※読んでも読まなくても大丈夫! 「漆黒よ金色への道を往け」の設定とかふんわり語り※
【この世界における鬼】
大正のころの鬼に比べると、圧倒的に知性が退化している。血そのものではなく、ウイルス感染のような状態のため、個の意思がより希薄になっており退化もそれと同様。
薄暗くなれば時間は気にせず出てこれるが、明るければ行動はそれなりに制限される。
【鬼になる理由】
無惨の遺伝子の一部が現存していて、量産されウイルスのような状態。一部にばらまかれている。
【元凶】
ウイルスのようなものを撒いてる主は不明だが鬼のことをよく承知しているらしく、オーバーテクノロジーレベルの発明で鬼の行動を最大限サポートしてる……らしい。
【この世界の鬼狩り】
大正のころと変わらずの組織。得物は現代の方が持ち歩きにくいので、それぞれが工夫している。
【炭治郎】
善逸とは幼馴染み。大家族の長男なのも変わらない。原作軸の記憶があり、鬼狩りとして早くから活動。善逸には平和に生きて欲しいと思いながらも、どこかで寂しさを感じている。
水の呼吸を主体にして戦っているが、ヒノカミ神楽が自身の家に伝わっており神楽としても技を振るう。
【善逸】
炭治郎とは幼馴染み。遠い親戚関係にある爺ちゃんと二人暮らしで父母は早くに他界してあまり覚えていない。原作軸の記憶がなく雷を怖がっている。
「漆黒よ金色への道を往け―円舞版―」
ちりちりと脳の回路を焼くような錯覚が全身を駆け巡る。昔から、雷の鳴る日はいつもこうだった。
何故かはしらない、だがこの感覚は決まって善逸のなかで毎度存在を主張する。幼いころからずっとのことではあったが、何度体験してもこの感覚に慣れることはない。全身を電気が駆け巡り、何かを呼び起こそうとしている。そんな感覚はその何かに対する興味よりも、呼び起こされようとしているものへの恐怖となって善逸の中に強く刻まれていたからだ。
だから雨も、雨雲も、雷雲も、ありとあらゆる雷へと繋がる天候が善逸は嫌いだった。寧ろ晴れていても落ちる雷を嫌悪していると言って差し支えがないほどだ。雷への畏怖というよりは、雷への圧倒的な恐怖が善逸の気持ちを内側へ内側へと追いやり、物理的にも精神的にも内向的かつ内向きな人間へと成長を遂げさせていた。
加えて彼はとてつもなく鋭い聴覚を生まれつき持ち合わせていて、その鋭敏さは誰かの声にとどまらず想いや考えていることまでもが、半ば筒抜けになってしまうほどである。身体から出る音までもを聴き分け、それほどの聴力であれば大半のものを聴き逃すことも起こらない。さらには、寝ている間の音も承知していることがあるのだから本人としても、気持ちがわるいと考えてしまわずにはいられないというものだった。
そんなことを思い起こしてしまうと何となく学校へ行くという行動そのものに前向きになれず、薄ぼんやりと外を見つめていればこの有様である。
「はぁ、雷に叱られてんのかな? 俺……」
窓に映る自分の姿に向けて善逸は声をかける。映り込んだ自身の姿は、漆黒の髪が重たく下がりその前髪から目ばかりが明るく黄色に光っていて、自分であるはずなのにどうにも不気味に思えた。
「学校、行かなきゃ……」
必死に言い聞かせるように独り言を吐き出すと、緩慢な動きで身支度を始める。部屋の外からは、同居している祖父の急かす声が響いていた。
学校へ向かう道すがら、善逸の足取りは驚くほどに遅い。頭上の空はどんよりと重く、雨こそ降ってはいないが相変わらず小さく雷鳴が響いていて、善逸の全身を件の感覚が刺激し続けている。抱き続ける恐怖は相も変わらず善逸の中に燻っていて、足取りをさらに遅くさせていた。
憂鬱に憂鬱が重なって、その口からはとんでもなく重たいため息が落ちる。それでも学校へと向かう理由はただ一つだ。
「善逸! おはよう」
「おはよ、炭治郎」
幼馴染みであり友である、炭治郎に会うためだった。善逸にとって唯一と言っても過言ではない友であり、炭治郎と一緒にいると落ち着くのだ。そして、善逸のことを気味悪がったりすることもなければ、炭治郎からはずっと優しい音がしていて一緒にいると幸せな気持ちを抱くことも出来るのだ。
炭治郎は誰に対しても人当たりが良く、いわゆる人気者というやつだと善逸は思っている。そんな彼が頑なに善逸のことを優先し、共に在り続けていることは不思議でもあった。
以前その疑問を思い切って本人にぶつけてみたことがある。すると彼は「俺が善逸のことを大事に思っているから、ではだめか?」と逆に尋ねられて、妙にどぎまぎしてしまった。
天気こそどんよりしていたが、炭治郎が隣にいるだけでそれが全く気にならなくなってしまう。そういう奴なのだ。そして
善逸自身、それに大いに救われてきた。
「ありがとな、炭治郎」
「何がだ?」
「毎朝、わざわざ遠回りになるのに俺の家に寄ってくれて」
「何を言っているんだ? 今更だし、気にしなくていいぞ。俺がそうしたいだけなんだから」
いつものように爽やかな笑みと物言いで炭治郎は善逸の隣を歩いている。彼の実直さの伝わる佇まいは、多くの人を惹きつけるものがあった。
かく言う善逸もその一人で炭治郎の人柄はもちろん、友として大切に思っている。もちろん、当人にそんな話はしたことがない。はずかしいと感じるのもあるが、そんなことを告げられたところで彼を困らせてしまうだけだろうと思っているところも大きかった。
そんな爽やかで実直な好青年と言って申し分ない炭治郎から、たまにではあるのだが張り詰めた焦りにも似た音を感じることがある。いつもは本人を正しくそして正確に表現したような優しい音が聴こえてくるのだが、どうして炭治郎をこんなにも緊張させるものがあるのかは甚だ疑問だった。
そしてこの音が聴こえてくると、決まって炭治郎は姿を消すのだ。いつからだったか肌身離さず携えるようになった長い筒状の鞄を持ち、いなくなる。彼がどこへ行き、何をしているのかを善逸は全く知らない。下手くそな嘘とともに何処かへ行っては、帰ってくる。 善逸はそんな炭治郎の様子を心配し、そして本人が明かそうとしないとはいえ何もできない自身に不甲斐なさすら感じていた。
「どうかしたのか? 善逸?」
「へ? どうもしない、けど……」
内心の複雑な想いを反映するように、善逸の言葉は語尾に向かって歯切れが悪くなっていく。
「気になることでもあるのか?」
「ううん、何もないって」
心底から心配という様子と、その状況を裏打ちする音が聴こえて善逸は思わず否定の色が滲む言葉を重ねた。善逸の言動に思うところがあるらしい炭治郎は、じろりとその視線を疑いの色に染めている。
これ以上の心配をかけたくないはずが、新たな心配を生み出してしまったことに、善逸は愕然とするばかりだった。
「善逸」
「何もないって。早く行こうぜ、このままじゃ遅刻だ」
駆け出した善逸の背中の方から、炭治郎の慌てた呼び声が聴こえていはいたが、いまこの心境を悟らせたくはない。
(俺なんかのために炭治郎が悩んじゃだめだ)
炭治郎が知れば恐らくは怒るであろうそんな想いを胸に抱きながら、善逸はひたすらに通学路を駆けた。
いつだったか、炭治郎はその目を疑うような出来事に遭遇したことがある。それは
重い雲が空を覆い、雷鳴が低く響く中で目の前の善逸はいかにも調子が悪いという様子で項垂れた。
本人がいつも天気の悪い日は自分の体調も良くないと言っていたことが、炭治郎の中で思い起こされる。幼馴染みである彼のそういった部分はたくさん見てきたが、何度見てもこの善逸の様子は不安を抱かずにはいられない。
「善逸?」
「んん……」
「早く帰った方がいいんじゃないか?」
「……やだ」
予想外の答えに炭治郎は思わず、返す言葉を見失う。
「善逸!」
「一緒にいてよ、たんじろお……」
そう言って甘えたような声を出す善逸だが、顔面は真っ青になり歩く身体はぐらぐらと揺れていた。
「一旦、落ち着いた方がいいな?」
善逸のあまりに弱りきった姿を支えながら炭治郎は、ぐるりとあたりを見渡すが特に休めるような場所もない。ただただ歩道と車道、そして住宅が続くばかりの一本道なのだ。
どうしたものかと思う間にも善逸の身体は揺れ続ける。ひとまず炭治郎は道の端へと寄ってから、善逸の身体を強引に自身の方へと引き寄せた。
「たんじろ?」
「何もしないよりは、この方がマシだろう?」
「ん、ありがとう」
取り立てて抵抗することもなく、炭治郎にもたれ掛かり善逸はただ静かに呼吸だけをしている。その息は荒く、肩が大きく揺れるほどのものだ。
「大丈夫なのか?」
「しばらくしたら戻ると思うから。ごめんな」
善逸は問い掛けられた言葉に、どうにもはっきりとしない表現を返す。
そのとき炭治郎の視界に善逸の、黒の絵具で染め上げたような真っ黒な髪の毛がぴりぴりと静電気で逆立っているかのように映った。
突然どうしたことかとその様子に見入っていると、その逆立った髪の毛の中に金色が混ざりはじめている。目の錯覚かと思い、炭治郎は自身の目を擦ってみたがその様子に変わりはない。反射的に善逸の肩を強く揺すってみると、それは初めからなかったかのようにいつもの黒髪へと戻っていた。その代わりに、びりびりと電気が通ったような感覚が炭治郎を支配する。
(なんだ……今の……)
得体の知れない感覚に、何が起きたのか分からずにその手を見つめるばかりだ。
「炭治郎、どうかしたか?」
すっかり復調したらしい善逸が、炭治郎の様子をうかがっている。
「いや、なんでもないよ」
「そっか?」
炭治郎から身を離した善逸は、いまいち状況が飲み込めずに首を傾げてみせた。なんでもない、そう答えながらも炭治郎の脳裏には、先の光景がすっかり焼きついて離れない。
あれは、一体なんだったのだろうか。
駆け出した善逸の髪にいつぞやのように、ちらりと金色が混ざる。
「待ってくれ! 善逸!」
炭治郎がその手を必死に伸ばした。それに反して駆ける善逸の背中はどんどん小さくなり、炭治郎から離れていく。
一方その善逸は、起床したときよりも更にちりちりと自身を苛む電気的な刺激をその身に感じていた。いつものものよりも激しく、強いその刺激は彼の身の内に在るだけにとどまらず、何かの到来を予感させる。よくないものがやってくる、そんな嫌な予感もまた善逸を刺激していた。
「だめだ、止まるんだ善逸!」
炭治郎の声は格段に切羽詰まったものへと変わっている。立ち止まり、振り返った善逸の目に映る炭治郎の表情は焦りに染まったもので、視線は善逸をこえたさらに向こうを見据えていた。
どんどんと辺りが暗くなっていく、朝のはずなのに曇空どころではないほどの暗闇がみるみる広がっていく。
「なんだこの音……」
善逸の鋭敏な聴覚に、彼の今まで聴いたことのないような音が飛び込み続けていた。得体の知れない、そしてこの世のものとも思えないようなその音は、恐怖となって彼の耳に刻み込まれていく。
炭治郎は必死に善逸の方へ手を伸ばすと、立ち尽くすばかりとなっている彼の肩に手をかけた。
「たんじろ……変な音がするんだ、ぎぃって聴いたことのないような気持ち悪い音……」
身体も声も恐怖に震わせながら、訴えかけるその姿は怯えきっている。炭治郎は何を言うでもなく善逸に寄り添うと、やはり真っ直ぐにその先へと視線を向けた。
「音が、大きくなってる……」
「この匂い、間違いない」
「……なに? たんじろ、これ知ってんの……?」
善逸の問いかけに答えるか否か、炭治郎は躊躇する。無言のまま、時間だけが過ぎるが、彼らの目に映る状況は全く持って変わりはしなかった。寧ろ、状況は悪くなっているようにすら思える。
一層立ち込める信じられないような漆黒。その内から、異形の気配と姿があらわになっていく。この世のものとは思えないおどろおどろしいその姿は、炭治郎と善逸のことを見据えて、吐き気を催すような笑みを浮かべた。
その姿に、その様子に、善逸の全身が戦慄する。善逸に寄り添い続けながら炭治郎は、異形の者を睨みつけた。
『オマエら……ウマソウだ。オマエら食って強くナル』
姿に違わぬこの世からは異質と感じられるような声は、善逸の鋭敏な聴覚をことさら刺激する。恐ろしいほどの圧迫感だった。
はぁ、はぁ、緊張と恐怖そして異形の圧迫感に気圧され、善逸の呼吸は荒くそして浅いものになる。その姿に炭治郎は下唇を血が滲むほどに噛み、今まで横に並び寄り添っていた身体を一歩進めると、異形から善逸を守るように立ちながら筒状の細長い鞄に手をかけた。
『オマエ、なんだ?』
「俺の名は竈門炭治郎。お前ら鬼を狩る者だ」
異形の者、鬼の問いに炭治郎は朗々と強い意志を感じさせる声で自身の名を名乗り上げる。
「鬼を、狩る? 炭治郎、お前……」
「今まで黙っていてすまない。お前には平和に暮らして欲しくて……ごめんな」
『鬼狩リ! コロス!』
鬼から向けられる純粋な殺意に炭治郎は怯むことなく、筒状の鞄の中から得物を握り構えた。漆黒の刀身を持つ刀、それはまごうことなく本物だ。抜き放つ音ははっきりと金属の音がしたからである。
「なんで……」
訳のわからないままうわ言のように呟く善逸に、安堵したようなそれでいて苦しげな笑みで炭治郎は一度振り返り、早く逃げるように言うとすぐに鬼の方へと向き直った。
その次の瞬間には、鬼が振り上げた腕を炭治郎に向けて力の限り振るう。手にした刀でその一撃を受けると、足を踏ん張り化け物の一撃を見事に押し返してみせた。
「水の呼吸 壱ノ型! 水面斬り!」
炭治郎の声が凛と響く。同時に一気に鬼との間合いを詰め、交差し横に引かれた腕から水平にその刀身が振るわれた。その一振りは鬼の胸元を斬りつけるが、とどめを刺すには至らない。
「……っ」
言葉にもならない炭治郎の声は、僅かであるが焦りが滲む。ゆらゆらとそしてゆっくり動いているように見える鬼だが、一度戦闘となると驚くほどの速さで回避行動をしているようだった。それは、自動で行われている反射行動と言えるようなものである。鬼が意識せずとも危険を感じれば身体が動くという、生き物としては当然と言える動作ではあるのだが、これは炭治郎にしてみれば厄介なものだった。
(どうする、速さを攻略するには……不意を突くか、この速さの上を行く速さのものを繰り出すか…。俺の攻撃では速さを求めるよりも不意を突く方が現実的か)
警戒を怠ることなく炭治郎は、次のための思案を巡らせる。鬼は次から次へと拳を振り上げ、その爪で地面を壁を抉り続けた。
少し離れたところで善逸は、目の前で繰り広げられている戦いをじっと見つめている。逃げろ、とそう言われ、気持ちとしては逃げたくてたまらないはずなのだが、童してもここを離れてはいけないような、そんな気がしていた。
鬼の伸びた腕が、善逸の方へと飛ぶ。かろうじて止まったそれは、善逸の少し前の地面を鈍い音とともに抉っていく。
「善逸! そんなところにいたらだめだ!」
振り返りもしない炭治郎が、怒声だけを善逸へ向けた。そして鬼を翻弄するような水流の如き足運びとともに、炭治郎は再び動く。
「水の呼吸 参ノ型! 流流舞い!」
しかしこれもまた鬼の反射防御行動によって、あと一歩のところを詰めきれない。次の一手を繰り出そうとしたまさにその時だ。
「炭治郎!」
叫びとも取れるような呼び声とともに、炭治郎の身体の右後ろに衝撃が走る。そのままバランスを崩した身体は前に向かって倒れていくが、空中で鬼の振り下ろされた腕とすれ違った。衝撃によって前のめりなっていなければ、そのまま鬼の腕の餌食になっていたかも知れない。
何とかその場に踏みとどまった炭治郎が、鬼を牽制しつつ思わず振り返るとすっかり足が震えて、瞳には大粒の涙を浮かべた善逸の姿があった。
「どうして逃げなかったんだ!」
炭治郎の再びの怒声を全く無視して、善逸は炭治郎の一歩前に進み出る。その膝はがくがくと震えていて、その姿だけで充分すぎるほどに恐怖を感じていることが伝わった。それでも彼はその場から動こうとはしない。
「善逸!」
「た、炭治郎は……俺が守るんだ!」
臆病さの残るものだが、しっかりとした意志を感じさせる善逸の声が響く。すると、ぱりぱりと静電気と言うには大きく、雷というには軽すぎる音がどこからか鳴り始めた。
炭治郎は目の前の善逸の姿に釘付けになる。何故ならば、先ほどのとは比べものにならないほどに善逸の黒髪が逆立ち、浮き上がった毛が細かな電流を帯びながら金色へと染まっていった。
「ぜん……いつ……?」
にわかには信じ難い光景であったが、その姿は炭治郎の中にある今生ではない記憶と全くの違和感なく重なる。真っ直ぐそしてしっかりと立つ善逸のその気配に鬼は気圧されて、その動きが鈍った。善逸の気配は後ろに立つ炭治郎にもはっきりと伝わり、そのびりびりと痺れるような気配は自身に向けられていなくとも立ち竦んでしまいそうなものだ。
しかし立ち竦むわけにもいかない、ましてやそうする理由もない。動きの鈍った鬼に一撃を加えるべく地面を蹴る。
「ヒノカミ神楽! 円舞!」
縁を描くように振るわれた一撃は、円状の残像を赤く描きながら鬼の頸を静かに落とした。その次の瞬間に鬼は、その斬り落とされた頸と離れた身体とがともに崩れて霧散していく。
その姿を見届けると善逸は、膝からその場に崩れ落ちた。
「善逸、大丈夫か!」
慌てて駆け寄ろうと踵を返した炭治郎の目に映ったのは、地面にぺたりと座り込み涙ぐみながらも花の綻ぶようなあたたかな笑みを浮かべる善逸の姿だ。
「大丈夫、大丈夫だよ」
善逸はぽろぽろと涙を流しながら、炭治郎に対しても自分に対しても言い聞かせるように言って微笑む。その様子は炭治郎には、とても美しく愛おしいものに思えた。
「俺、お前の役に立てた……?」
「当たり前だろう。善逸がいなかったらどうなっていたか……」
「そっか」
満足げな善逸の様子は、黒髪だったことなど既に思い出せなくなるほどの美しい金糸とともに、雲が途切れ差し込み始めた光によって輝く。
「そういえば、髪の色が……」
おずおずと炭治郎の口にしたことが、善逸にはどうやら理解に至っていないようで、不思議そうな何とも間抜けな表情で前髪を掴んだ。そしてみるみる表情が驚きに染っていく。
「えっ、は? さっきまで黒かったじゃん、どういうことなの!」
当然と言えば当然な言葉をまくし立てる様子に、炭治郎は思わず吹き出してしまった。
「笑ってる場合じゃないんだよ、たんじろぉ!」
先程までの姿はどこへやら、見るからに情けない様子で泣きつく善逸は幼馴染みのいつもの姿でもあり、今生とは別であるいつかの記憶ともまた重なる。後者がどうにも炭治郎としては複雑な気持ちを抱いてしまい、その表情にも影が差した。
「……何でそんなに分かりやすく、複雑~って感じになってんの。……せっかく、いろいろ思い出したのにさ」
「……今、何て」
「二度は言わねぇよ」
善逸は意地の悪い笑みとともに、炭治郎を見つめている。あまりにもころころと変わる様子はまるで翻弄するようで、炭治郎もまた笑うことしな出来なくなる。
「別に怖いものじゃ、なかったんだな……」
「何か言ったか?」
「ん~? もうすっかり調子良くなったなって」
「そうか! 良かったな!」
今までずっと恐怖してきたもの、それは得体が知れないと感じていたからというそれだけで、蓋を開けてみれば何よりも大切なものだった。善逸はすっかり消え失せてしまったちりちりと脳の回路が焼くような錯覚へ思いを馳せると、晴れやかかつ落ち着いた様子で空を見上げる。
すっかり雲も晴れ、澄んだ青い色が広がる空は何かを祝っているようだった。
「漆黒よ金色への道を往け―一閃版―」
ちりちりと脳の回路を焼くような錯覚が全身を駆け巡る。昔から、雷の鳴る日はいつもこうだった。
何故かはしらない、だがこの感覚は決まって善逸のなかで毎度存在を主張する。幼いころからずっとのことではあったが、何度体験してもこの感覚に慣れることはない。全身を電気が駆け巡り、何かを呼び起こそうとしている。そんな感覚はその何かに対する興味よりも、呼び起こされようとしているものへの恐怖となって善逸の中に強く刻まれていたからだ。
だから雨も、雨雲も、雷雲も、ありとあらゆる雷へと繋がる天候が善逸は嫌いだった。寧ろ晴れていても落ちる雷を嫌悪していると言って差し支えがないほどだ。雷への畏怖というよりは、雷への圧倒的な恐怖が善逸の気持ちを内側へ内側へと追いやり、物理的にも精神的にも内向的かつ内向きな人間へと成長を遂げさせていた。
加えて彼はとてつもなく鋭い聴覚を生まれつき持ち合わせていて、その鋭敏さは誰かの声にとどまらず想いや考えていることまでもが、半ば筒抜けになってしまうほどである。身体から出る音までもを聴き分け、それほどの聴力であれば大半のものを聴き逃すことも起こらない。さらには、寝ている間の音も承知していることがあるのだから本人としても、気持ちがわるいと考えてしまわずにはいられないというものだった。
そんなことを思い起こしてしまうと何となく学校へ行くという行動そのものに前向きになれず、薄ぼんやりと外を見つめていればこの有様である。
「はぁ、雷に叱られてんのかな? 俺……」
窓に映る自分の姿に向けて善逸は声をかける。映り込んだ自身の姿は、漆黒の髪が重たく下がりその前髪から目ばかりが明るく黄色に光っていて、自分であるはずなのにどうにも不気味に思えた。
「学校、行かなきゃ……」
必死に言い聞かせるように独り言を吐き出すと、緩慢な動きで身支度を始める。部屋の外からは、同居している祖父の急かす声が響いていた。
学校へ向かう道すがら、善逸の足取りは驚くほどに遅い。頭上の空はどんよりと重く、雨こそ降ってはいないが相変わらず小さく雷鳴が響いていて、善逸の全身を件の感覚が刺激し続けている。抱き続ける恐怖は相も変わらず善逸の中に燻っていて、足取りをさらに遅くさせていた。
憂鬱に憂鬱が重なって、その口からはとんでもなく重たいため息が落ちる。それでも学校へと向かう理由はただ一つだ。
「善逸! おはよう」
「おはよ、炭治郎」
幼馴染みであり友である、炭治郎に会うためだった。善逸にとって唯一と言っても過言ではない友であり、炭治郎と一緒にいると落ち着くのだ。そして、善逸のことを気味悪がったりすることもなければ、炭治郎からはずっと優しい音がしていて一緒にいると幸せな気持ちを抱くことも出来るのだ。
炭治郎は誰に対しても人当たりが良く、いわゆる人気者というやつだと善逸は思っている。そんな彼が頑なに善逸のことを優先し、共に在り続けていることは不思議でもあった。
以前その疑問を思い切って本人にぶつけてみたことがある。すると彼は「俺が善逸のことを大事に思っているから、ではだめか?」と逆に尋ねられて、妙にどぎまぎしてしまった。
天気こそどんよりしていたが、炭治郎が隣にいるだけでそれが全く気にならなくなってしまう。そういう奴なのだ。そして
善逸自身、それに大いに救われてきた。
「ありがとな、炭治郎」
「何がだ?」
「毎朝、わざわざ遠回りになるのに俺の家に寄ってくれて」
「何を言っているんだ? 今更だし、気にしなくていいぞ。俺がそうしたいだけなんだから」
いつものように爽やかな笑みと物言いで炭治郎は善逸の隣を歩いている。彼の実直さの伝わる佇まいは、多くの人を惹きつけるものがあった。
かく言う善逸もその一人で炭治郎の人柄はもちろん、友として大切に思っている。もちろん、当人にそんな話はしたことがない。はずかしいと感じるのもあるが、そんなことを告げられたところで彼を困らせてしまうだけだろうと思っているところも大きかった。
そんな爽やかで実直な好青年と言って申し分ない炭治郎から、たまにではあるのだが張り詰めた焦りにも似た音を感じることがある。いつもは本人を正しくそして正確に表現したような優しい音が聴こえてくるのだが、どうして炭治郎をこんなにも緊張させるものがあるのかは甚だ疑問だった。
そしてこの音が聴こえてくると、決まって炭治郎は姿を消すのだ。いつからだったか肌身離さず携えるようになった長い筒状の鞄を持ち、いなくなる。彼がどこへ行き、何をしているのかを善逸は全く知らない。下手くそな嘘とともに何処かへ行っては、帰ってくる。 善逸はそんな炭治郎の様子を心配し、そして本人が明かそうとしないとはいえ何もできない自身に不甲斐なさすら感じていた。
「どうかしたのか? 善逸?」
「へ? どうもしない、けど……」
内心の複雑な想いを反映するように、善逸の言葉は語尾に向かって歯切れが悪くなっていく。
「気になることでもあるのか?」
「ううん、何もないって」
心底から心配という様子と、その状況を裏打ちする音が聴こえて善逸は思わず否定の色が滲む言葉を重ねた。善逸の言動に思うところがあるらしい炭治郎は、じろりとその視線を疑いの色に染めている。
これ以上の心配をかけたくないはずが、新たな心配を生み出してしまったことに、善逸は愕然とするばかりだった。
「善逸」
「何もないって。早く行こうぜ、このままじゃ遅刻だ」
駆け出した善逸の背中の方から、炭治郎の慌てた呼び声が聴こえていはいたが、いまこの心境を悟らせたくはない。
(俺なんかのために炭治郎が悩んじゃだめだ)
炭治郎が知れば恐らくは怒るであろうそんな想いを胸に抱きながら、善逸はひたすらに通学路を駆けた。
いつだったか、炭治郎はその目を疑うような出来事に遭遇したことがある。それは
重い雲が空を覆い、雷鳴が低く響く中で目の前の善逸はいかにも調子が悪いという様子で項垂れた。
本人がいつも天気の悪い日は自分の体調も良くないと言っていたことが、炭治郎の中で思い起こされる。幼馴染みである彼のそういった部分はたくさん見てきたが、何度見てもこの善逸の様子は不安を抱かずにはいられない。
「善逸?」
「んん……」
「早く帰った方がいいんじゃないか?」
「……やだ」
予想外の答えに炭治郎は思わず、返す言葉を見失う。
「善逸!」
「一緒にいてよ、たんじろお……」
そう言って甘えたような声を出す善逸だが、顔面は真っ青になり歩く身体はぐらぐらと揺れていた。
「一旦、落ち着いた方がいいな?」
善逸のあまりに弱りきった姿を支えながら炭治郎は、ぐるりとあたりを見渡すが特に休めるような場所もない。ただただ歩道と車道、そして住宅が続くばかりの一本道なのだ。
どうしたものかと思う間にも善逸の身体は揺れ続ける。ひとまず炭治郎は道の端へと寄ってから、善逸の身体を強引に自身の方へと引き寄せた。
「たんじろ?」
「何もしないよりは、この方がマシだろう?」
「ん、ありがとう」
取り立てて抵抗することもなく、炭治郎にもたれ掛かり善逸はただ静かに呼吸だけをしている。その息は荒く、肩が大きく揺れるほどのものだ。
「大丈夫なのか?」
「しばらくしたら戻ると思うから。ごめんな」
善逸は問い掛けられた言葉に、どうにもはっきりとしない表現を返す。
そのとき炭治郎の視界に善逸の、黒の絵具で染め上げたような真っ黒な髪の毛がぴりぴりと静電気で逆立っているかのように映った。
突然どうしたことかとその様子に見入っていると、その逆立った髪の毛の中に金色が混ざりはじめている。目の錯覚かと思い、炭治郎は自身の目を擦ってみたがその様子に変わりはない。反射的に善逸の肩を強く揺すってみると、それは初めからなかったかのようにいつもの黒髪へと戻っていた。その代わりに、びりびりと電気が通ったような感覚が炭治郎を支配する。
(なんだ……今の……)
得体の知れない感覚に、何が起きたのか分からずにその手を見つめるばかりだ。
「炭治郎、どうかしたか?」
すっかり復調したらしい善逸が、炭治郎の様子をうかがっている。
「いや、なんでもないよ」
「そっか?」
炭治郎から身を離した善逸は、いまいち状況が飲み込めずに首を傾げてみせた。なんでもない、そう答えながらも炭治郎の脳裏には、先の光景がすっかり焼きついて離れない。
あれは、一体なんだったのだろうか。
駆け出した善逸の髪にいつぞやのように、ちらりと金色が混ざる。
「待ってくれ! 善逸!」
炭治郎がその手を必死に伸ばした。それに反して駆ける善逸の背中はどんどん小さくなり、炭治郎から離れていく。
一方その善逸は、起床したときよりも更にちりちりと自身を苛む電気的な刺激をその身に感じていた。いつものものよりも激しく、強いその刺激は彼の身の内に在るだけにとどまらず、何かの到来を予感させる。よくないものがやってくる、そんな嫌な予感もまた善逸を刺激していた。
「だめだ、止まるんだ善逸!」
炭治郎の声は格段に切羽詰まったものへと変わっている。立ち止まり、振り返った善逸の目に映る炭治郎の表情は焦りに染まったもので、視線は善逸をこえたさらに向こうを見据えていた。
どんどんと辺りが暗くなっていく、朝のはずなのに曇空どころではないほどの暗闇がみるみる広がっていく。
「なんだこの音……」
善逸の鋭敏な聴覚に、彼の今まで聴いたことのないような音が飛び込み続けていた。得体の知れない、そしてこの世のものとも思えないようなその音は、恐怖となって彼の耳に刻み込まれていく。
炭治郎は必死に善逸の方へ手を伸ばすと、立ち尽くすばかりとなっている彼の肩に手をかけた。
「たんじろ……変な音がするんだ、ぎぃって聴いたことのないような気持ち悪い音……」
身体も声も恐怖に震わせながら、訴えかけるその姿は怯えきっている。炭治郎は何を言うでもなく善逸に寄り添うと、やはり真っ直ぐにその先へと視線を向けた。
「音が、大きくなってる……」
「この匂い、間違いない」
「……なに? たんじろ、これ知ってんの……?」
善逸の問いかけに答えるか否か、炭治郎は躊躇する。無言のまま、時間だけが過ぎるが、彼らの目に映る状況は全く持って変わりはしなかった。寧ろ、状況は悪くなっているようにすら思える。
一層立ち込める信じられないような漆黒。その内から、異形の気配と姿があらわになっていく。この世のものとは思えないおどろおどろしいその姿は、炭治郎と善逸のことを見据えて、吐き気を催すような笑みを浮かべた。
その姿に、その様子に、善逸の全身が戦慄する。善逸に寄り添い続けながら炭治郎は、異形の者を睨みつけた。
『オマエら……ウマソウだ。オマエら食って強くナル』
姿に違わぬこの世からは異質と感じられるような声は、善逸の鋭敏な聴覚をことさら刺激する。恐ろしいほどの圧迫感だった。
はぁ、はぁ、緊張と恐怖そして異形の圧迫感に気圧され、善逸の呼吸は荒くそして浅いものになる。その姿に炭治郎は下唇を血が滲むほどに噛み、今まで横に並び寄り添っていた身体を一歩進めると、異形から善逸を守るように立ちながら筒状の細長い鞄に手をかけた。
『オマエ、なんだ?』
「俺の名は竈門炭治郎。お前ら鬼を狩る者だ」
異形の者、鬼の問いに炭治郎は朗々と強い意志を感じさせる声で自身の名を名乗り上げる。
「鬼を、狩る? 炭治郎、お前……」
「今まで黙っていてすまない。お前には平和に暮らして欲しくて……ごめんな」
『鬼狩リ! コロス!』
鬼から向けられる純粋な殺意に炭治郎は怯むことなく、筒状の鞄の中から得物を握り構えた。漆黒の刀身を持つ刀、それはまごうことなく本物だ。抜き放つ音ははっきりと金属の音がしたからである。
「なんで……」
訳のわからないままうわ言のように呟く善逸に、安堵したようなそれでいて苦しげな笑みで炭治郎は一度振り返り、早く逃げるように言うとすぐに鬼の方へと向き直った。
その次の瞬間には、鬼が振り上げた腕を炭治郎に向けて力の限り振るう。手にした刀でその一撃を受けると、足を踏ん張り化け物の一撃を見事に押し返してみせた。
「水の呼吸 壱ノ型! 水面斬り!」
炭治郎の声が凛と響く。同時に一気に鬼との間合いを詰め、交差し横に引かれた腕から水平にその刀身が振るわれた。その一振りは鬼の胸元を斬りつけるが、とどめを刺すには至らない。
「……っ」
言葉にもならない炭治郎の声は、僅かであるが焦りが滲む。ゆらゆらとそしてゆっくり動いているように見える鬼だが、一度戦闘となると驚くほどの速さで回避行動をしているようだった。それは、自動で行われている反射行動と言えるようなものである。鬼が意識せずとも危険を感じれば身体が動くという、生き物としては当然と言える動作ではあるのだが、これは炭治郎にしてみれば厄介なものだった。
(どうする、速さを攻略するには……不意を突くか、この速さの上を行く速さのものを繰り出すか…。俺の攻撃では速さを求めるよりも不意を突く方が現実的か)
警戒を怠ることなく炭治郎は、次のための思案を巡らせる。鬼は次から次へと拳を振り上げ、その爪で地面を壁を抉り続けた。
少し離れたところで善逸は、目の前で繰り広げられている戦いをじっと見つめている。逃げろ、とそう言われ、気持ちとしては逃げたくてたまらないはずなのだが、童してもここを離れてはいけないような、そんな気がしていた。
鬼の伸びた腕が、善逸の方へと飛ぶ。かろうじて止まったそれは、善逸の少し前の地面を鈍い音とともに抉っていく。
「善逸! そんなところにいたらだめだ!」
振り返りもしない炭治郎が、怒声だけを善逸へ向けた。そして鬼を翻弄するような水流の如き足運びとともに、炭治郎は再び動く。
「水の呼吸 参ノ型! 流流舞い!」
しかしこれもまた鬼の反射防御行動によって、あと一歩のところを詰めきれない。次の一手を繰り出そうとしたまさにその時だ。
「炭治郎!」
叫びとも取れるような呼び声とともに、炭治郎の身体の右後ろに衝撃が走る。そのままバランスを崩した身体は前に向かって倒れていくが、空中で鬼の振り下ろされた腕とすれ違った。衝撃によって前のめりなっていなければ、そのまま鬼の腕の餌食になっていたかも知れない。
何とかその場に踏みとどまった炭治郎が、鬼を牽制しつつ思わず振り返るとすっかり足が震えて、瞳には大粒の涙を浮かべた善逸の姿があった。
「どうして逃げなかったんだ!」
炭治郎の再びの怒声を全く無視して、善逸は炭治郎の一歩前に進み出る。その膝はがくがくと震えていて、その姿だけで充分すぎるほどに恐怖を感じていることが伝わった。それでも彼はその場から動こうとはしない。
「善逸!」
「た、炭治郎は……俺が守るんだ!」
臆病さの残るものだが、しっかりとした意志を感じさせる善逸の声が響く。すると、ぱりぱりと静電気と言うには大きく、雷というには軽すぎる音がどこからか鳴り始めた。
炭治郎は目の前の善逸の姿に釘付けになる。何故ならば、先ほどのとは比べものにならないほどに善逸の黒髪が逆立ち、浮き上がった毛が細かな電流を帯びながら金色へと染まっていった。
「ぜん……いつ……?」
にわかには信じ難い光景であったが、その姿は炭治郎の中にある今生ではない記憶と全くの違和感なく重なる。真っ直ぐそしてしっかりと立つ善逸のその気配に鬼は気圧されて、その動きが鈍った。善逸の気配は後ろに立つ炭治郎にもはっきりと伝わり、そのびりびりと痺れるような気配は自身に向けられていなくとも立ち竦んでしまいそうなものだ。
「炭治郎」
決して大きな声ではない、しかし静かでいてはっきりと聞こえるその一声で炭治郎は全てを察する。自身の手にした得物とそれを納めていた入れ物を握り直し、目の前の善逸の方へ向けて放った。
「善逸っ!」
ここに誰かがいたならば、きっとこれは愚策だと言うだろう。しかし、炭治郎にははっきりと分かるのだ。今の善逸はこの行為を無駄にはしない、愚かな結末など迎えるはずがない。
彼は、我妻善逸なのだから。
利き手で刀を、逆の手で入れ物を見事に受け止めた善逸は、そのまま慣れた手つきで刀を納めると体勢を落として重心を低く構えた。びりびりと相変わらず痺れるような気配とともに空気が震え、鬼とて一歩も動くことは叶わない。
「雷の呼吸、壱ノ型。霹靂一閃」
静かで落ち着きを払った揺れひとつない声とともに、空気をも裂くほどの鋭い一閃が鬼の頸を見事に落とした。頸はもちろん、それを失った胴体もまた灰となって散っていく。そしてそこには静寂があった。
「善逸!」
あまりの静けさに呆気に取られそうになった炭治郎だが、そうしているわけにもいかないと自身を奮い立たせてなんとか前に立つ美しい金糸をなびかせる善逸へと声をかける。振り返った彼からは、少しの悲しみと多くの喜びの匂いがした。
「大丈夫、大丈夫だよ」
善逸はついに涙腺が崩壊してしまったらしくぽろぽろと涙を流しながら、炭治郎に対しても自分に対しても言い聞かせるように言って微笑む。その様子は炭治郎には、とても美しく愛おしいものに思えた。
「俺、お前の役に立てた……?」
「当たり前だろう。善逸がいなかったらどうなっていたか……」
「そっか」
満足げな善逸の様子は、黒髪だったことなど既に思い出せなくなるほどの美しい金糸とともに、雲が途切れ差し込み始めた光によって輝く。
「そういえば、髪の色が……」
おずおずと炭治郎の口にしたことが、善逸にはどうやら理解に至っていないようで、不思議そうな何とも間抜けな表情で前髪を掴んだ。そしてみるみる表情が驚きに染っていく。
「えっ、は? さっきまで黒かったじゃん、どういうことなの!」
当然と言えば当然な言葉をまくし立てる様子に、炭治郎は思わず吹き出してしまった。
「笑ってる場合じゃないんだよ、たんじろぉ!」
先程までの姿はどこへやら、見るからに情けない様子で泣きつく善逸は幼馴染みのいつもの姿でもあり、今生とは別であるいつかの記憶ともまた重なる。後者がどうにも炭治郎としては複雑な気持ちを抱いてしまい、その表情にも影が差した。
「……何でそんなに分かりやすく、複雑~って感じになってんの。……せっかく、いろいろ思い出したのにさ」
「……今、何て」
「二度は言わねぇよ」
善逸は意地の悪い笑みとともに、炭治郎を見つめている。あまりにもころころと変わる様子はまるで翻弄するようで、炭治郎もまた笑うことしな出来なくなる。
「別に怖いものじゃ、なかったんだな……」
「何か言ったか?」
「ん~? もうすっかり調子良くなったなって」
「そうか! 良かったな!」
今までずっと恐怖してきたもの、それは得体が知れないと感じていたからというそれだけで、蓋を開けてみれば何よりも大切なものだった。善逸はすっかり消え失せてしまったちりちりと脳の回路が焼くような錯覚へ思いを馳せると、晴れやかかつ落ち着いた様子で空を見上げる。
すっかり雲も晴れ、澄んだ青い色が広がる空は何かを祝っているようだった。
