夜の帳はすっかり降りて、縁側に面した外から差し込む月明かりに部屋の中は淡い光で照らされている。控えめな光に照らし出されているのは炭治郎と善逸の二人の姿だ。彼らの表情はどこかぎこちなく、互いの間には不自然な距離が生まれていた。
互いに互いを見やっては溜息を吐く。共々にその表情はぎこちなさに加えて困惑の色に染まっていた。彼らはいつもであれば、談笑し善逸が声を荒げてみたり炭治郎がそれを諌めたりといった良好な関係と円滑な交流を成している訳なのだが、今日の二人の状況は特別で特殊だ。
そのいつもとは違う状況というのは彼らの関係性が、ほんの少し前に劇的に変化を遂げたことにある。有り体に言うと彼らは互いに想いを寄せ合っており、互いが互いの想いを知るに至った――相思相愛、交際がまさに始まったばかりということなのだ。関係があまりに変わりすぎて、いつもと変わりない状況であるにもかかわらずどうしていたらいいのかも分からず、落ち着きのない現状が残念ながら成立してしまっていた。
相変わらず炭治郎からも善逸からも口が開かれることはなく、どうにも落ち着きのない時間が流れ続ける。何かを言おうと試みても、言葉が出てこない。そして時間ばかりが過ぎていく。
「……えっと」
やっとの事で無言を切り裂く声を発したのは、善逸の方だった。
「あのさ……その……今日もいい天気だな!」
「そ、そうだな!」
「月、でかいな!」
「ああ、綺麗な満月だ!」
この上なくぎこちない、かろうじて会話の程を成している言葉のやり取りは悲しくなるほどの空虚さで、いつも通りに振る舞えないことへの歯痒さが二人の中で大きくなっていく。
「……うまくいかないものだな」
もどかしさと焦りを滲ませながら、炭治郎は善逸へというよりは自分自身へ語りかけるように呟いた。その想いは善逸へも痛いほどに伝わり、炭治郎の言葉に苦虫を潰したような表情を見せつつ何度も何度も小さく頷いてそれを肯定する。善逸の様子に炭治郎はホッと胸を撫で下ろしながら、たまらず苦笑を浮かべた。
「俺さ、こういう……なんていうの。付き合うってもっと、止まらなくなるんだと思ってたんだけど……そうじゃないこともあるんだな」
善逸は驚きと感慨深さを織り交ぜて、言の葉を声に乗せることで初めて腑に落ちた様子でまた先ほどのように何度も今度は納得したように頷く。
「正直、こんなに余裕がなくなるとは思ってなかった……」
「それ! それだよ!」
しみじみと呟く炭治郎に、善逸は食い気味に肯定の言葉を発しながらずいと互いの距離を詰めた。その様子に二人は同時にハッとする。
「……何だよ。炭治郎、でかい緊張の音がしてるぞ」
「それを言うなら善逸だって、緊張のにおいがする」
善逸はその耳を生かし、炭治郎はその鼻を生かし、相手の緊張を暴露するがそれもまたどっちもどっちと言うやつで、二人はどちらからともなく笑いはじめた。
「炭治郎、こういう時うそはないから表情はおかしくならないんだな」
「うそなんてつく訳ないだろう。善逸はあまりに喋らなくなるからビックリした」
「いつもは五月蝿いってことか! 知ってる、俺一人で騒がしいって!」
「そこまで言ってないだろ」
「いいんだよ、隠さなくても!」
少しずつ調子が戻り、いつも通りとまでは言えなかったがぎこちなさも不自然さも、噛み合わないと感じたその全てが急速にいつもの姿に戻ろうとしていることに二人してホッとする。結局のところ、炭治郎も善逸も思うところはどうしようもなく気負い、そしてはじめてのことに緊張していたのだ。気づいてしまえば大したことはないことだった。
いつも通りの少し騒がしいやり取りにやっと戻れたことに安堵した善逸の耳に、再び炭治郎の緊張の音が飛び込む。しかし今度は過度な緊張の音ではない、先のものよりは落ち着きの残った居心地は決して悪くない音だった。
「炭治郎?」
様子の変化を確認するように隣の炭治郎の方へ視線を向けた善逸の目の前には、真剣な面持ちで真っ直ぐで赤みがかった瞳がある。
「手を、握っても……いいだろうか」
「へ?」
許可を求められた行為が想像よりも大層慎ましく、善逸の口からは間の抜けた声が漏れた。
「だめ……だろうか」
炭治郎は相変わらず真剣そのもので、逸らすことなくひたすらに善逸へ視線を向ける。音を聞かずとも感じられる緊張に善逸も影響され、ごくりと唾を呑んでからゆっくりと口を開いた。
「どうぞ」
言葉とともにそっと炭治郎の側にある手を差し出すと、善逸の内心にはどうしようもなく恥ずかしさが襲ってきて思わず頭ごと視線を逸らす。炭治郎は差し出された手をしっかりと握りしめると、空いている方の手を善逸の頬へ添えて彼が逸らした視線を半ば強引に向き直らせた。
「ちょ!」
「顔が見たい、いいだろ?」
そう言って笑ってみせる炭治郎は、先ほどまでの初々しい緊張など何処へやら。余裕すら見えるほどの落ち着きのある仕草と音に善逸は口をとがらせる。
「……それ、ずるいだろ」
「今の善逸もな」
精一杯の抵抗もさらりといなされて、炭治郎は流れるように顔を寄せた。
