封じられた悪夢

予想外、想定外の出来事というのは世の中に多く存在する。それこそ無数に発生し、誰の身にも等しく起こりうるものだ。
左雨行孝、そして神来社八雲にもそれはやはり等しく起こりうる。

まさか、二人の手が手錠で繋がれていようとは思うはずもないが。

誰よりも不服そうな表情を浮かべているの行孝で、八雲の方は普段と変わらず淡々としている。
そもそもどうしてこのような状況が発生してしまったのか。
それにはきちんとした理由が存在していた。のっぴきならない理由、というやつだ。
この場、行孝と八雲の立つ場所には異形がいる。しかも姿を意図的に隠すことができるという、この上なく厄介なタイプの異形だ。
異形の特性が確認された折、対処要員として白羽の矢が立ったのが警察組織内からは行孝、そして協力関係を結んでいる八雲だった。警察上層部が彼らの根本的な能力を買っている証明ではある。だが、その人選には問題があった。
行孝と八雲、彼らの相性は最悪であり最低だ。ある種の嫌悪を抱いていると言っても過言ではない。
そんな二人の息が合うことはなく、見える目標もないことから対処の方針は全く異なるものがそれぞれの中にたてられた。
行孝が気配を気取り各個撃破、八雲がお互いが背中を合わせることで視覚を減らして対処可能な方で撃破、である。
行孝の案は通常時であればなんの問題もないものだ。だが今回、対処が必要とされている異形は特殊であるがゆえ、相性や何やらを曲げても八雲は背中合わせでの協力を提案したというところがある。
だが当然ながら、行孝はその提案をはっきりと拒絶した。協力などもってのほかだと突っぱねたのだ。
それでも八雲は譲らず、最終的には警察上層部が方針を決定するに至る、結果は明白、八雲の案に軍配が上がったというわけだ。
行孝は必死に抵抗をするが、それも虚しく手錠を左手首にかけられて反対側には八雲の右手首にかけられた。片手が塞がれどうあっても協力するしかない状況がこの瞬間に完成してしまったというわけだ。行孝にとっては悪夢以外の何でもない。全力で拒絶しようにも手錠の鍵は上層部によって違う場所へとしっかり移され、もうどうすることもできやしない。
と言って諦めることも出来ないままに、二人は今この場に立っているというわけだった。
「いい加減、へそ曲げるのやめてもらっていいですか」
「うるさい」
「……肘当てるのもやめてください」
「やめない」
幼稚この上ない行孝の行動は、八雲を辟易とさせる。わかりやすく露骨な対抗出来ない対抗策は、行孝の諦めきれない悪あがきだった。
しかし、そんなことができる時間は一瞬にして失われる。
二人の感覚にはこれでもかというほどに、異形の気配が存在を主張し始めたのだ。絶対にどこかにいるということがわかる。わかるにも関わらず、姿は視認することができない。
流石に面倒かつ厄介なこの異形をどうしたものかと、八雲は次の動作に思考を巡らせ始める。対処を考えなければ、結局この状況でも何もできないことに変わりはない。
しかし行孝はそんな八雲の思考などお構いなしに、気配のする方に抜き放った刀を全力で振るう。普段は両手で柄を握って振り下ろす動作の多い行孝は、どうしても片手しか使えない状況では狙いもつけきれず攻撃力も不足な半端な斬撃を繰り出すばかりだ。
加えてその刀の刃は油断すれば八雲の身体を直撃してしまう。こんな形で傷を負うことは御免こうむりたいところだ。
器用にその切っ先を避けながら、八雲は自身も刀を扱うことに挑む。だが彼の利き手は右であり、彼の今空いている手は左だ。これは純然たる事実だった。
八雲はひとまず刀を使うことを諦め、気配のする方へ全力で蹴りを繰り出す。空を切った足先に妙な違和感があった。
「……!」
状況打破の糸口を期待し、八雲が刀に手をかけたときだ。行孝がまるでそんな行動を妨げるように身を翻し──必然的に八雲も身を翻さざるをえなくなった──蹴りを見舞うべく足を振った。
急な動きかつ、八雲が背面に居ることが妨げとなって行孝の蹴りは全力のものには程遠い。
現状の二人は何をするにもちぐはぐな、全てを裏目にしてしまうようなわかりやすい相性の悪さを発揮していた。
行孝は歯痒さに舌打ちをひとつ落とす。なんとかバランスを整えた二人は背中合わせに立って──行孝としては望まないものだが、八雲がその立ち位置に入った──お互いが前を向いていたが、当然ながら異形の姿はどこにも見えないままだった。
このままでは埒が明かない。
「このままだとだめです」
「……わかってるよ」
八雲が背面に視線を向けながら言葉をかけ、行孝はそれに苦々しい表情を浮かべながら答えた。
「わかってるなら話は早いですね。そちらで気配を感じた方に刀を振ってから、その方向に今度は……」
「お前が向くように反転しろって言うんでしょ?」
八雲の言葉を遮って続けられた行孝の言葉は、かなり協力的なものだ。行孝の表情も声色も不服この上なかったが、否定の響きは全くない。
少し驚いた表情を浮かべてから八雲は「はい」と肯定の言葉を行孝へ返した。
「いいよ、やってあげても」
さらに返された行孝の言葉に八雲は苦笑するが、話自体は合意に至る。
「じゃ、よろしくお願いします」
八雲は変わらぬ様子でそう告げてから、静かに気配を探り始めた。
当然ながら行孝も同様に気配を探るが、姿の見せない異形は相変わらず気配も音も何一つ感じさせない。
緊張でぴり、と張り詰めた空気が二人を包む。
しかし二人はこれまでのちぐはぐさが嘘のように、ぴたりと静かに感覚を研ぎ澄ましていた。
そして行孝が真っ直ぐ前を向く。右手に握った刀を正面の何もない場所へと振り下ろすと、そこには確かに手応えがあった。
だが行孝はその手応えを深追いすることはせず、先ほど八雲から提案された通りに身を翻す。
くるり、反転しながら八雲はもう一度蹴りを繰り出した。一度は感じた違和感を確かめたかったのだ。
蹴りを繰り出したその足には、はっきりとそこに何かが存在することが感触として伝わる。八雲は視線を鋭く走らせ、足を軽く引いて再度蹴りを繰り出した。少しずらした足先にも同様何かが存在していることがわかる感触と、そして鈍い音が響く。
「そこ……!」
音と同時にこれまでかき消されていた気配がはっきりと辺りに満ちていくのが、八雲にはもちろん幸孝にもわかった。
次の瞬間、八雲は足を引きながら左手で器用に刀を鞘から抜いて真っ直ぐに、目にはまだ見えない何かを貫く。
すると、何もない場所からこぼれ出すかのようにぬるりと気持ちの悪い物体が姿を現した。スライム状の気持ちの悪さを感じさせる黒の色を帯びた大きな物体、それが異形の正体だ。
異形にはしっかりと八雲の刀が突き立てられ、それはうめくように異音を辺りに撒き散らす。
その時だ、刀の柄を八雲は強く蹴りその勢いでもう一度二人の位置関係を反転させた。
八雲の口からは言葉は発せられない。
しかしその視線は一瞬だけ絡み合う。紺桔梗と葵の色が、近くで混ざり合った次の瞬間には反動を使って行孝は強く足を振り抜いた。その衝撃で異形はたじろぎ、次の反動で握ったままの刀を斜めに振り下ろしてそれを二つに切り裂いた。袈裟斬りというやつだ。
またしても異形から異音が響く。それは濁り、呪いそのもののような音だったが、同時に断末魔のようでもあった。
そして実際それは、断末魔だった。
ぼろぼろとスライム状の黒い物体が形を保てず瓦解していく。あっという間に溶け落ちるようにして全てが失われると、そこには行孝と八雲の姿だけが残されていた。