――いやだ、いやだ! 逝くなよ、まだ伝えたことがたくさんあるのにっ
叫ぶ彼の腕の中には、同じ年頃と思しき青年が抱えられている。彼は全身きずだらけで、肌も衣服もそのほとんどが血に染まっていた。
青年の口からはうわ言のように、大丈夫か、無事か、と自分の有り様などお構いなしの心配の言葉が連ねられていく。
――俺は大丈夫だよ、なんで俺を庇ったんだよぉ……
先ほどまで叫びをあげていた彼の琥珀色の瞳には涙が浮かび、腕に抱えた重症の青年を抱えながら彼にかける声は掠れていた。
そして重症の青年からは、声がきこえなくなってしまう。
――だめだ、だめだ、だめだ! 目を開けろよ、逝かないで……!
祈る声も虚しく、抱えられた青年から息の音すら消えた。しかし、その表情からはどこか満足げな様子すら感じさせる。そんな様子がまた、生き残った青年の琥珀色の瞳から大粒の涙を流させた。
「いかないで……!」
あまりにはっきりとした引き止める言葉とともに、天井に向かって手を伸ばす。
(また“あの夢”だ)
もう幾度見たかも分からないほどに何度も見た夢を、今日もまた脳味噌がまるで壊れてしまったかのように毎晩繰り返している。
彼、我妻善逸は幾度となく脳が見せる悪夢に幾度目かの諦めを覚えつつ、ゆっくりと寝床から身体を起こした。背中には気持ちの悪いねっとりとした汗をかいていて、肌と寝巻きを貼り付けている。
大きくため息をひとつ吐いて、善逸の心は憂鬱に塞ぎ込んでいた。
彼のみた夢は、いわゆる前世というやつだ。
最初の大切な人との別れ、その記憶である。善逸も彼も当時世の中に蔓延っていた鬼を狩る者で、その戦いの中での別離だった。本当は思い出したくもないことだが、善逸の記憶はそれを許さない。
その最初の別離から、幾度となくその記憶を携えて数えたくなくなる程の回数の生を繰り返してきた。その記憶も全て善逸の中にある。
“我妻善逸”としての人生を繰り返し、あの日の想い人を探し続けている。相手が見つからないこともあった、見つけても善逸を覚えていないこともあった、今の彼と同じように最初の記憶を有しているままの想い人とは今のところ出くわしたことがない。
思い出してもらうべく手立てを尽くしたこともあった。結果はあまりにも芳しくなく、自分から離れてその時はもう二度と邂逅することはなったのだが、その記憶が幾度めのころのものであったか分からない。
善逸は多くの記憶に押しつぶされそうな気がして、自身の肩を抱いて視線を落とした。記憶が与える恐怖は、肩を抱いてなお小刻みそれを震わせて止まることを許さない。
もう一度、善逸は大きく息を吐いて今度は呼吸を整える。これもまた幾度となくやってきた自身を落ち着かせるための方法だった。
最初はただ、もう一度だけ愛しい人に会って“大好きだよ、愛してる”と伝えたいだけだったはずだが、今でもそれが本当の気持ちだったのかすら怪しく思えてくる。
疑うな、と自分に言い聞かせ必死に日々を生きている善逸は、自分でもわかるほどはっきりと追い詰められていた。最近は夜眠るのも朝起きるのも怖い、夢をみるからだ。
無意識下で再生される、最初の別離、想い人を喪失する瞬間の追体験は息苦しく、感情を無茶苦茶に掻き乱していく。自分で変えられるなら、止めることができるならどれだけいいか。
しかしそれは出来ない。選択権は善逸の意識に与えられていなかった。
「……っ」
思わず苦悶の息が漏れる。どれだけ苦悶しようとも、それでも決まってやってくる朝を迎えて、また一日が始まるのだ。
意を決して立ち上がる善逸に、窓から朝日が降り注ぐ。一度は眉間に皺を寄せた善逸だったが、すぐにその表情は引き締まった。
もう何度めか分からない、あの日の続きを探す一日がまた始まる。
今の善逸は学生である。一人暮らしで、学校へ行かなくて良い時は生活のためにアルバイトをしているか、何度繰り返す人生においても欠かさない想い人探しのどちらかだ。
今日は学校は休み、アルバイトもない。ならばすることは、もちろん想い人探しである。
手早く外出できる服に着替えて、最低限の身支度を整えるとすぐに家を出た。このままじっとしていたら、頭がおかしくなってしまいそうな気がして、身体を動かすことが一番マシであろうと思ったのだ。
自室をでて、鍵を閉め、振り返りもせず善逸はずんずん歩いていく。目的地はない。あてどなく、前世からずっと頼りにしている鋭敏な聴覚を使って“泣きたくなるような優しい音”を探すのだ。
(今日はどっちに行こうか……)
以前探し歩いた方とは別の方がいいのかもしれない、と思いながらも手掛かりのひとつもない手前、ぶらりと気の向くままの方向へ向かっていくしかない。
何となく歩き始めたその先に、探す音はしない。いつものように、意識を飛ばしそうなほどの騒がしいものの音と、行き交う人々の音が混ざり合い、気分が悪くなる。
「うぇ……」
今の時代は善逸の耳にとても厳しい。彼の耳は、人や生き物から聞こえてくる音まで判別することが出来たが、昔と比べて周りに音が溢れすぎている。ときとして、その溢れ出した音は善逸に容赦なく襲いかかった。今がまさにそれだ。
「気持ちわる……」
善逸は思わず道の端へとしゃがみ込み、耳を自身の手で塞ぐ。大きく何度も深呼吸をしながら、感覚が落ち着いてくることを今は待つことしか出来ない。ふと、背後に人の気配を感じて立ち上がろうとするが、そうすることもままならず、ぐらりと身体が揺らいだ。
これは地面にぶつかるな、と妙に冷静に考えながら、傾いた身体は予想に反して地面にはぶつからない。代わりにしっかりと肩に手が添えられて、善逸の傾いた身体を支えていた。
(あれ……この、感じは……)
そっと耳を塞いでいた手を外すと、善逸の耳に飛び込んできたのは探し続けた“泣きたくなるような優しい音”だ。
「えっ」
驚きとともに振り返ると、そこには探し続けた想い人そのものという一人の人物が善逸の身体を支えている。
「大丈夫、ですか?」
「……えと、はい」
問いかける声は緊張と心配の感情が入り混じっていた。
「すみませんね、気分が悪くなっちゃって……」
探し人が見つかった、その喜びよりも彼はまた自分のことを知らないのだろうという諦めとそれを知ることへの恐怖で、その表情もその声も身体の動きすら固くなる。無意識に視線を合わせることを避けながら善逸は、添えられた手を避けるように立ち上がった。
「もう大丈夫なんで。ほんと、ごめんなさいね」
内心、何をしているんだろうかと自分で自分の行動の矛盾に悲しみを覚えながらも、そそくさと逃げ出すように歩き出してしまう。
「待ってくれ」
善逸の探し人はそう言って、離れようとする肩をもう一度、今度はしっかりと掴んだ。善逸は肩を掴まれ、つんのめる格好になり立ち止まらざるを得なくなる。
「ちょ、何すんの」
たまらず振り返ってしまい、視線がぶつかった。善逸は自身の姿を、相手の赫灼の瞳の中に見て全てを理解する。
「たん、じろ……お前……」
「善逸。会いたかったよ」
「炭治郎っ」
信じられないという思いと、やっとという安堵、そして目の前に幾度も夢に見た想い人――炭治郎の変わらない笑顔がそこにあるという、この上ない喜びに自然と善逸はその身体を弾ませた。そして、炭治郎に飛びつくと力一杯その身体を抱きしめる。
「嘘じゃないよな?」
「こうして抱きしめているのに、信じてもらえないのか?」
「炭治郎ぉ、会いたかったよぉ!」
互いにしっかりと抱きしめ合い、お互いの存在を必死に確かめ合った。
善逸はその目に喜びの涙を浮かべ、美しい笑顔を炭治郎に埋める。幾度となく繰り返してきた、あの日の続きが今はじまったのだ。
「善逸」
「うん?」
「これから何か、予定はあるか?」
「ないけど」
しばらく道の端で抱き合っていた二人だったが、ふとその身体を離して炭治郎が尋ねた。そして、善逸の答えに表情を輝かせる。
「なら、俺と出掛けよう!」
「へ? お前は大丈夫なの?」
「ああ、ただ買い物でもしようかと思っただけだからな。今日は何の予定もないんだ」
拍子抜けした様子の善逸は、自身のことばかり尋ねる炭治郎へと問い返すと、戻ってきた言葉に頷いた。
「どこか行きたいところはあるか?」
「静かなところがいいな……あまり音が多いところはきつい時があるから」
「そうか、昔より今の方が音が多いからな……俺も匂いで酔いそうになることがあるよ」
「炭治郎もかぁ」
「ああ」
会話が途切れるとすぐに炭治郎はズボンのポケットから携帯端末を取り出すと、画面に指を滑らせる。
すると、善逸がくすりと笑い声をもらした。
「善逸?」
「悪い、なんかおもしろいなって思っちゃってさ……」
「何がだ?」
「だって、刀とか持ってた記憶があるのにスマホってさ……おもしろくない?」
「……ふふ、確かに。何だか変な感じがするな」
「だろぉ?」
そう言って笑い合う。連れ立って、寄り添い歩き出す二人の背中は幸せの気配に溢れていた。
