知らなかったこと、知ろうとも思わなかったこと。
それらが互いに集約していく。不思議な感覚を味わう二人は、いつしか相手を尊敬し、思いやり、ときには反目することもあったがそれも乗り越えて、唯一無二であるという実感を手にしていた。
幾度となく感情を揺らした環と、幾度となく感情を揺らさぬようにとつとめた壮五は、今や最強の相棒と言っても過言ではないのだ。
だが、互いの全てを知っていると言うわけでは決してない。
特に壮五は以前よりも自分自身のことを口にするようにこそなったが、それでも生い立ちにまつわることや気持ちについてなどを隠そうとしてしまうところがある。
環としてはそのこと自体があまりにも口惜しく思えるものなのだが、きっとそれは自分が子供であることからくるものなのだろうと考えていた。
自身もそれなりに複雑な環境の中で育ってきた方だとは思っているが、壮五のそれはかなり複雑でなかなかに稀有なものである。一般的な感覚を持った人間の大半には想像することもできないようなものだ。
そういったことはおいそれと口にできるものではなく、壮五の性格的にもそれは難しい。
互いに対等な存在であると思う反面、年齢の壁というものは厚くそして高いものだと思い知らされるのだ。
壮五を取り巻く全てから彼を守れるような大人になりたい、というのは最近の環が切に願うことでもあった。
そんなことを悶々と考えながら眠りについたせいだろうか。環の今朝の目覚めには、なんとも評し難い気持ちが添えられていた。
「おはよう、環くん」
共有スペースであるリビングへ続く扉を開くと、すでに壮五の姿があり環に対してにこやかにあいさつの言葉を口にする。
「そーちゃん、おはよ」
なるべく普段通りを心がけながら、環はあいさつの声を返した。
リビングには他に誰の姿もなく、いつもよりも何となく寂しげで妙に広く感じられる。騒がしいことの多い場所としてすっかり馴染んでしまっているからこそ、人が少ないと印象が一変するのはいつまでたってもどうにも慣れないものだった。
「今日はみんなもういないの?」
「うん、今は僕たち二人だけだよ」
いつもメッゾの仕事を並行して行うために二人がバタついたり、寮にいないということが多いため、今日のこの状況は何だか新鮮な気持ちにさせられる。
普段の環であればそこまで何かを気にし過ぎることもないのだろうが、今日は夢見の影響もあって何とも言えない気持ちになってしまった。
「環くん? どうかした?」
「ん〜、別に?」
まさか夢に見たことを伝える訳にもいかず、環は、素知らぬ顔ではぐらかす。環の様子に曖昧な微笑みを向けながら壮五が離れていく。
気分を害させてしまっただろうか。
それは明確な不安という感情だった。環はその感情に振り回される形で、離れていく壮五の腕を掴む。
「環くん?」
腕を引かれ、ぐんと後ろに引き戻される格好になった壮五が、環の名を呼びながらちらりと彼を見つめた。
「二人っきりなんだろ? じゃ、一緒にいよ?」
不安を必死に振り払うように環は誘い文句を口にする。もちろんこれが本当の気持ちでもあるが、不安な気持ちを抱く自分とそれ以上の不安を抱いたのかもしれない壮五に対して、何か行動をせずにはいられなかった。
「そうだね。せっかく顔を合わせたんだし……一緒にいようか」
にこりと微笑む壮五に対して、環は安堵の息を吐く。そして二人は談話スペースのソファに揃って腰を下ろした。
この場どころか、この建物の中に二人しかいない状況であるため、口を閉ざしてしまえば静かなものだ。
横に並んでただ座っているだけの二人なのだが、壮五の方はどこか満足げに見える。反して環の方はどこか不安げに思われた。
「どうしたの、環くん? 変な夢でもみた?」
普段と比べて不安げに見える環に対して、壮五は疑問の言葉を向ける。
「……そういうんじゃねぇし」
「じゃあ、何か……」
「別に、何もねぇし」
露骨に、そしてあからさまに否定する環の様子は、見るからに何か思うところがあるという肯定に見えた。
だが壮五がそれをさらに問うことはない。環のことをわざわざ休みの日に追い詰めるような真似をしたくはない、というのが正直なところだった。
「な、そーちゃん」
「うん?」
ちらりと様子を窺うように視線を向けた環と壮五の視線がぶつかる。ほんの少しの間の後に、環が再び口を開いた。
「俺、いっぱいがんばるから」
それは主語のない決意表明だ。壮五からしてみれば、要領を得ないものでもある。
しかし環の気持ちや決意は十二分に伝わってくるものだった。
「何の話かわからないけど、環くんはよく頑張っていると思うよ? 最近の環くんは本当にすごく頑張っていると僕は思っているけど」
「ちげぇ、そういうんじゃなくて……あーもう!」
意図したところとは外れた返答に、環は言葉も態度も表情ももどかしげに移ろわせる。次にはがしがしと頭を掻いて、その感情をはっきりと態度で表した。
そんな正しく等身大だろう環の姿にたまらず壮五は微笑む。
「大丈夫だよ、環くん」
「もー……」
認識の相違とも言える状況に対する感情は、環にとってはもどかしく、壮五にとっては微笑ましい。
それは互いにたがいのことを思ってのものだが、裏と表とも表せるほどに正反対のこの感情は片や自分自身を振り回し、片や自分にはまだきっと余裕が残されていると思えるものだ。
揺れ動き、揺蕩い続けるその感情たちは、それぞれに決意を抱かせる。
それは変わりたいという願いと、変わらないで欲しいという祈りだった。
