愛し君へ(znnz)

 キメツ学園の校門の前に一人の女子生徒が立っている。毛先に少し朱色の混ざった長い黒髪をふわりとおろした彼女の様子は、どこか落ち着きがないものだった。校舎側の様子を伺っては、そこから視線をそらすということを繰り返している。事情を知らない人間が傍から見てもわかるほどの落ち着きのなさと、きっと誰かを待っているのだろうと感じさせる様子は微笑ましくもあった。
 一度、視線を地面へと落とした彼女はそのまま小さく唸る。どうやら待ち人は遅れているらしかった。
「はぁ……」
 露骨すぎる大きなため息は、呆れと言うよりは緊張の気配が色濃く滲み、ずんと重く地面に落ちたようにすら思われた。
 ばたばたと慌ただしい足音が響く。どうにも申し分なく急ぎ足なその人物は、焦りの表情を浮かべて必死に走っていた。足取りに合わせて揺れる髪は金色で光が当たりきらきらと小さく光る。
「ごめんね、禰豆子ちゃん……遅くなっちゃって……」
 禰豆子と呼ばれた少女は、ぱっとその淡い桃色の瞳を輝かせるとその視線を待ち人へと向けた。
「いえ、大丈夫ですよ。そんなに急いで走ってこなくても良かったのに……」
「禰豆子ちゃんのため息が聴こえたからさ。待たせちゃって申し訳ないなぁと思って」
 はっとして禰豆子は口に手を当てる。彼、禰豆子の待ち人であった善逸はとてつもなく耳が良い。それは、ため息などの音を聴きとるだけに止まらず人間から聞こえてくる様々な音から、感情や考えていることまでも知ることができると言う驚異的なものだ。
「……そういう意味じゃ、ないです……」
 今にも消えそうなほど小さな声で、禰豆子はため息の意味を否定する。善逸の言葉から察するに、彼はきっと待たされているという感覚に対して溜息をついたのだと思っているのだろうが、そうではない。善逸の姿が無かったことに、残念だという想いを抱いて溜息をついたのだ。
「え……えっと……ごめんね?」
 善逸はいまいち禰豆子の言葉の意味が飲み込めていない様子で、小首を傾げていたがそのうち驚いた様子で目を見開いた。どうやら禰豆子の思うところについて、思い至った――と、表現するよりは聴き至ったの方が適切かも知れない――様子で視線を所在なさげに彷徨わせている。
「許しませんっ」
「えぇ 禰豆子ちゃぁぁん。許してよお! 何でもするよぉ」
 見るからに情けない表情で縋り付くように言う善逸は、側から見たら格好の良いものではないだろうがそんな姿も禰豆子から見れば魅力的に映ってしまうあたり、彼女自身もどうしようもないなと感じずにはいられなかった。
「何でもですか?」
「うん、何でも!」
「じゃあ……少しだけ寄り道に付き合ってください」
「……え? それでいいの?」
「それはついて来てもらうまで内緒です」
 禰豆子はいたずらっぽい笑みを浮かべて、人指しを唇に当てる。その彼女の姿に善逸は見惚れるばかりだ。
「一緒に来て……くれますか?」
「もちろん!」
 おずおずと様子を伺うようにしながら、禰豆子は善逸のことを見上げる。ぶつかる視線に心臓の音が大きく早くなり、善逸はその音にまた妙な緊張感を覚えた。

 もともと今日は、一緒に帰る予定を立てていた。しかしまだ付き合いはじめて間もない善逸と禰豆子は、そんな珍しくもない日常にすら緊張の感情を抱かずにはいられない。それは少なくとも二人からしてみれば、初めてのことなのだ。
 そわそわと落ち着きのない様子で歩き出す、二人の歩幅は噛み合わない。
「あっ……」
 様子を伺った結果、後ろを歩く格好になってしまった禰豆子は思わず声をもらしてから、小走りで前を歩く善逸へと追いついた。
「ごめんね禰豆子ちゃん! 歩くの早かった」
「いいえ、私がゆっくり歩きすぎたんです」
「ほんと、ごめんねぇ」
 やはりどこか情けない表情と今にも泣き出しそうな声に、禰豆子はつい小さく笑ってしまう。その笑い声に、今度は思わず善逸が照れ臭そうに笑い返した。お互いが歩調を合わせて歩き始め、今度は肩が隣り合い互いが横に向けた視線が絡み合う。そして二人は笑い合い、学園の校舎を後にした。
 そよぐ風が歩く二人を掠めて通り過ぎていく。足元は緩やかな登り坂で、そのまま道なりに登り続けるとさして時間もかからぬうちに、二人の目の前景色がひらけた。見晴らしのいい場所で、学園の生徒や他校の生徒の姿もちらほらと見える。
「この公園に来たかったの?」
「はい。ここの景色を、善逸さんと見たいなって思って」
「禰豆子ちゃん可愛いなぁ」
「えっ、えっと」
 景色もそっちのけでデレデレとだらしのない笑顔をを向けながら善逸は、禰豆子のことだけを見つめていた。その熱烈な視線に禰豆子はたじたじになる。
 その二人を今度は煽るような風が二人を襲った。その風に禰豆子の長い髪は靡いて、乱れてしまう。その髪を慌てて整えようと必死に手を回し、なでつけてみても禰豆子の手ではどうしても整いきらない。
「禰豆子ちゃん、じっとしてて」
 善逸はそう言って彼女に一歩近づくと、そっとまだ乱れの残るその髪の毛に手を伸ばし丁寧に解き整えていく。禰豆子の目の前にある善逸の表情は真剣そのもので、ここに来るまでのだらしない表情や情けない表情からは考えも及ばないほど美しく整った顔がそこにあった。
「よし、これで大丈夫……って禰豆子ちゃん、顔……」
「え?」
 指摘され禰豆子は頬に手をあててみる。いつもより熱く感じる頬に驚きを覚えて、思わずそのまま手で顔を覆ってしまった。
「……恥ずかしい」
 その手にそっと触れて、善逸は禰豆子の方を覗き込んだ。
「顔見せてよ、禰豆子ちゃん」
「だめです」
「どうしても?」
「……はい」
「そっか……」
 禰豆子にも分かるほどあからさまに善逸の声色は落胆していたが、それでも恥ずかしさから顔を上げる気にはなれない。しかし、善逸はがっかりこそしていても、無理やり手をはがしたりなどはせずに一度触れた手を離すとそっと一歩後ずさった。
「……善逸さん」
「なに? 禰豆子ちゃん」
「……さっき、すごく、カッコ良かったです」
「へ? さっき?」
 間抜けな声で問いかける善逸は、禰豆子の言葉の意図するところを全く汲み取れていないらしい。
「かっこいいって、俺が?」
 善逸のさらなる問いかけに、禰豆子は必死に何度も頷いて見せる。そんな禰豆子の姿に、善逸は内心身悶えることこの上なかったがそこはぐっとこらえてから、そっと頭を撫でた。禰豆子の身体がびくりと驚きに小さく跳ねる。弾かれたように顔を上げた禰豆子の目の前には、善逸の真剣な面持ちが飛び込んできた。
「……っ!」
 先ほどと同じように顔を伏せようとしたその手を善逸がしっかと握る。善逸はそのまま、赤面しきった禰豆子の顔を見つめて彼自身も頬を染めながら柔らかな笑みを浮かべた。
「禰豆子ちゃん、可愛いよ」
 ほんの少し前にいわれた言葉と大差ないはずなのに、真剣な表情と声色で言われただけであまりにも印象が変わる。これではいつか心臓がもたなくなるのでは、などと現実逃避にも似た思考をしながら禰豆子は花が綻ぶような笑みを善逸に返した。