年に一度の祈りごと(45)

 ──それは一年に一度だけ巡ってくる奇跡のチャンスだと知った。
 
 幼い頃、同じ年頃や年下の子供たちと集まって絵本を読む機会が多かった。施設の中では自然なことで、環自身それを楽しく思っていてよく中心で楽しんでいたものだ。
 童話は季節を感じさせるものとそうでないものがあり、そのどちらともが彼らの読む本には含まれていた。
 特に狙っていたわけではないが、やはり季節を感じる話は連想する季節や時期に近しいタイミングで読むことが多い。
 六月の末から七月の頭に読むのは、圧倒的に七夕に関連するもので占められていた。もっと言ってしまえば、織姫と彦星の話ばかりを繰り返しがちだったと言える。
 実際、施設の職員はもちろん歳上となった子供たちも何度も何度もせがまれては、織姫と彦星の話を読み上げた。
 環がこの話をはじめて知ったときは取り立てて何も思うところはなく、理が瞳を輝かせていたということだけを鮮明に覚えている。
 そして理と離れてから、再び季節が巡り、織姫と彦星との話を聞いたときには〝まるで自分と理のようだ〟と感じたのだ。
 もちろん、厳密に言えば違うところばかりなのだが、幼い環には織姫と彦星の離れて会えない状況がまるで、理と自分のことのように思えてならなかった。
 理との連絡が取れなくなってからは、なおその気持ちは強くなる。自分が会いにいかなければ、自分が助けに行かなくてはと焦りばかりが募っていく。
 そんな風に考えていた。
 寮で住むようになってはじめての七夕。
 これまで習慣になっていた様々なことが結果として縁遠くなり、代わりに目新しいことがたくさん増えた中で、繰り返し七夕の話を耳にすることもない。
 それは少し寂しくもあり、変わってしまった現状を改めて思い知るようでもあった。
「環、どうかした?」
 環に問いかける声を向けたのは陸だ。
「ん~? 別に?」
「そう? 何だか複雑そうな顔してた気がするけど」
 ほんの少し首を傾げながら、陸の視線は真っ直ぐ環へと向けられた。
 こういうときの陸は普段にも増してよく相手のことを見ており、後ろ暗いという訳ではないが話をしてしまいたくなる。
「別に、何か……今までと違うなって思ってただけ」
 環の言葉を受けた陸は素直に頷いてから「俺もそうだよ」と同意の旨を口にした。
「今までと寮での生活って全然違うから、不思議というかそんな感じがするなあ」
「……だな」
 陸の笑顔につられるように環も笑う。
 彼らの手には七夕用の飾りが握られていた。せっかくだから寮で七夕パーティをしようと進言をしたのは誰だったろう。
 気がつけばあれよあればと準備が整っていったのは驚きの光景だった。
「二人とも、手を動かして下さい」
 淡々と陸と環に指摘を寄越したのは一織だ。
「なぁ、一織は寮で暮らしててどう?」
「どう、と言われても……」
 注意をするだけのつもりが陸にあまりにもざっくりとした問いを投げかけられ、一織は途端に口ごもる。
 そのまま陸は一織に詰め寄るようにして、言葉を交わし始めた。
 環は一人、その様子を見つめるばかりだ。
 どうやら陸の興味は一織の方へ移ってしまったようで、ぐいぐいと食らいついていく様はどこか可愛げを感じさせる。
 一織は何度か環の方へ助けを求めるような視線を向けていたが、一向に変わらない状況を察してついには諦めて陸に対して関わり始めた。
 漏れ聞こえる声はこれまでとの変化、七夕は今までどんなことをしてきた、織姫と彦星についてなど多岐にわたる。
 環は二人の姿を見つめながらも、言葉を発さない。手元の七夕飾りや部屋の様子から織姫と彦星、そして理のことを思い浮かべた。
 離れ離れになった二人が会えるかもしれない、だが会えないかもしれない。そんな不確定なものは環の現状に等しいものに思われた。
 そして、毎年のように天気によって織姫と彦星の逢瀬の成否について、言及を続ける様々なもの言葉を滑稽とすら思う。
 ただの星の巡り、ただの童話だ。織姫と彦星は約束なんてしなかったかもしれないし、そもそも離れ離れではないのかもしれない。
 どことなく淡白な思考に環の頭は支配されていく。
 妹に会えない──自由には会えないという事実は、何年経とうともやはり辛く悲しいことで、祈りのひとつも捧げて会いたいし家族一緒に暮らしたいと願ってやまないものだ。
 だが、そんな奇跡は起こらないかもしれない。少なくともこの瞬間に起こるのは、せいぜい願った晴れの天気が実現されるくらいだった。
「環くんはもう飾り付け終わったかい?」
 問いかけてきたのは壮五だ。手元には何もなく、彼の方は飾り付けをすでに終えているのだろうことは想像に難くない。
 何も答えない環の手元には、まだ少し飾りが残されていた。
「こっちなんてどうかな?」
 壮五の指によって指し示された先には、飾りが少なくぽっかりと間が空いたようなスペースが確かにある。
「ん。あんがと」
 素直に例の言葉を口にしながら、やはり思考は変わりない。陸の言う違い、それと環の感じるものには少し違いがあった。
 何よりも感情が自分自身には向いていない。主観的な気持ちと、主観的とは言い難い気持ち。それは全く違うものでもないが、きっちりと噛み合うものでもなかった。
「環くん?」
 緩慢な動きで、飾り付けも進む気配のない環の様子に壮五は不思議そうに見つめる。
「あ……」
 どんな顔をしたらいいのか、何を口にしたらいいのかも分からなかった。言葉にならない声だけが環の口からこぼれて落ちる。
「……それが終わったら、休憩しようか」
 壮五はそうとだけ言うと、環の手から飾りをひとつ抜き取って自分の指し示した空きスペースへ取り付けた。
 その動作を反芻して環は手の中に残った飾りを取り付ける。少しぎこちない動きが、環の心情を現しているようだった。
 談話スペースから一度離れると、環は苦笑する。
「なぁ、そーちゃん。ありがとな」
「……」
「何で黙ってんの」
 環はやはり笑って、壮五に一歩近づいた。壮五は環の言葉に何も返すことが出来ず、眉を下げるばかりだ。
「何かさ……理のこと、思い出しちゃって」
「理ちゃんの、こと……」
「うん」
 壮五の方が沈痛な表情を浮かべており、結果としては環が落ち着きを取り戻しつつある。
「七夕ってさ……織姫と彦星はずっと離れ離れで、天気がいいと会えるじゃん」
「そう、だね」
「離れ離れっていうと、やっぱ理のことを思い出すし……ちっせえときからさ、そうやって考えたりすることがあってさ……」
「うん」
「今日もなんか思い出したんだ。そんな運任せでしか会えない二人って、俺らみたいだし……なんか、嫌だなって」
「……そっか」
 ただ静かに思いを口にする環に対して、遮ることはもちろん同意の言葉を挟むことすら壮五としては憚られた。
「せっかくみんなで楽しいことしようとしてんのに……」
「……いいんだよ、環くん。辛い時に無理をしなくてもいいんだ」
 怒ったり、怒鳴るわけではなく、ただ静かに表情を歪める環の様子にいてもたってもいられずに、壮五は子供をあやすようにゆっくりと背中を撫でる。
「……うん」
 されるがままの環はじっとしていて、言葉を発さない。かなり珍しい姿だった。
「な、そーちゃん」
 少しして呼びかけられた声に、壮五はただ耳を澄ます。この様子がきちんと伝わったのか、環はそのまま口を開いた。
「もしかしたら、さ。今までって嫌だって思ってただけなのかも」
「……?」
 今ひとつ環の言わんとしていることが伝わらず、壮五は首を傾げてしまう。
「そんなすげーこと、簡単に起こるわけねぇって」
「……それは、わかるかもしれない」
 諦め続けてきた自分、これまでのことを思えば壮五には環の言わんといていることが、少しはわかるような気がした。
「信じたくても信じられなくなったり、そんなことできるわけがないって。そんな風に感じることがたくさんあったからね」
「……」
「けれど……アイドルになって、みんなと関わる中で……今まで信じられなかったことだって起こるって知ったんだ。そんな奇跡を祈るのは、誰にだって許される権利だと……僕は思うよ」
 壮五は自身の思考を整理するように、ぽつりぽつりと、言葉を紡ぎ出す。
 紡ぎ出された言葉たちには環には難しいものではあったが、それでも言わんとしていることは分かるような気がした。
「そっか……奇跡、か。そうかもな」
 まだ苦しい気持ちは胸の内にある。だが、壮五の言葉は環の苦しく重たい気持ちを少し軽くしてくれた。
「戻ろうぜ、そーちゃん」
「いいの?」
「ん。もうだいじょーぶ」
 一年に一度の奇跡ならば、願いをかけるのも道理だ。叶えたい願いは何があっても叶えたい。
 環は自分自身の気持ちに紐付いていく壮五の言葉に、ほっと息を吐き出した。
 そして皆が飾り付けをしている談話スペースへと足を向ける。きっと今日は楽しい時間を過ごせるだろう。
 星に願いを、かけながら。