君も幸せでしたか(tnzn)※死ネタ

 欲しいものほど手に入らない、というのはよく言われる話だ。
 実際それは、炭治郎にも適用されているらしい。何故なら、炭治郎が手を伸ばしても手を伸ばしても、彼の求めるものはその手をすり抜けて行ってしまうのだ。
 相手からは自身に向けられた恋慕の甘い香りが確かにするのに、逃げられてしまう。だからこそ、炭治郎は尚のこと必死になって追い回してしまうのだが、それがまた逆効果になってしまっているということもまた事実だった。
 必死に伸ばした手はいつだってあと少しのところですり抜けて、金色の君は少し先を走って行く。それはすっかり当たり前になった規定事項のようなもので、炭治郎は口惜しさばかりを感じていた。

 ◇◆◇◆

 ――君の隣が息苦しい
 そう思ったのはいつだったか。別に嫌だとかそういうことではない。その逆なのだ。
 好きだと、そう自覚してしまったが故に息苦しい。泣きたくなるような優しい音がいつも聴こえてくる、そのはず相手の音は善逸を前にすると乱れてしまう。今までそんなことはなかった。
 その時にふと思ったのだ。これは相手の音なのか、それとも自分の音なのか、はたまたその両方なのかと。
 考えれば考えるほど、隣にいることが苦しくなった。こんなにも苦しいのならと、いつしか伸ばされる手を振り切って、逃げるようになっていたが、相手は諦めない。
 わからない、どうしたらいいんだろうと善逸は頭を悩ませた。

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 文字通りのすれ違い、行き違いを繰り返す。繰り返すことどれほどの日が経ってしまったのだろうか。
 なかなか顔を合わすことも叶わないまま、時間だけが過ぎ去って行く。互いが互いに口惜しさと、どうしようもない気持ちを抱きながら、どうすることも出来やしない。
 そんなある日のことだ。任務の切れ目に、ついに二人は邂逅するに至った。
 屋敷の廊下で偶然出くわしてしまった二人の視線は右往左往し、動揺に揺れる。曲がり角で顔を突き合わせる形になってしまったため、見て見ぬ振りも出来ぬまま無言の時間が流れた。
「……善逸、任務は……」
「今のところは、予定はないよ」
「そうか……」
 必死に捻り出した会話もろくに続かない。さらに続く無言の間は、二人にとって気まずいものでしかなかった。
 お互いの欲が分かっているからこそ、次の一歩が踏み出せなくなっている。炭治郎は初めてのことにただ困惑し、善逸もまた初めてのことに臆病になっているのだ。
 なまじ相手の気持ちが、彼らの持つそれぞれの鋭敏な感覚で感じ取れてしまうからこそ、今まで起こらなかった状況にただただ困惑し、ぎこちない有り様を晒し合う。
 こんなところばかり不器用な二人は、ついにそれぞれの不器用さを目の当たりにして、どちらからともなく笑い始めた。
「なに、たんじろ……お前、不器用すぎない?」
「それは善逸も、お互い様だろう?」
 重かった空気は瞬く間に軽くなり、いつものように二人は隣り合って歩き出す。
 ここ最近のぎくしゃくした雰囲気もすでになく、彼らの口からそれぞれの悶々としていた感情が吐き出されることもない。
 二人はそれぞれの感情を胸の奥へと仕舞い込むことを選んだ。それが互いの幸せへの道となると信じて。
 胸にわだかまりを残す感情は、想いは、全てを墓まで持って行こうと二人してそう思うことを結論づけたのだから、それはそれは皮肉なことだ。
 炭治郎が手を伸ばし、善逸が逃れようとしたそれこそが“恋慕”という感情に他ならなかったが、それも最早過去のこととなってしまった。
 今この瞬間に、全ては過去となり全ては隠された。

 ◇◆◇◆

 あの日の選択は間違いではきっとなかった。それはかなり時間が過ぎ去った今でも、変わりなくそう思うのだから、少なくとも炭治郎にとってと善逸にとっては、間違いではなかったのだろう。
 鬼との戦いを終えて、仇を打ち、炭治郎は禰豆子はもちろん善逸や伊之助とも一緒に、我が家へと帰ってきた。
 それからは炭治郎としてはこの上なく幸せな日々の連続であり、こんな毎日がずっとずっと続けばいいのにと願わずにはいられない。
 あの厳しくも、幸せのある鬼を狩るための日々を思うと、炭治郎はやはり善逸がいてくれてよかったとそう思うのだ。
 自分はおそらく、もう長くはない。痣のつけが回ってくる瞬間が迫っていることが、感覚でわかってしまう。
 だが、いやだからこそだろうか。
 炭治郎は、自分がいかに幸せだったのかを強く思い、強く感じる。
 あの日の想いは墓まで持って、それでも自分は幸せだった。

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 炭治郎が逝ってしまってから、善逸は考える。
 自分は幸せに生きていると思うけれど、あの日お互いの気持ちを告げていたらどうなっていたのだろうか。と。
 考えたところで、もしもと言うのは起こり得ない。それゆえに不毛だな、とは思うのだが、それでも善逸は思考せずにはいられなかった。
 あの日、お互いの気持ちに蓋をした瞬間は、少なくとも自分たちの気持ちは向き合っていたのだろうと思うのだ。その思い合った結果の未来を想像することは罪だろうか。
 否、そんなことはないはずだ。
 死人に口なし、という言葉の通り炭治郎の答えが聞けるわけではない。生前は怖くて聞けなかった、というところもあるのだが。
 それでも、きっとあり得なかった未来もきっと幸せだったと善逸は思う。
 今の自分が、不足だらけの自身が、こんなにも幸せなのだから。
 こんな気持ちを抱けるようになったのは、きっと炭治郎のおかげだろうと、善逸は深く深く感謝する。
 墓に参り、手を合わせ、善逸は空を見上げた。

 ――君も幸せでしたか。