——あれからどれだけの時が流れたのだろうか
永遠を生きる天族、ミクリオは流れた時を忘れてしまうほど待ち続けた。待ちに待ち、さらに待ち続けた日は遂に訪れる。見るはずのない夢に見た思い描いた姿だった。
文字通り、待人来る。幼馴染で、相棒で、親友で、ライバルで……陪神として共にあった導師、スレイの姿はあの日と変わらぬものでミクリオの隣に在った。
ミクリオが遺跡に赴いた折、足を取られあわや穴へと落下するかと思ったその時に目の前に現れたのがスレイだったのだ。自身の手を取り向けられた視線に、スレイが最後に別れたあの日のまま戻ってきたのだと分かった。その目は昔と変わらず、暖かく柔らかでそれでいて強い意志を宿したもので、ミクリオの中に懐かしさや喜びの感情が湧き上がったのはつい昨日の出来事だ。
それから、遺跡をあとにして一度ミクリオの拠点としている近場の街へと戻り、ミクリオの一人で過ごす為に借りた宿の一室へと戻る。大きくもない部屋に不足はないが広くもないベッドがひとつ。それはとても簡素かつ質素なものではあったが、不足のないものだ。寧ろ、お互いの存在が目の前にあるならば不足などありえない! とでも言うほどの勢いで、彼らは一晩中語り明かした。互いの知らない、互いの経験を伝える。ときに脱線し、ときに腹の底から笑い合い、時間はあっという間に過ぎ去っていた。
「にしてもミクリオ、背も髪も伸びたよなぁ」
「当たり前だろ! どれだけ生きてきたと思っているんだ」
ベッドの上で肩を並べで座る二人だったが、スレイは感慨深そうにミクリオを上から下まで見つめて、すっかり長く伸びた彼の柔らかなウェーブのかかった髪をいじりつつやはり感慨深そうな様子で呟く。その答えに敬え、とでも言わんばかりに胸を張るミクリオは、目に映る姿こそ変わってもやはりミクリオなのだとスレイに実感させた。
「ところでスレイ。その……なんと言っていいか分からないんだけれど、いま君はどういう状態なんだ?」
スレイの様子をまじまじと見つめながら、今度はミクリオが疑問に思っていたことを口にする。旅をする中で聞いた人間が天族へと変わる話では、人間のころの記憶はなくなるのだということだったが、スレイはそうではない。マオテラスと繋がったことで、時に置いていかれる天族とは違う存在になったのではないかと考えたが、それも確証に欠ける。それらの疑問を解消、確認すべく、意を決してミクリオは問いかけの言葉を口にしたという訳だった。
ああ、とすっかり忘れていたという様子でスレイは苦笑する。
「メーヴィンと同じだよ」
その返答だけでミクリオは、自身の考えが正しいことを理解した。スレイは曇りのない爽やかな笑顔を浮かべ、満足げな様子でミクリオに真っ直ぐ視線を向けている。彼の様子を見ているだけで、傍から見れば過酷に思えても本人は後悔はあれど納得しているのだろうことは如実に伝わってきた。
「なぁ、ミクリオ」
「なんだい?」
「世界は……変わったかな?」
先程から一転して、スレイの瞳は不安に揺れる。隠そうとしているようだったが、ミクリオ相手にはその行為自体が無駄というものだ。
しかしミクリオは、そんなスレイの様子に触れることなく柔らかな笑みを浮かべる。
「少なくとも、君が眠ったあの日と比べたら……世界は変わったと思うよ」
「そっか」
スレイはミクリオの返す言葉と表情に、納得した様子を見せた。言葉は少ないがそれでも互いにどこか通じるところがある、長い間離れていたとは思えないような感覚に二人は安堵を抱く。次の瞬間、ミクリオはなにかに気がついたと言う様子で、ぽんとひとつ手を打った。
「君はこれからどうしたい? スレイ」
「そうだなぁ……」
ミクリオの問い掛けにスレイは、腕を組んで唸り声を上げる。その表情は真剣で、眉間による皺はその真摯さを表していた。
「みんなに会いたい」
「分かった、そうしよう」
スレイの答えをミクリオは二つ返事で了承すると、窓のところに現れたノルミン天族へ声をかけはじめる。仲間たちをスムーズに集めるために彼らに協力を仰いでいるようだった。スレイはミクリオの様子をまじまじと見つめて、彼の姿を観察している。
見た目こそ変わったが、話す声も様子も以前よりは落ち着いたとは言ってもやはりミクリオなのだと、スレイに実感を抱かせるには充分すぎるほどのものだ。ややもしないうちにミクリオは、ノルミンとの話を終えてスレイの方へと向き直る。
「話はつけたよ。集合場所をレイフォルクにしておいた」
「レイフォルクかぁ! エドナは相変わらずなんだ?」
「まぁ、そうだね。行けば分かると思うよ」
「だな」
ライラやザビーダは定住している場所がある、という訳でもないようで昔と変わらず霊峰レイフォルクに定住しているエドナのところへ集まる、という話でまとまったらしい。
「じゃあ行こう!」
「待て、スレイ」
「ん?」
「一度睡眠を軽くでもとっておいた方がいいんじゃないか?」
「そうかな、今は全然大丈夫だけど」
「念のためだ。今の君の現状をはっきり把握できているわけじゃないんだから、無難な行動を心がけておいて損はないだろう?」
「だから眠くないって……まじめだなあ」
「いいだろ。別に急ぐ旅でもないんだし、無理せずゆっくり行けば」
瞳を輝かせるスレイを止めることは気が引けたが、背に腹は変えられない。ミクリオはスレイを引き止めて休息を進言する。進言に対して露骨に渋っていたスレイだったが、最後には一応のところ同意する。しかしその表情には、不服の色がありありと浮かんでいた。
「ほら、ベッド使っていいから」
「オレ、すっごい寝たんだけどなぁ」
「いいから!」
「分かったって」
ミクリオはベッドから立ち上がり、何度もベッドを叩いてスレイへ寝ることを過剰なまでに促す。その様子にスレイはあからさまに膨れっ面になりながら大人しく布団の中へ潜り込むが、本人の言の通り眠気はどうやら訪れない様子だ。
しばらく寝返りを打ったり掛け布団を被り直したりと、試行錯誤を繰り返していたスレイだがついに勢いよく飛び起き、ミクリオの方を見る。視線の先のミクリオは旅についての書き物をしているところだったが、スレイが起き上がる振動も彼からの視線に何事かと振り返った。
「眠れない!」
振り返ったミクリオと視線が合うやいなや、すぐにスレイは不服の声を上げる。まるで幼少期に戻ってしまったかの様子に、ミクリオは苦笑を浮かべずにはいられない。
「ミクリオ」
スレイはミクリオのことを呼びながら、真っ直ぐに手を伸ばす。そしてその手で手招きをすると悪戯っぽい笑みとともに口を開いた。
「一緒に寝よう?」
「いや、僕は寝なくても大丈夫だよ」
「いいから。昔みたいに、さ」
誘う視線は真っ直ぐに向けられていて、ミクリオは肩をすくめてみせるとそのまま伸ばされたすれいの手をとる。
「分かったよ。少しだけ、な」
そう言ってスレイに手を引かれるまま、ミクリオが彼の隣に滑り込むとすかさずスレイが懐くようにすり寄ってきた。そのまま流れるように腕を回してミクリオのことを抱きしめた。
「スレイ……」
「あたたかいな」
「ああ、そうだな」
されるがままのミクリオの目は潤んで、宝石のように輝く。二人はそのまま仲良く眠りにおちていった。
翌日、二人の姿は霊峰レイフォルクの麓にあった。前日、二人で寝こけてしまってから眼を覚ますことなく、すっかり一日中睡眠を貪ってしまった。
本当は昼間に出発しておきたかった、とはミクリオの言である。とは言っても、急を要するというほどではない旅ということもあり、起きた油断がなかなかゆっくりとした時間を過ごして旅路は予定からずれ込んではじまったのだった。
「ここは全然変わってないなぁ」
「相変わらず、人間が近寄ろうとしないからね」
「そっか」
霊峰へと続く一本道を歩きながら、スレイの持つこの地の記憶と実際の姿があまりに同一すぎて、つい感動のあまりに声を上げる。ミクリオの冷静な返しにもやはりスレイは嬉しそうにあたりを見回していた。
「相変わらずなのね、スレイ?」
道を抜け、切り立った大小さまざな岩の山が並び立つ中へ足を踏み入れてすぐ、冷ややかな声が二人の上から降り注ぐ。
「エドナ!」
声の方へ顔を向けながら、喜びに目を細めたスレイが声の主の名を口にする。呼ばれたエドナは、小さめな——とは言っても、スレイとミクリオの身長よりは大きい——岩の山に腰掛け、手持ち無沙汰な様子でさした傘をくるくると回していた。表情は昔と変わらず片方の口角の上がった少々意地の悪い笑みを浮かべているが、透けるような明るい青の瞳には喜びの感情を微かにしか見えないが映している。その様子に気づいたミクリオは、エドナに引けを取らない意地の悪い笑みとともに彼女の方へ一歩近寄った。
「なに? ミボの癖に生意気よ?」
「まだ何も言っていないだろう! ミボは余計だ!」
「言わなくても想像はつくでしょ? 頭を使いなさい、頭を。だからミボはミボなのよ。未熟なぼうや、略してミボ」
「二人は変わらないな」
「全く……僕としては少しは変わって欲しいものだけどね」
「そっくりそのまま返しておくわ」
「ははは」
ひたすらに続く小気味よいテンポのやりとりに、スレイはまた嬉しそうに破顔する。
「よぉ、導師サマ。久しぶりだな、もうすっかり本調子か?」
「ザビーダ! うん、大丈夫だよ」
三人が会話をしている中に待ち合わせのために訪れたザビーダがふらりと入ってきて、スレイの肩に肘をついてもたれかかった。スレイはザビーダの肘から伝わってくる重みに身体を若干傾けながら、上目遣いに視線を向ける。
「そいつは何よりだ」
満足げにスレイから離れるザビーダは、やはり相変わらずの風来坊に思える様子でへらへらと気の抜けた笑みを振りまいた。
「皆さん、お揃いですか?」
スレイたちの後ろから、おっとりとした柔らかい響きの声が全員の耳に届く。聞き間違いようのない声だ。
「ライラ!」
「わたくしが最後ですね、お待たせして申し訳ありません。スレイさん、お会いできるのを楽しみにしましたわ」
「オレもだよ」
今度は声の方へと振り返りながら、スレイは満面の笑みでライラに対面する。スレイの姿を確認したライラも、花が咲いたかのような満面の笑顔で相対した。こうしてあの日別れた天族たちと眠りについた導師が揃い、話に花を咲かせる。天族たちは少しずつ姿を変えていても、ほとんどは以前と変わりなくスレイの記憶の中の姿に相違がなかった。スレイ自身も変わりない姿であったので、まるであの日の続きなのではないかと、そう思えてくるほどだ。
しかし、スレイは承知していた。レイフォルクへ向かう道中に街道に人の姿が多く見られていたこと、立ち寄った街はスレイの記憶とは異なっていたこと、そしてなにより自分たち以外の人間と天族が当たり前のように会話を交わしているということ……紛れもなく人間が普通に生きていてはたどり着けないくらい時間が経過していることを承知せざるを得ない。
そのことに、少しの寂しさとそれ以上の期待と喜びを持って、スレイはそこに立っていた。目の前では懐かしさに満ち、それでいてスレイにとっては新鮮さも併せ持つ会話が弾む。スレイの眠っている間に何が起こり、どんな変化があったかということを彼ら天族たちの会話から想像することは容易だった。
声を発することなく、ひたすらに話の内容を聞き逃すまいとでもするかのように、真剣な——寧ろ真剣すぎるほどの——表情で耳を澄ましているとスレイに対して隣に立つミクリオは視線を送ると、脇腹を軽く小突く。
「わ、なんだよミクリオ」
「別に?」
スレイとミクリオがお互い負けじと小突きあっている様子を見て、ザビーダは安堵しているような呆れているような何とも形容しがたい表情で息を吐くと、エドナとライラを見遣った。
「ミク坊もすっかり昔と変わらないな」
「そうですわね。こんなに楽しそうにしているミクリオさんを見るのは、久しぶりです」
「まぁ、良かったんじゃないの」
「ええ、良かったですわ。本当に」
年長天族たちが感慨深げに見守る中で、スレイとミクリオはまだまだ小突き合いを続けていてその様子はこの上なく楽しげだ。そんな様子がしばらく続いたが、話の途切れた一瞬の静寂ののちにスレイがおずおずと口を開く。
「オレ、行きたいところがあるんだけどいいかな?」
「もちろんですわ。どちらに行かれたいのですか?」
「ロゼとアリーシャのところ」
スレイの返答に、ぴたりと全員の動きが止まり彼の言葉の続きを待っていた。
「オレがどれくらい眠ってたのかはよく分からないけど、多分もう亡くなっているんだろうなって思って……二人のお墓に連れて行ってくれないかな? ちゃんと挨拶したいから」
「あぁ。きっとロゼもアリーシャも喜ぶと思うよ」
真剣な面持ちで視線を遠くへ向けたスレイに、ミクリオは頷いて言葉を返す。ライラもザビーダもエドナも声は出さずとも、スレイの希望を肯定している様子だった。
スレイたちがレイフォルクを後にしてしばらく、彼らの姿は見晴らしの良い平地を一望できる高台にあった。高台の端に質素だが、美しく手入れの行き届いた石碑がある。
「こちらですわ」
「ロゼ」
ライラの導きに、スレイは一歩石碑の前に歩み出た。
「きっといろいろ頑張ってくれたんだよな……ありがとう」
そう言ってそのままそこで手を合わせると、スレイは双眸と口を閉じてあたりは静寂に包まれる。そよぐ風の音だけが彼らの間を通り抜ける、それだけだった。
どれくらいそうしていただろうか。スレイは後ろに立つ仲間たちの方へ振り返ると、お待たせと笑った。
「もういいの?」
「うん、大丈夫」
エドナの問いかけにはっきりとスレイは答え、空を見上げる。そこにまた風が吹いた。
「風……」
「デゼルさんのことをつい考えてしまいますわね」
「うん」
「あの野郎の風だとしたら、粋すぎるだろ……」
ライラとスレイが話す中に、ザビーダが割って入る。何とも複雑と言わんばかりの表情で眉間にしわを寄せているが、デゼルの形見である帽子に触れながら感慨深げでもあった。
その足で真っ直ぐレディレイクのほど近くにたどり着いたスレイたちは、静かな公園の中にある大きな石碑の前にたどり着く。厳かにも思える様子と、沢山の人間の手が入っているのであろうことが伝わってくるその石碑は、尋ねることをせずともこの場所がアリーシャの眠る場所なのだろうということを感じることができた。
「分かってると思うけど、ここがアリーシャの……」
「うん、分かってる。アリーシャ、愛されていたんだな」
「それはもう、スレイさんが知る以上に」
「だな、さすがっていうか……らしいていうか」
「そうね」
承知している以上であることに、アリーシャの努力を想いスレイは石碑に向かって笑顔をうかべる。
「アリーシャ、何も言わずに行ってごめん……」
最後の戦いに赴く際、彼女には彼女の役割があると割り切って星空の下、出発をしたのだったがアリーシャと話をしたかったという気持ちも確かにあった。その気持ちを言葉にしながらスレイは、その荘厳にして厳かな石碑に対して手を合わせると、先と同じく双眸を閉じる。そしてやはりしばらく、そのままの状態で口ひとつきくことなく立ち尽くした。
そうしてまた、どれほどそうしていたのか。スレイは一歩前に進み出ると、真っ直ぐ正面を見つめていた。
「ロゼとアリーシャだけじゃない、みんなにも苦労かけちゃったよな……でも、オレは後悔してないよ」
「わたくしも後悔はありません」
「それでこそ、だろ」
「あなたの決意を認めたのはワタシたちなんだから、それでいいのよ」
「今さらだね。ロゼもアリーシャだって、それを認めるだろうさ」
「そっか……うん、ありがとう」
返される言葉にスレイは笑顔を見せ、もう一度瞼を閉じる。そして、再び開いたその目には強い意思がはっきりと宿る。
「オレの信じたものは、この世界にもうあるんだ」
そう言ってスレイは、大きく頷いた。
——あれからどれだけの時が流れても、目指すものは変わらないんだ
