に揃えてから家へ上がり込んだ。
「こっちだよ。俺の部屋」
 見るからに嬉しそうに炭治郎を自室に案内すると、適当に座っていてと声をかけてから善逸は部屋から出て行った。
 小さなテーブルを前にして腰を下ろし、ぐるりと炭治郎は通された部屋を見回す。雑然とした様子の室内は、ものに溢れていた。おもちゃにゲームに本、色々なものが隅の方に追いやられていて、強引にスペースを作ったのであろうことは見るだけでも明らかだ。
 しばらくすると再び気配が近づいてくる。
「待たせたな。はい、お茶」
 そう言ってテーブルの上に持ってきたお茶のペットボトルを置き、炭治郎の座る場所と反対側に腰を下ろした。善逸の目の前にはジュースが置かれ、その後ろにはきらきらと輝いた表情がある。
 炭治郎はそんな善逸にどきりと胸を高鳴らせながら目を細めた。
「ありがとう、善逸。これ、うちのパンだ」
 そう言って炭治郎がテーブルの上に置いたのは紙袋だ。彼の家はパン屋を営んでおり、店の人気商品であるパンたちが、ずらりと袋の中に並んでいた。
「やった! 炭治郎の家のパン、好きなんだ〜! ありがとうな!」
 言葉通り、寧ろそれ以上と言えるほど喜びに瞳を輝かせながら、善逸は渡された袋の中を覗き込んでいる。その様子を見ているだけで炭治郎としては幸せを感じ、ついつい表情が綻んだ。
「喜んでもらえて嬉しいよ。食事になるような惣菜パンと、善逸の好きな菓子パンも入れておいたから」
「さっすが、わかってるなぁ!」
 二人の間には和やかで、穏やかな空気が流れる。昨日の緊張がまるで嘘のようだったが、二人の間に無言の瞬間が続き始めると二人の様子はみるからに変貌を遂げていった。
 炭治郎は部屋の中をきょろきょろ見回し、善逸は善逸でそわそわと近くのものや手元の端末に手を伸ばしては、手を引っ込めることを繰り返す。
 一転して落ち着きのない場所になってしまった善逸の部屋は、どうにもそわついた空間と成り果てていた。
 あまりの落ち着きのなさで、お互いがお互いと目を合わせることも出来ず、時間だけが過ぎていく。
 そしてついに炭治郎は、あまりの居心地の悪さで自分の鞄の中から、勉強道具を取り出した。
「え、なにお前。勉強する気で来たの?」
「何事も準備は必要だろう?」
「でもさ! お前……付き合いたての恋人の家に、勉強道具持ってくるとかさぁ……」
 そう呟いた善逸はみるからにしょんぼりと項垂れて、悲しそうな様子を見せる。こんな顔をさせたかったわけではない。炭治郎は後悔の念に苛まれる。
 すると善逸が正面から思い切り手を伸ばして、勉強道具を机の端に追いやった。
「善逸っ?」
「今日はもう休み! 勉強は休みだ! いいな!」
 強引に善逸に止められ、手持ち無沙汰かつどうしたらいいか分からなかったからとはいえ、目の前の善逸を蔑ろにしてしまったことを炭治郎は激しく恥じる。
「……ごめん、善逸。もうしないよ」
 正直に道具を全部仕舞い込むと、真っ直ぐ善逸のことを見つめた。その視線は熱く熱を帯び、突然の変化に善逸が怯んだ。
 テーブルを挟んだまま、善逸の頬に炭治郎の手が伸びる。ほんの少し触れた指先の熱を感じた瞬間、善逸の身体が大きく跳ねた。
「合図、合図、合図、合図をしてくれよ!」
 あまりの驚きにみっともなく叫び散らした善逸に対して、炭治郎はじろりと視線を向ける。その大声も、無駄に大きな反応も間違いなく照れ隠し、それ以上でもそれ以下でもない。
 そのことに気付いて炭治郎は、慈愛に満ちた表情を善逸に向ける。そうせずにはいられなかった。
 愛おしい、それはあまりにも愛おしい姿だったからだ。
「善逸? 隣に行ってもいいか?」
 合図をするように、その言葉の通りに炭治郎は確認の言葉を口にする。拒まれたとしても明らかな拒絶でなければ断行するつもりではいたが、善逸は一転して静かに頷いた。その頬は赤く染まり、耳までも赤くなっていて、炭治郎は嬉しいような、恥ずかしいような何とも形容し難い気持ちを抱く。
 だが、せっかく降りた許可をみすみす無駄にすることもないだろう、そう思ってそっと立ち上がると善逸の隣に改めて腰を下ろした。
 ギリギリ触れるか触れないか、そのくらいの距離。そこにいるだけで炭治郎には善逸の、善逸には炭治郎の緊張が手にとるように伝わる。
「……触れても、いいだろうか?」
「確かに合図をしろって言ったけど……そんな逐一確認すんなよ」
「今日の善逸はわがままだな」
 口を尖らせながら言葉を紡ぐ善逸があまりにも可愛らしく思えて、炭治郎はたまらず彼を床に組み敷いた。
 床に広がる金糸、相変わらず赤く染まった頬と耳、潤んだ瞳、その全てが炭治郎の中の何かを煽り止まらない。それでも理性的であらなければと、必死に息を飲み込み踏みとどまる。
「さっきはああ言ったけどさ……炭治郎になら何されてもいい。俺の全部を、お前にあげるよ」
 状況は変わらない。けれど、善逸の様子は明らかに翻弄されていたものとは違って、その瞳には強い意志が宿っている。
 それはまるで二度目の告白のような、そんな言葉だった。
「俺は、贅沢者だな」
 微笑んでから炭治郎は善逸へ顔を寄せる。鼻と鼻が当たるほどの距離。そこで二人は見つめ合う。
 もうすぐ唇が触れ合う――のではないかと思った時だった。
「……家で何やってんだ、発情してんじゃねぇよ。クソが」
 善逸の閉め損じた扉の隙間から、黒い髪の人物がじろりと二人を睨みつけている。
「あ、兄貴! なんで!」
「忘れモン取りに来たんだよ。また二人になった後で盛ってんじゃねぇぞ」
「お、お義兄さん……!」
「義兄とか言うな!」
 善逸の言葉も炭治郎の言葉も一蹴して黒髪の彼はその場から去っていった。
 二人はきょとんとした表情で互いを見合わせると、どちらからともなく吹き出してしまう。滑稽とすら思える様は、二人の笑い声によって吹き飛ばされた。