屋敷の中が慌ただしい。元来、怪我人を受け入れていることもあり、慌ただしいことは決して珍しいという訳ではなかったが、どことなくいつもとは違うようにかんじられて炭治郎はしのぶのいる部屋はを真っ直ぐに目指した。
しかしいつもの部屋に、しのぶの姿はない。急の対応でもしているのだろう、炭治郎は自身のよく効く鼻を余すところなく活用して彼女の居場所を探る。そう苦労することなく見つけることの出来たしのぶの姿は、とある病室にあった。
「しのぶさん」
振り返ったしのぶは、いつもの通り驚くほど隙のない動作で人差し指を自身の唇に当てると、しっと小さく炭治郎に対して声を控えるように促す。
「……すみません」
「いいえ、こちらこそごめんなさいね。やっと眠ったところなので……」
そう言うしのぶの視線の先に静かに眠っていたのは、他ならぬ善逸だった。
炭治郎は驚きに思わず大声を上げてしまいそうになるが、それをどうにか堪えると大きくひとつ深呼吸をする。
「一旦、外へ出ましょうか」
しのぶの言葉に従い、庭の縁側まで二人は足を運んだ。その道すがらでも炭治郎の頭の中は、不安な感情と不明瞭なな現状への意識ですっかり占められている。
「目の前に善逸くんが眠っていては落ち着けなかったでしょう? 炭治郎くん、もうお話ししても大丈夫そうですか?」
「はい……お願いします」
幾分か落ち着きを取り戻した炭治郎に、小さく微笑んで見せてからしのぶは彼の疑問に思っている現状について語りはじめた。
曰く、善逸が単独で任務をこなした折に、血鬼術を受けたのではないかと言うのだ。屋敷へと戻ってきたとき善逸は、いわば眠っている状態であったらしく静かなものだった。
それでもいつもとは違うところがあったのも事実で、どうにも音に反応しなかったというのである。何が起こっていたかは、目を覚ました善逸の大騒ぎによって周りにいた人たちの知るところとなるのだが、「音がしない」というのが彼の言だった。
「ご存知でしょうけれど、善逸くんはとても耳が良いです。その聴覚を一時的にでも奪われることになった訳ですから、不安を持ったり取り乱したりは仕方のないことですよね。ですが、ほかの病人もここで養生していますし、静かにしていただく必要があって今やっと薬で眠ってもらったところだった、という訳なんですよ」
しのぶはそう言葉をしめくくると、苦笑する。血鬼術を使った鬼の方は、善逸が既にその頸を落としたとの報告があったようで、じきに症状は改善するだろうとは言っても、やはり本人は不安だろうし炭治郎としても心配だ。
善逸の状況を慮る炭治郎の状況は険しい。眉間に皺は寄り見るからに深刻な様子を見かねたしのぶは、いつものように笑う。
そして彼の眉間の皺に指をあてると「それでは善逸くんの元気がもっとなくなってしまいますよ?」と、相変わらずの涼やかな顔で囁いた。
「そう、ですね。ありがとうございました、しのぶさん。俺、善逸のところに戻ります」
そう宣言するが早いか炭治郎は、来た道を戻っていく。すっかり落ち着きを取り戻した様子で、真っ直ぐ病室へと戻った炭治郎はそっと部屋の扉を開いた。
ほんの少し前にはベッドの上で寝ていたはずの善逸が、その上半身を起こしてぼんやりとしている。炭治郎がやって来たことにも気づくことなく、彼の瞳はひたすら不安げに揺れていた。その様子と違わない不安を色濃く感じる匂いが、炭治郎の鼻に確かに届く。
炭治郎はつとめて明るい表情で善逸の視界に入ると、口をはっきりとそしてゆっくりと開いて彼の名を呼んだ。
すると、みるみるうちに善逸の目には大粒の涙が溜まり、炭治郎にしがみついた。その口からは小さく嗚咽がもれるばかりで、いつもの様子からすると圧倒的に静かだ。
しがみついてくる善逸の背中をさすってやりながら、炭治郎は思っていたよりも状況が深刻であったことに少なからず驚いている。
「ね、なおる……よね、これ」
たどたどしく紡ぎ出される言葉は、善逸の不安を率直に表していて、その表情もまた不安に揺れていた。
「たんじろお。おまえのおと、ききたい……」
あいかわらずしがみついたままの善逸が、上目遣いで懇願する姿は不謹慎ではあるのだが、少なからずそそられ気持ちがして炭治郎は息を飲む。
そんなことを知る由もない善逸は、再び炭治郎にしがみつき泣きじゃくるばかりだ。子供をあやすように善逸を撫でる炭治郎の手をひたすらに、彼の背中を撫で続ける。すこしずつ落ち着いて来たのだろう、なんども大きく揺れていた肩はすこしずつその震えがおさまってきていた。
「善逸」
抱きしめる格好になったまま炭治郎は呼びかけてみるが、やはり音は届いていないらしく善逸は反応を示さない。相変わらず炭治郎にしがみつき続けている善逸からは、大分いつもに近い匂いがしていて炭治郎はほっと胸を撫で下ろした。
すると突然、弾かれたように善逸が身体を離して姿勢を正す。
「善逸? どうした?」
「たんじろ! 音が! 聴こえる!」
瞳を輝かせた善逸が、勢い良く炭治郎に訴えかけた。
「本当か」
「聴こえる! お前の声も、音も!」
嬉しそうに破顔して、再び炭治郎に抱きつく善逸の姿は、先程と変わらぬようでいてその全てがまったくの別物だ。
「治ったんだな、よかった」
炭治郎の安堵の言葉に善逸は、なんども「うん」と肯定の言葉を返す。そして抱き締めた炭治郎の身体に何度も頬を寄せては、笑って見せた。
