金緑の想いの行方(tnzn)

 ぽろり、ぽろり、涙が石になる。こぼれ落ちる石はきらきらと金緑の色を放ちながら床へと転がり、ころころと音をたてた。
 泣き腫らしていたはずの当人が、予想だにしなかった状況に絶句して、途端に涙もピタリと止まる。
「え、なに? これ……」
 その言葉の通り全く何わからないまま、誰にともなく呟いた言葉は虚しく空を切るばかりだ。そもそも、誰にもみられないようにと主屋を離れてこの物置小屋へ来たのだが、それが仇になろうとは夢にも思わなかった。誰かがいたところで、この現象について答えられるとは到底思えなかったが。

 そもそも彼、善逸が物置小屋に引きこもっていたのかと言うと、ひとえに本人の不徳の致すところだ。それも、墓穴を掘った――と、少なくとも本人はそう思っている――ことを引きずり、醜態を重ねてしまった。
 その相手が、狂おしいほどに愛しい想いを抱く人物であり、しかもその想いは墓まで一人自分の胸へしまおうとそう思っていた正に特別な相手なのだ。
 何をやっても裏目に出る。想い人は優しい人だ、それこそ泣きたくなるほどに。だからこそ一層いたたまれない気持ちが、善逸の心を支配する。
 そうしていたたまれなくなった行き場のない思いは、善逸に込み上げるものを溢れださせようとしていた。これ以上の醜態を晒したくはない、思いを伝えるつもりは無いが嫌われたくもないのだ。

 そこまで思い返して善逸は、盛大すぎるほどの大きな溜め息を吐き出した。
(俺、だめすぎじゃない……?)
 自分で自分の首を絞めるこの閉塞感は、結局のところ自業自得で愕然とする。
 遠くから善逸の名を呼ぶ声がした。反射的にその声を遮断しようと、両手で耳を塞ぐ。その声の主こそが優しい想い人、炭治郎のものだった。しかし今は、その炭治郎には会いたくない。だからこそ、こんな物置小屋まで逃げてきた訳だが。文字通り穴があったら入りたいほどの心境だった。
 しかし善逸は、また別のことを思い起こしてハッとする。そう、彼の涙が輝く石に姿を変えてしまったことだ。善逸の周りに転がるその石を彼は手に取って、まじまじとそれを見つめてみるが少し前までこれが液体であったとは思えない、見事なまでに固形化されている。
 驚きに目を見張る善逸の後ろに、炭治郎の呼び声が迫る。慌てて石になった涙たちを部屋の端へと見えないように追いやると、間髪入れずに物置小屋の扉が開け放たれた。
「やっと見つけたぞ、善逸」
「た……炭治郎」
 扉の向こうからずんずんと善逸の方へ向かってくる炭治郎は、あからさまではないにせよ不機嫌さを感じさせる。善逸としては、自分の行動に心あたりがありすぎて耳では感じ取ってもそれを口にすることははばかられた。
 そんな善逸の心境を知ってか知らずか、炭治郎はさらに彼へと近づいて目と鼻の先という近さでやっと立ち止まる。
「善逸」
「近いわ」
「すまない、けれどこのまま話をさせてもらう」
「このままなの」
「ああ!」
 妙に語気の強い話ぶりとその声からは、気合が感じられ善逸にはその理由が全く持って分かりかねた。
「……お前さ……何でそんなに、気合入ってんの?」
「それは……善逸に伝えたいことがあるんだ」
 おずおずと尋ねた言葉に、炭治郎は先ほどまでの勢いが嘘のように思われるほど落ち着きのない様子で、彼にしては珍しく口籠もり気味に答える。その声、そして炭治郎から聞こえてくる音にその全容をいち早く察した善逸の顔が真っ赤に染め上がるまでは一瞬だった。
「待って、炭治郎! おかしい、何でそんな音させてんの! それ、それ……」
 しどろもどろになった善逸はそのうち、ドンと音を立てたかと思うとその場に炭治郎を残して忽然と姿を消してしまった。
「善逸! どこへ行ってしまったんだ、善逸!」
 気配すらも感じられない善逸へ、炭治郎は必死に呼びかける。しかしその声に応えるものはなく、静寂があるのみだった。

 風のように速く、駆け抜けて善逸は庭の木の上に登り小さくなっていた。困ったとき、逃げ出す時は決まって最後は木の上に登る。最早これは習慣と言っても良かった。
(有り得なくない? おかしいって……あんな音、俺のために鳴らしちゃだめだよ炭治郎)
 彼の耳に届いた炭治郎の音は、間違いなく恋慕の音だったのだ。幾度となくその音を聞いてきた、間違えようはずもなかった。問題はその音をどうして自分へ向かい向けていたのかということなのだ。
(俺に好かれる要素とかあった……? 特にここ最近はいろいろから回ってばっかりで、嫌われることはあっても好かれるなんて……)
 困惑しつくしている善逸の瞳から、また涙が溢れてそれは輝く石となって地面に向かい落ちていく。
(そもそも何でこんなことになってる訳? 炭治郎のことだけじゃなくて、この訳の分からない涙だってさぁ、こんなのおかしすぎるでしょ……)
 一度に多くのことが起きすぎて、すっかり冷静さなど欠片も残っていない混乱状態では善逸の思考がまとまるはずもなく、輪をかけた混乱に善逸は頭を抱えて涙を流すばかりだ。そして、その涙はまた宝石となってぽろぽろとこぼれ落ちていくばかりで、状況は一向に変わることがない。
 当の善逸が行動することをやめている手前、状況が変わらないのも当然といえば当然なのだが。
(俺……炭治郎が好きだ……でも、炭治郎には幸せになって欲しい。普通の幸せ、少なくとも俺とじゃない……だから……)
 さらに溢れる涙はキラキラと輝きながら落下していく。
「ここにいたんだな」
 声が響いた。善逸が驚いて、木の上から見下ろしてみるとそこには炭治郎の姿がある。
「どうして逃げるんだ、話をさせてくれ」
「だめだよ」
「どうしてなんだ」
「……お前の言いたいことはなんとなく分かってる。でもそれは、俺に向けちゃいけない気持ちだよ」
「……」
「お前はさ、たくさん苦労したしたくさん苦労したじゃん? だから幸せにならなきゃいけないだろ。だから……」
「……どうしてだ」
 あまりにも珍しく、炭治郎が善逸の言葉を意図的に遮って声をあげた。予想外の出来事に善逸はぽかんとして、もう一度木の下にいる炭治郎へと視線を向ける。
 炭治郎は真っ直ぐに善逸のことを見上げていた。その瞳はあまりに真っ直ぐで、今の善逸には眩しく感じられてしまうほどだ。ぶつかる視線に心臓が高鳴るのが分かる。
(これは炭治郎の音……? それとも俺……?)
 実際には互いの緊張の音が混じり合って善逸の耳に届いていたのだが、冷静さを著しく欠いた善逸ではその判断もままならない。判断のつかない音がさらに善逸を混乱させる。そしてその感情がグチャグチャに混ざり合ってはまた涙を落とさせた。
「善逸、これは一体……」
(ああ、炭治郎に知られてしまった……もう、だめだ)
 石と変わった涙は炭治郎の足元に転がって、ついにこの謎の現象のことまで炭治郎に知られてしまったと、善逸は心に絶望を抱く。はぁ、と大きなため息を吐きながらも炭治郎の様子を伺ってみると、とても純粋な心配の音がした。
「ひとまず降りてこないか? 善逸、落ち着いて話をしよう」
「……いやだ」
「善逸」
「だってさ、だってさ、俺どんな顔して降りればいい訳 これ以上俺を惨めにさせて楽しいのかよ!」
「違う、そういうことじゃない!」
 先ほどの勢いではないが、それでも炭治郎は少々食い気味に善逸の言葉をはっきりと否定する。そのあまりにも真摯かつ必死な声に善逸は驚きつつも、一度大きく息を吐いてから炭治郎の音に耳を澄ませた。彼の耳に入ってくるのは
「じゃあ、一体どういうことな訳!」
「善逸はなにか誤解してる! だからちゃんと話をしよう!」
 真摯な炭治郎の言葉に、善逸は一度ゆっくり呼吸を整えると、ゆっくりとその耳を澄ました。耳に入ってくる音は炭治郎の真剣さと恋慕、そして心配と不安をはっきり伝えてくる。善逸はふわりと木の枝から飛び降りると、炭治郎の目の前に降り立った。
「なぁ、炭治郎?」
「なんだ?」
「俺さ、思うわけ。最近、俺、いつもよく出来てるってことはないけどさ、いつも以上に最近だめなことだらけだって」
「そんなことはないぞ」
「あるんだよ……全部裏目になるんだ。どうしたらいいのか、全然分かんないんだよ……」
 炭治郎は静かに善逸の言葉を受けとめ、その困惑すらも受け止める。
「そんな風に思っていたのか、それでそんな辛そうな匂いをさせていたんだな」
「匂い嗅ぐなってぇ……」
「それは善逸に音を聴くなと言っているのと同じことだぞ」
「分かってる、分かってるんだけどさあ!」
 すっかりいつもと変わらぬものに近しい様子で言葉を交わす二人ではあったが、これでは何ひとつとして解決していない。問題は棚上げされているだけだ。
 そのことは二人の中でも確かに認識していて、やり取りは若干の歯切れが悪く、ぎこちない空気がそこに在る。
「なぁ、善逸?」
「……なに」
「聞きたいことがたくさんある、あるけれど……それはお前が言いたくなったらでいい。だから、俺の聞いて欲しいと思っている話をどうか聞いてもらえないだろうか」
 ぎこちない空気を切り裂いたのは炭治郎の言葉だ。その提案を善逸は静かに受け入れる。
 善逸の肯定の様子に炭治郎はほっと胸を撫で下ろしながら、もう一度口を開いた。
「俺は、善逸のことが好きだ。そう気付いたんだ。自分の匂いは周りのものに比べて感じにくいけれど……それでもやっと分かった、これは恋の匂いなんだって……」
 善逸はこの言葉を真剣な面持ちで受け止め、ほんの少し前まで狼狽え声を張っていたとは思えないほど静かにそこに在る。真っ直ぐ炭治郎に返す視線は、諦めの感情を帯びていてまるで表情が変わらなかった。
 面を被ったままのような善逸に炭治郎は、紡ごうとしとしていた言葉を見失う。
「な、炭治郎」
 静かに、淡々と発せられる呼び掛けに炭治郎はごくりと唾を呑んだ。
「お前はきっと、何か勘違いをしてるんだよ。……恋なんてそれはきっと錯覚だ」
 優しい声色に残酷な言葉、それに重なる嘘の匂いに炭治郎は思わず顔をしかめる。
「……何でそんな顔すんだよ」
「どうしてそんなことを言うんだ? それは善逸の本心ではない、だろう?」
 言葉の裏、その本質を匂いで読み取る炭治郎に、上辺だけの嘘は意味を成さない。勿論それを承知してはいるが、こればかりは善逸も譲れなかった。
「本心だよ……お前、そんな勘違いでさ……俺なんかと一緒にいるんじゃなくて、もっと他にすることあるだろ」
「……ないよ。俺はいま、一番大切だと思う人と過ごしたい。善逸と過ごしたい」
 耳に響く真摯な音に、善逸の心は揺らぐ。それが炭治郎のためだ、と思っていたが炭治郎の言葉が、本当にそれでいいのかと問いかけているような気すらした。
「だめだって炭治郎、そんな音させちゃ。俺にそんな音向けたらだめだよ」
 気持ちがはっきりと伝わってくる。そのことがこんなにももどかしいと思う日が来るとは、思いもよらなかった。
「俺は善逸好きなんだ! それに嘘も偽りも恥もない。本当にだめなら諦める、だがお前の匂いはそうじゃない」だから、と言葉を続けようとするが炭治郎はそこで声を詰まらせる。
 ――嘘も偽りも恥もない
 その言葉は善逸のなかに響く。そうだ、自分だって炭治郎を好きと思う気持ちに、嘘も偽りも恥もない。
 加えて炭治郎を想っての事であるとはいえ、迷いがないといえばそれも嘘になる。果たしてそれで良いのだろうか、ずっと胸の奥底で眠っていた小さな疑問がどんどん膨らんで無視することが出来なくなっていくのが分かった。
「善逸!」
 必死な炭治郎の呼び声が、善逸を貫く。そして、小さく笑った。
「……お前のいう通りだな。俺、炭治郎が好きだよ……炭治郎に幸せになって欲しくて、辛い思いをして欲しくなくてさ」
 ぽつりぽつりと話しはじめた善逸の言葉は、身の内に隠して二度と出すことのないつもりでいた感情を少しずつ紡ぎ出していく。
「でも、それを決めるのは炭治郎であって、俺じゃないよな」
 そう付け足して、浮かべた表情は自嘲であった。しかしその表情はすぐに消え去り、次にはまた今度は花の咲くような暖かく柔らかな笑顔に変わる。
「俺いま、すごく嬉しいんだ。お前がそんなに、俺のことす好きって言ってくれるからさ……一緒にいてもいいのかな」
「もちろん、良いに決まってる! 一緒にいてくれ、善逸。絶対、幸せにする」
「……その言葉だけで、幸せになれちまうよ」
 一世一代の約束を口にした炭治郎に、善逸はまた笑って見せた。その瞳には涙が浮かんでいたが、溢れたそれは涙として地面へと染み込む。先ほどまでは、涙が石に変わるという不可思議な様子が起こっていたはずだったが、すっかり元どおりになっている。
 炭治郎は涙が消えていった地面をじっと見つめてから「良かった、治ったみたいで」と微笑んで見せる。しっかりとひとつ頷いてから善逸は、まっすぐと炭治郎を見つめて口を開いた。
「ありがとな、炭治郎」
 その言葉に今度は炭治郎が頷き、善逸の手を静かにとる。想定していなかった行動に驚いた善逸の肩がびくりと揺れたが、そんなこともお構いなしに炭治郎は自身の胸へと彼を引き寄せた。
「わ、たんじろ!」
 さらに驚く善逸だったが、炭治郎は引き寄せた彼をしっかと抱き締め離すつもりもないようだ。腕の中で身じろぎをしてみたところで、どうやら無駄らしい。善逸は諦めて炭治郎の腕の中で脱力すると、そのまま身体を預けた。
「嬉しいよ、善逸」
「俺も嬉しいよ」
 二人の姿に光が差す。その光が足元の金緑の涙石たちを輝かせ、まるで彼らを祝っているかのようだった。