諦めの火が揺らぐ日に(tnzn)

――騎士の戒律に背くなかれ。
 戦う力を持ち、勇気を胸に、高潔かつ誠実であり、寛大さを併せ持ち、曲げぬ信念に恥じぬ崇高な行いを重んじ、礼節とともに民を守ることを誓うべし。

 毎朝、戒律を唱えて一日が始まる。
 騎士たるもの、心掛けを怠るべからずとは、騎士長のいつも口にしている言葉だった。集まった騎士たちが、いつものこの日課を終えてそれぞれの日常へと向かっていく。
 そんな毎朝の決まりごとに、うんざりした様子で溜息を吐く者がいた。美しい金糸の髪を持ち、丸みを帯びながらもしなやかな体躯の持ち主である彼は、溜息に相違ない憂鬱な表情を浮かべて視線を落とす。
 すると彼の頭に向かって、容赦のない手刀が飛んだ。
「痛……」
「この前も、そういう態度は改めるように言ったばかりだったはずだぞ。善逸」
 手刀同様に容赦のない言葉は、真っ直ぐ善逸と呼ばれた金髪の騎士へと向けられる。恨めしそうに善逸が振り返ったその視線の先には、赤みがかった黒髪を持ち、がっしりとした身体つきをした人物が立っていた。身長としては大差ある訳ではないが、善逸と比べて一端の騎士であるその存在感が違う。
「炭治郎……先輩」
 炭治郎、そう呼ばれた騎士は困った様子で、しかし優しくぜんいつに笑いかけた。
 善逸はこの先輩の笑顔が、どうしようもなく苦手だ。彼を見ていると、生きていたくなる。
 そもそも善逸は腕の立つ剣の使い手ではあるのだが、いかんせん生に対する執着が圧倒的にない。寧ろその命を投げ出すことを前提に騎士となった節もあるほどなのだ。
 だからこそ圧倒的に真逆の存在と言って差し支えないだろう炭治郎の存在は、あまりに眩しくそして違う世界に生きる者のようにすら感じていた。
 しかし炭治郎は騎士としての先輩であり、まだまだ新米である善逸の教育役も担う人物だ。どうしても関わり合うことが多く、それは善逸にとってどうしようもなく億劫なことと言えた。
「善逸、お前はどうしてそんなにも、全てを諦めたような目をしているんだ?」
「……別に、諦めてなんていないですよ。今日は確か巡回警備の当番でしたよね?」
「質問に質問を返すのは感心しないが……準備をしなければならないな」
「はい」
 見るからに不服という様子を感じさせながらも、炭治郎は善逸に次の行動を促す。促された善逸は従順だ。準備を整えて程なく、二人は巡回に街へ出た。

 石畳をかつかつと歩く二人の足音が響く。整った街並みはいつもと変わらず、平和そのものだった。街は隣国からの脅威に日々さらされてはいるが、脅威と言っても微々たるものだ。
「なぁ、善逸」
「はい」
「もう一度、改めて聞きたい。前から気になっていたんだ、その全て諦めたような目が」
 街に出る前と同じ意図の言葉を改めてぶつけられて、善逸の視線は隣を歩く炭治郎の方へと向けられるが、すぐに前へとそれを戻し薄ぼんやりと空を見上げた。
「そう言われましても……別に戦うことが好きな訳でもないですし、師匠の遺志は尊重したいからここにいる、というのが正直なところです」
 毎朝唱える騎士の戒律、善逸の有り様はそれに則しているとはお世辞にも言い難い。善逸の言葉はその有り様を肯定するものであり、炭治郎としても同じ騎士として看過し難いものがある。まるで死にに行こうとでもいうような様子は、一個人としても不安を抱かせるものだった。
「騎士として、ならばその有り様は戒律に反するものだ。……けれど、善逸。その生き方はそれ以前に心配なんだ」
「心配?」
「そう……お前がある日突然、居なくなってしまいそうな……そんな気がしてならない」
「やだなぁ、気にしすぎですよ」
 それまでの薄ぼんやりとした無表情から、誤魔化すような笑顔へと表情が変化する。まるで踏み入るなとでも言いたげに見えた。
 壁を感じずにはいられないそんな様子に、炭治郎は苦笑することしか出来ない。
「お前はそうやってすぐ壁を作ってしまうな」
 炭治郎の口からこぼれ落ちた言葉に、善逸は凍りつく。こんな風に関わってきた人は今までいなかったのだ。
「炭治郎先輩、何言ってんの?」
「……敬語、抜けてるぞ」
「あっ……」
「まぁ、今は構わないけれどな」
 思わず吐き出してしまった本音は、本来であれば問題となる。礼節を失った、それはつまり戒律の違反だ。しかし炭治郎はそれを笑って一蹴する。
「今は先輩としてではなく、個人の言葉として聞いてほしい」
 予想だにしない言葉に、善逸は声を発することも出来ず押し黙って炭治郎の次の言葉を待つばかりだった。
「もう少し誰かを頼り、希望を持ってもいいと思う。お前がどんな経験をしたのかは知らない、けれどどんな経験も自身を蔑ろにしていい理由にはならない。誰でもいい、心を許せる人を見つけられたらと思うんだ。……俺がそうなれたらとは思うが、こればかりは善逸自身の問題だからな」
 そこまで告げた炭治郎は、緊張した面持ちで大きく深呼吸をする。そして再びその口を開いた。
「……ただ、俺は、お前の心から笑った顔が見てみたいと思った」
 そう話してはにかんで見せる炭治郎の姿に、善逸は今まで感じたこともないまるで雷にでもうたれてしまったかのような錯覚を覚えて、思わず自身の目を手で覆う。眩しすぎて見ていられなかった。
「やめて、下さい」
 やっとの思いで善逸が口にした言葉は拒否の言葉だったが、その声にもその様子にも照れや恥じらいばかりが見て取れる。それは、彼にとって初めての経験だった。