廊下の一つの扉を挟んで、睨み合う男性が二人。
一方は竈門炭治郎、一方は我妻善逸。二人はこの部屋に暮らす同居人であり、恋人である。
だが、その二人は睨み合っていた。なぜなら扉の向こうに用があるのは二人ともであり、その順番はてこでも互いが譲りたくないものだったからだ。
「炭治郎、どいてくれる?」
「善逸こそ」
二人はその場で互いを威嚇する。自分こそがその場所へ先に至るのだという、気概を確かに感じさせた。一進一退の攻防を視線のみで繰り広げながら、炭治郎もそして善逸も一歩も引かない。この状況は変わることなく続いている。
「行かないなら、俺が先に行くよ」
「だめだ、俺が先に行く」
善逸が再び口火を切って状況を変えようとするが、炭治郎がそれを許さない。冷戦状態が続く理由となっている扉の先にあるのはトイレだ。
トイレに行く順序はどちらが先か、それだけを巡った争いが今この瞬間に繰り広げられている。なんと不毛な争いだろうか。しかし、彼らにしてみれば不毛でもなんでもない。この上なく真剣で、この上なく真面目な、戦いだった。
「俺そろそろ我慢できないの!」
睨み合いの均衡状態を崩したのは善逸だ。彼はトイレの扉へと一歩進み出ると、そのままドアノブへと手を伸ばす。だが、その手を炭治郎が弾いた。
「止めるなよ炭治郎!」
「俺だって、そろそろ我慢の限界だ」
「長男だろ、ちょっと我慢してくれたっていいじゃん!」
「そこは長男関係ないだろ!」
あまりにも不毛かつ理不尽なやり取りが始まる。善逸はいつも謎の長男理論を持ち出すくせに、とひとりごちながらも必死にトイレの扉へと手を伸ばした。だがやはりそれを炭治郎が阻止して振り出しに戻る。堂々巡りだった。
「あ! あっちに何か!」
「その手は食わないぞ」
「ちぇっ」
炭治郎の気を散らそうという善逸の露骨な作戦は案の定失敗に終わり、不貞腐れた善逸は視線を逸らす。その瞬間に炭治郎が逆にトイレのドアノブに手を伸ばそうと一歩動いた。すると今度は、善逸の方が炭治郎のことを阻む。
またしても一進一退、互いが譲れない状態の中で睨み合いそして張り合っていた。そうしている間にも、二人の中で尿意は確かにせり上がってくる。一刻の猶予もなくなる、その瞬間が訪れるのは時間の問題だった。
「頼む、頼むよ、たんじろぉ! 先に行かせてくれって頼むぅ!」
今度の善逸の作戦は泣き落としだ。炭治郎はその善逸の姿に、若干の罪悪感を覚えるがそれでも譲れないと首を横に振る。
「俺の方こそ頼む、切羽詰まっているのはお互い様だが……俺だってかなり我慢したんだ」
あまりに切迫し緊張を帯びた真剣さすら感じる言葉に、善逸は一度は息を呑んだ。流されそうになるのをなんとか堪えて、先程の炭治郎と同様に首を激しく横に振って否定を主張した。
「俺だって、俺だって我慢してんの!」
平行線だ、二人はそう直感する。これはもう実力行使しかない。炭治郎が再び動いた。
素早い動きでドアノブに手をかけると、かちゃりと音が鳴る。しかし、善逸が炭治郎の腰にしがみつきこれ以上の動作を阻んだ。
「やだやだ、俺が先!」
「だめだ、こればかりは譲れない!」
やはり平行線の主張が続く。二人は主張を曲げず、一方は強行突破を試みて一方はそれを全力で阻止すべくしがみついた。拮抗する状況はまるでシーソーゲームだ。
「だめだって、俺が先なの! ねぇ、たんじろぉ!」
善逸の情けない声が廊下にこだまする。それでも炭治郎は必死に踏ん張り、善逸を振り切ろうと必死になっていた。
「いや、悪いが俺が先に行かせてもらうぞ」
発せられる言葉は二人して相変わらずだが、最初の睨み合いよりも明らかに必死さが増す。どうしたものかと二人が二人して思案するが、思案するものはどうすれば自身が先に扉の向こうへ辿り着けるかという一点のみだ。
「ねぇ、炭治郎。お願い」
善逸が一転、上目遣いで炭治郎を見つめる。善逸は知っている、炭治郎が自身のこの動作に弱いのだということを。
「う……」
炭治郎の口から、たまらず声がもれ動作が止まる。
勝負は決まった。
「おっさき〜!」
「あ……」
引き止める暇もなく善逸が扉の向こうへと消えていった。廊下にはがっくりと膝をついた炭治郎の姿だけが残される。
完敗だった。
二人して尿意に打ち勝ち、炭治郎がリビングへと戻ると善逸がソファから振り返り彼を見つめている。
「今日も俺の負けだったな」
「俺は炭治郎の弱点、知ってるからな」
「俺だって、知っているぞ。善逸の弱点」
炭治郎は得意げにいうと、善逸の隣に腰を下ろして彼の耳に息を吹きかけた。
「ひっ」
「ここだ」
「やめろ、よぉ」
善逸は全身を小さく震わせてから、口を尖らせて炭治郎の方を見つめる。その非難の色を帯びた瞳すら先程までとは打って変わって愛おしく思えてきて、炭治郎はそのまま善逸の尖らせた唇に自身のそれを重ねたのだった。
