死神には夜が似合う。
とは言っても、死神という存在もまた個性があるものだ。
明るい性格の者も、生真面目な者も、様々な者が存在している。その点は人間と相違ない。
ただ、その存在が死を刈るものであり、存在に必須なものが食物ではないという点においては、決定的な違いがあった。
死神は仕事をしながら、同時に己の存在を保持する。寿命の訪れた人間の魂を刈り、同時にうっすら溢れる正気の残り滓を吸うのだ。
彼らはいつだって、人間の終わりに立ち会い存在を続ける。
役目であり、当然であり、必然の行為だった。
ぱくり。
大きめとは言えないひと口で、ムギ=オルコットは手元のアップルパイを齧った。
その表情は固めではあるが、確かに満足をたたえている。
彼女はその伏し目がちにアップルパイへと視線を落として、次のひと口へと移るべく口を開いた。長いまつ毛が伸びたその表情は一心不乱と言って差し支えなく、別の言い方をするならば手元へ意識を集中させすぎている。
「ムギさん♪」
妙に上機嫌な先輩であるメイメイ=スウィフトの気配にも気づくことができなかった。
それは致命的だ。
肩を叩いて振り向いた相手の頬を突くという行為に等しい動作で、振り向きもしないムギの頬をメイメイは強引に突いた。
「……やめてください。先輩」
頬を突かれたことにより、普段よりも若干くぐもった音でムギは不服の声をあげる。
「やっぱり、ムギさんは面白いですね♪」
そう言ったメイメイに他意はない。だが、他意がないゆえに困らされるところでもある。しかも彼は心底から悪気がないのだろうことが伝わる表情をしているだけに、ムギとして呆れを含んだ複雑な気持ちを抱かずにはいられない。
ムギの表情が大きく変化することはないが、それでもメイメイとしては十分に反応を楽しんでいるらしく、彼の表情は見るからに上機嫌なものだった。
「……面白い、ですか?」
「ええ、とても」
間髪入れずに返ってくる言葉に、ムギは無表情のままほんの少しだけ首を傾げる。
大抵の場合ムギは他者から反応が薄い出会ったり、表情がわからないというような言葉を向けられることの多い方だ。ムギ自身、特段それを気にしているというわけではないのだが、それでもメイメイの認識が大抵の他者から向けられるものと明白に異なっていることだけは間違いなかった。
しかしメイメイは普段と変わりなく楽しげに笑っている。今日この瞬間に至るまでに、何かしら偽ったり欺くような言動及び行動をしていないことは疑いようがない。
「これを食べたら行きます」
「ムギさん、本当に好きですね。アップルパイ」
急ぐわけでもなく淡々とムギは手元に残ったアップルパイを口に運んでは咀嚼する。
メイメイはというとそれを急かすこともせず、しかし少し手持ち無沙汰な様子で彼女の食事を待っていた。
「ご存知でしょう? 甘いものが好きなんです」
「知ってますよ。その中で一番アップルパイが好きなことも」
ムギは相変わらず表情を大きく動かすこともなく言うと、メイメイはそれに楽しげな笑顔で返す。
側から見るに正反対と言える二人は、まさしくその通りの性質を持っており似ていると称すことのできる場所など、どこにもないのではないかという程に共通点がない。
しかし、だからこそこうして組んでも問題が発生しないのかも知れなかった。
似たもの同士と言うものは引き寄せ合うこともあるが、時としてそれは反発を生む。仕事の相棒として組む者として、反発する相手というのは不適切だ。
反発しない相性の良い相手か、似ても似つかないほどの共通点のない良好な関係を築けている相手、そのあたりが適していると言えるだろう。
そう言った意味ではメイメイとムギの相棒としての組み合わせは、決して悪いものではない。
相手に概ね不快感や不服を抱いていないということも、大抵の場合において尊敬を抱く後輩と面白いとそして楽しいと感じる先輩であるということも、彼らの相性が悪いものではないという証左と言えた。
ほんの少しの静かな時間の後、ムギはアップルパイの最後の一欠片を咀嚼し終える。口周りを静かに拭って「ごちそうさまでした」と誰に共なく声を発した。
「じゃあ、行きましょうか」
「はい」
行く先は当然、魂の在処。
二人は揃って地上へと降りていく。
向かう道程は慣れたものではあるのだが、同時に慣れきれない不思議な感覚が残るものだ。
繋がりはあっても、明確な関わりのない世界たちはこうして彼らによって確立されていく。
生ける魂の住まう場所と、死せる魂の保管場所、それが地上と死神たちの世界だった。
しばらくしてメイメイとムギは地上へと降り立つ。
こちらもまた陽が落ちた夜に覆われていた。
街の中にはいくらか灯りが橙色の光を放ち、夜の街を儚く浮かび上がらせている。
路上の隅で猫が二人に向かって威嚇するように鳴いていたが、それだけだ。
数は多くないが、往来を行き交う人々は誰も二人に気が付かない。気配の一つすら感じられることはなかった。
死神とはそういうものだ。
いましがたの猫のように、動物には気配を気取られてしまうことがある。だがそれとて、たいした問題ではない。
存在を感知されたところで、それだけの話だ。死神が死神の仕事を行うにあたって、何かしら支障が発生することはない。
むしろ、支障の発生するようなことになるのであれば、それこそ大問題であり別件でもある。
メイメイもムギもこれまでに人間に存在を気取られたこともなければ、動物が仕事を邪魔しに来たという経験もなかった。その可能性すら感じたことはない。
死神とはそういう存在で、人間とはそういう存在で、動物とはそういう存在である。
そんな定義づけられたもののように、それらの間の関わりは不可侵だった。
「さて、今回は……」
軽やかな足取りでメイメイは街を歩き始める。
相変わらず猫は威嚇を繰り返しているが、それに見向きもしないまま歩き続けた。
当然ながらムギもまたそれに続く。共に仕事をする状況である以上、当然のことだった。
個々で仕事をするのではない状況ということは、魂を回収する対象が複数あるということだろう。
手間というほどもないのだが、どうしてそんな状況に陥るのかはメイメイにもムギにも理解の及ぶところではない。
人間というものはどうにも、面倒を起こすことを得意としているらしいと、そんな認識を抱かずにはいられないほどだ。
だが、事情が何にせよこれは仕事である。
そして同時に二人のような死神が長らえ続けるための方法でもあるのだ。
死へと向かい魂を失った人間が最後に溢す生気。
それをもらって死神の存在が長らえる。
言わば循環する存在のサイクルともいうことが出来るだろうそれは、他の言い方で表現を変えるならば持ちつ持たれつと言うところだろうか。
実質的には関わりなどないにも関わらず、本質的には持ちつ持たれつという状況が成立していることが、不可思議この上ないというところは否めないものではある。
しかし、だからこそ人間と死神はそれぞれに存在を確立しているのかも知れなかった。
メイメイの足取りは軽い。楽しげで、緊張など一つもなく、これが日常なのだろうと感じさせる足取りだ。
そんな彼に続くムギはというと、普段の通りに可もなく不可もなくというところだった。取り立てて感情を滲ませないその様子は、彼女らしいものと言えるだろう。
そんな全く異なる様子の二人が足を向ける先は、橙色の街灯の光が届く場所からはどんどん離れていってしまうものだ。
影の色が色濃く増していく。橙の光はみるみるうちになりを潜めて、そこにはうっすらとした光以外は闇が支配する場所へと変わっていった。
死神としては全くもってその視界に不便はなかったが、ここに人間が訪れるならばきっとこの上なく不便だろう。
ここは、そんな場所だった。
そんな場所に、人間の気配が複数ある。それに血の匂いも。
「……愚かですね」
そう呟いたのはムギだった。
彼女の表情は相変わらず、冷ややかで表情らしい表情を見せてすらいない。
だが、発せられたその声はあからさまな軽蔑だった。それ以上でもそれ以下でもない。
間違いなく二人の目の前に広がっていたのは、人間同士が争った結果にこの場にいる人間が全てこれから命を落とそうとしている場所だ。
「人間らしいと思いますよ」
メイメイが言葉を返す。言葉は肯定的だが、表情は薄っすらとだけ笑みが浮かんでいた。
先ほどまでの楽しげな笑みではない。言うなれば嘲笑だった。
「らしいと言えば、そうなのかも知れませんが」
ムギはそう返して小さくため息を吐く。
そして冷ややかな視線を気配のする方へと向けた。
薄暗く狭い道の向こうに少しだけ広めの開けた場所がある。その場所には荒い息遣いと共に、先ほどから感じられている人間の気配がさらに強くなっていた。
街の裏側に薄っすらとだけ差す街灯の光によってかろうじて映し出される人間たちは、揃って壁に背をもたれ掛からせて肩で息をしている。目は焦点が定まっておらず一人は上の方に、一人は空の方へと向いてこそいるのだが何かを見ているという様子は見受けられなかった。
二人ともに揃って命の灯火は消えかけていて、口から血を流していたり見るからに激しい外傷がある。
口から血を流している人間の前にメイメイは立つと、冷ややかな視線と取ってつけたような笑みを向けた。
しかし人間に死神の存在を認識することはできない。
加えて命を落としかけている人間は、普段通りであれば見えるものすらもろくに視認できないような状況だ。万に一つすらメイメイのことを感じることすら出来なかったことだろう。
「……きっとあなたは楽しくない人生だったんでしょうね」
表情に憐れみの色を滲ませ、メイメイは宙に手を伸ばした。何もなかったはずのその場所には、途端に大きな鎌が形作られていく。
無から有をを生み出し、具現化された大鎌の持ち手をメイメイはしっかりと握りしめた。
左の赤、右の緑、それぞれ別の色をしたメイメイのひとみが冷ややかに光る。
「可哀想に、とは言いません。きっと自業自得でしょうから」
大鎌の柄を握りしめた手に力を込めると、メイメイはそのまま大きくそれを振り下ろした。
ひゅっと風を切る音を鳴らしながら大鎌の刃の部分がメイメイの動作同様に振り下ろされる。
人間に目掛けて一直線に向かう大きな刃もまた対象には認識されない。風を切る音も、鎌を振り上げるメイメイの大きな動作も、その全ては人間には見えることのないものだ。
当事者のメイメイと相棒であるムギ、今の状況を正しく認識しているのはこの死神たちのみだった。
そんな限定的にしか認識のされ用のない状況下で、メイメイが相対する人間は大鎌によって容赦なく刺激を与えられる。
しかしその刃が人間に到達したところで、血飛沫が舞うようなことはない。
与えられた刺激によって起こったのは、人間の体から何かしら光のようなものが溢れて浮かび上がり、宙を漂い始めた。
それだけにとどまらず光とは別の何かしら靄のようなものが人間の体から溢れ出て、今度はメイメイがそれに手を伸ばす。するとそれはメイメイの中へとみるみるうちに吸い込まれて消えていった。
「やっぱり人間の生気はたまりませんね」
「先輩、好きですものね」
「ムギさんにとってのアップルパイのようなものですよ」
「……一緒には、しないで欲しいです」
ほんの少し眉根を寄せ不服の表情を見せるムギに対して、メイメイはからかいの色を帯びた笑顔を向ける。
不服の表情を浮かべたまま、ムギの方ももう一人の人間──命の終わりの瞬間を今まさに迎えた人間──の前に立つ。
人間に向かい向き直った時、ムギの表情はいつものように淡々としており腰にさした刀の柄に手をかける瞬間にしても、全く迷いも戸惑いも見受けられない。
いつものようにいつもの仕事をする。それがムギのこの瞬間にやるべきことだった。
それに何を戸惑うことなどあろうか。
一瞬にして刀にかける手に力を込めて引き抜くと、白刃を閃かせながら一歩前に踏み込んだ。
両耳にぶら下がるダイヤ型の赤い石たちが揺れる。
次の瞬間には走る刀の軌跡が人間へと至り、メイメイの時と同様に人間からは光の塊のようなものと靄に似た何かが溢れた。
靄やムギの体の中へと吸い込まれ、もう消え去ってしまった荒い息遣いの音の代わりにこの場にはただ静寂だけがある。
そしてその静寂に浮かび上がるようにして二つの光の塊が存在しているだけだった。
これらは人間の魂だ。
死神が仕事として回収する必要のあるものであり、死神たちの世界へと持ち帰らなければならないもの。
この存在なくして死神が死神たる所以も失われてしまうという、まさしく必要不可欠かつ確実に持ち帰らなければならない代物だった。
二人はそれぞれを手の内にしまう。
するとみるみるうちにメイメイは笑顔を浮かべてムギの方へと向き直った。
「今回はこれでおしまい。お疲れ様でした、ムギさん♪」
今回顔を合わせてから一番の嬉しそうで、一番の幸せそうな笑顔をメイメイは浮かべている。
「……はい、お疲れ様です」
この調子のいい先輩のことを、基本的に総計をしているし仕事を一緒にする相棒として問題はないと思っているムギだが、妙に上機嫌な様子のメイメイに小さくため息を吐いた。
「表情が硬いですよ、一仕事終わったんですからほらほら」
そんなことを言いながらメイメイはほぼほぼ無表情なムギの頬をツンツンと突く。
またぞろ始まってしまったメイメイの悪戯に、ムギは再び呆れながらため息を吐き出すことしかできない。
こうなると、しばらくメイメイはこの調子が続くだろう。
いつも通りのことではあるのだが、少々辟易してしまいながらムギは「帰りますよ、先輩」と言って歩き出した。
メイメイは「待ってください、ムギさん」と、取り立てて困った様子も見せずに追いかけて歩き出す。
これは、死神たちのとある夜の一幕。
