ちょっと長め!
世の中は浮き足立っている。
街中はハートとチョコレートの甘い香り、そして少し落ち着きのない人々の喧騒。
そんな中、オスカーは一人憂鬱を抱えていた。毎年この時期になると、どうしても憂鬱を感じてしまう。それはこの時期のイベント〝バレンタイン〟についてのものだ。
何故そんなに憂鬱になってしまうのか、それは毎度オスカーがもらうチョコレートの量が関係している。
本人はそんなつもりが決してないが故に認識の相違を起こしている部分ではあるのだが、オスカーは一般的にいうところのモテるタイプの人間であり、毎年多くのチョコレートを渡されるのだ。学校では机の中やロッカー、靴箱に至るまでチョコレートが入れられており当然のごとく手渡しもされる。家にまで届けられる場合もあるのだから相当だった。
他人の好意を受け取ること自体は嫌ではなく寧ろ嬉しいと感じてはいるのだが、だからこそもらったチョコレートを自分一人で処理できないという問題にぶち当たってしまう。
それがただただ憂鬱だった。
オスカーは派手に大きなため息をひとつ吐き出す。
すると、隣を歩いていたミオは首を傾げた。
「オスカー? どうかした?」
「うん……そろそろ、バレンタインでしょ?」
「ああ……」
ミオの脳裏には高校一年の時の凄まじい数のチョコレートを受け取って、終始困り顔だったオスカーの姿が浮かぶ。
「去年、大変そうだったもんね……」
「中学の時より、多かった……だから今年はどうなるんだろうって」
そう言ってオスカーは苦笑いをミオに向けた。見るからに複雑そうな表情にミオもまた苦笑いを返す。
確かにあれは困るだろう、そう思うには十分すぎるものだったのはミオから見ても明らかだった。
「けど、それだけオスカーのことをみんなが好きってことでしょ?」
「まあ、そうだし……それ自体は嬉しいんだけど……チョコがね……」
オスカーはやはり困った表情を浮かべたまま、チョコレートのことに言及する。
困りきりな様子で歩き続けるオスカーと、隣を歩くミオが進む帰り道を見下ろす空にはほんの少し橙色が混ざり二人並んだ影を地面に作っていた。長く伸びた影はもうすっかり見慣れて久しいものであり、その長さが同時に時間の経過を表している。
明日のバレンタインデーはすぐそこまで迫ってきていた。
時間は進んでバレンタインデー当日。
学校へ行く支度を終えるなり、母親から毎年恒例のチョコレートを貰いオスカーにバレンタインデーの始まりを告げる。
一般的な高校生男子であれば抱くだろう期待感よりも、憂鬱の方がどうしても勝ってしまうのは仕方がないというものだ。
「今年も本命の子からチョコ、もらえるといいわね?」
母親のそんな言葉に、苦笑しながら「まぁね」と言葉を返して家を後にする。
そしていつものようにミオの家を訪れて、インターホンを鳴らした。相変わらず朝が弱いらしいミオが家の前に支度を整えて出てくるまで、少し待ってから笑顔で迎える。
「おはよ、ミオ」
「おはよぉ……」
気だるそうに──それもまたいつも通りだ──しているミオの手を引いて、オスカーは学校へと向かった。
ここまではいつもと変わりない。そう、ここまでは。
学校に近づけば近づくほど、人の視線を感じる。それはオスカーだけでなくミオも感じるところがあるようで、自然と二人で苦笑をこぼしあった。
去年とは違ってミオとは別のクラスだ。これは、オスカーにとって一番の問題かもしれない。去年は終始ミオといっしょにいたため、直接チョコレートを手渡されること自体はかなり少なかったからだ。
別に貰うこと自体が問題なのではないが、やたらと貰い続けるのも心苦しいものがある。加えてその気持ちを返すことは出来ないと思っているところも、その心苦しさを加速させていた。
なんとも言えない複雑な思いを抱きながら、ミオとはクラスの前で別れる。
──また昼休みにね。
そんな言葉と共に。ここからはオスカーの予想に違わず、怒涛の展開が幕を開けた。
毎年、まるで作り話かのようなほどチョコレートを貰う。それが当たり前で生きてきたところもあり、恒例の行事ではあるのだが、だからといってその気持ちひとつひとつに応えることも出来やしない。
今となっては、自身に想い人がいる以上尚のことだった。それでも自分のためと手渡されるものを無碍にすることも出来ずに受け取って帰り、両親には結果として苦笑される。それもまた恒例行事だった。
そんな恒例行事の一環として、ロッカーや机などにそっと置かれたチョコレートを回収したり「いつもありがとう」「好きです」「あの、これ……もらってください!」など様々な言葉とともに渡されるチョコレートたちを、満面の笑みと共に受け取る。
休み時間となれば思い出したようにチョコレートが手渡されるため、友人との雑談すらままならない。
やっと訪れた昼休みには誰にも邪魔させないという強い決意で、オスカーはミオのクラスを訪れると「ミオ、行くよ!」という言葉とともに彼の手を引いて、人の気配が少ない場所まで足を伸ばした。
ミオはオスカーに手を引かれるまま、校舎の中で少し人の往来が少ない棟へ足を踏み入れる。いわゆる旧校舎というやつで、物々しさや仰々しさを感じなくもないが歴史を感じさせる建造物の雰囲気は好ましくもあるものだった。
「ごめんね、ミオ。無理やり連れてきちゃって……」
「ううん? それはいいけど……オスカー、大丈夫?」
普段と変わらないようでいて、ミオにはほんの少しだがオスカーの中に疲れのようなものが感じられて思わず尋ねる。
ぱちり、オスカーが大きくひとつ瞬きをした。
「……ミオに心配かけちゃった。大丈夫、ちょっと静かなところに来たかっただけだから」
困ったように苦笑いをしながら、オスカーはこともなげに言う。
──ミオと一緒にいる時に誰かに来られるのが嫌だから、とは言いにくいなぁ。
オスカーの内情としてはこんなところだったが、口を開いてこれを伝えることはない。〝友達〟にこんなことを言われて困らせるのは目に見えている。
少なくとも関係性の崩壊の危険をはらむ言葉を、昼食時には口にしたくなかった。
「大丈夫ならいいけど……」
ミオはオスカーの言葉にまだ腑に落ちきらないところはあったが、きっと彼がこれ以上のことを話そうもないと察すると「無理はしないでね」とだけ付け加えて、昼食を広げはじめる。
その言葉にオスカーは「うん、ありがとう」と応えてから、ミオにならって昼食を広げた。
旧校舎でとる食事は穏やかだ。他に人の姿はなく、まるで世界から切り離されたような錯覚にすら陥る。
言葉があろうとなかろうとこの空間と二人のみの存在は、ゆっくり優しく時間を進めていった。
だが、教室へ戻ってしまえば元通り。オスカーは笑顔でチョコを受け取っては言葉を交わす。クラスメイトですら、今日は雑談も難しいだろうと言うほどの慌ただしさだった。
あっという間に時間は進んでいて、気がつけば放課後の時間が訪れていた。
オスカーの席を置くクラスの教室では、彼を含めた数人が残っていて会話が繰り広げられている。
「お前、今年もたくさんもらったなあ」
一年の時も同じクラスだった生徒が、しみじみとオスカーに言葉を向けた。
「まぁ、ねぇ」
オスカーは苦笑することしかできない。実際かなりの量をこの一日でもらったのだが誰かの行為を無碍にすることは出来ないというのが正直なところだった。
「困るなら断ればいいのに」
「そんなの出来ないよ。せっかく用意したものをもらってもらえないの寂しいじゃん」
ある意味では優等生じみた解答をするオスカーだが、その言葉を受けたクラスメイトたちは悶絶する。
「え、なになに?」
「お前いい奴なんだよなぁ!」
クラスメイトは天を仰ぎ悶絶しながら声を上げた。あまりにもオーバーな様にオスカーは思わず苦笑いを浮かべるが周りはそれを意に介する様子もない。
「誰か好きなやつとかいないの?」
「好きな人?」
「そうそう。もし、そういう人がいるなら理由があるんだから断れるだろ?」
そう言うクラスメイトに対して、オスカーは少し考えるようにしてから言葉を選びながら話を始める。
「好きな、人は……いるんだけど、それはそれとしてやっぱり用意したものをもらってもらえないのは嫌じゃない?」
オスカーの言葉にクラスメイトたちは揃って言葉を失った。その絶句の後に訪れるのは反転したかのような騒乱だ。
「好きな人、いる!?」
「初耳だよ!!」
「言えよ、誰だよ!」
口々にクラスメイトたちから言葉が向けられる。純粋な疑問、興味本位の揶揄い、その他諸々の多種多様な反応が巻き起こっている。
オスカーが苦し紛れに廊下の方へ視線を向けると、ミオが開け放たれた教室の扉のところに立っているのが目に映った。その様子はどこか呆然としているようであり、何かに心なしか驚いている風でもある。
だがそれは少なくともオスカーにとっては救いの存在であり、この場から逃げ出すための口実ともなる。早足でオスカーは扉の方へと向かいながら「ミオ!」と声をかけた。
するとミオはほんの少し間を置いてから、ゆっくりとオスカーの方へ視線を向ける。
「帰ろ!」
いつも通りの言葉。だが少しだけ焦りを含んだ声。
だが止まることもなくオスカーは普段よりも随分と大きな荷物を掴んでミオの元へ駆け寄ると、そのまま歩き出す。
「じゃあね!」
クラスメイトに明るく声だけを残して。
「話の途中だったみたいだけど、よかったの?」
「途中じゃなかったし大丈夫だよ」
廊下を歩きながらミオは尋ねるが、オスカーは普段通りに笑う。
そして二人は次の言葉を交わさぬままに校舎を後にした。何を話していいのかどうにもわからなくなってしまったミオと早めに学校を後にしたいオスカーは、どことなくいつもより落ち着かない様子になっている。
「ね、オスカー……さっき、好きな人って……」
意を決して問いかけたミオに対して、オスカーは向けていた目を丸くした。驚きの様子がはっきりと伝わり、ミオには聞こえていないだろうと踏んでいたオスカーの驚きが分かりやすく見て取れる。
「……聞こえてた?」
「うん。ちょっとだけ……だけど」
ミオの言葉を受けてオスカーは困ったように笑った。そして、観念した様子で息を大きく吐き出すと口を開く。
「そう、オレに好きな人がいるかって話」
これまで言ったこともないような言葉で、ミオは息をのんだ。実際そう言う相手がいそうだと思うような人物であるオスカーだが、知り合ってもうすぐ二年になるこれまででそんな話は一切なかった。
だからこそこれは心底からの驚きであったし、聞きたくないことであるようなそれでも聞きたい話であるような、ミオとしてはなんとも複雑な思いを抱いてしまうものだ。
「えっと……いる、んだね?」
「うん。オレ、ミオのこと好きだからね」
あっけらかんと言ってのけたオスカーの様子にミオは面食らってしまう。
オスカーは自分のことを〝好き〟と言ったのだろうか、という疑問がまずは駆け巡った。そして次に思うのは〝好き〟と言う言葉が指し示す意味についてだ。
全部が聞こえていたわけではないが、今日がバレンタインデーであると言うことやあのクラスメイトたちの反応から見ても〝好き〟と言うのは恋愛感情にまつわるものであると言うことは、ミオにもなんとなく察することができる。
だが、その感情を〝好き〟という気持ちをオスカーがミオに対して向けているということ自体が信じられない。
「……僕?」
「そ。ミオのことだよ」
やっとの思いでミオが捻り出した言葉も、躊躇なく返される言葉によって勢いよく肯定されてしまう。
感情が、追いついてこない。
「言うならもっときちんと、かっこよく言いたかったなぁ」
そんな風に言うオスカーは恥ずかしそうにしているということは一切なく、残念そうと表現するのが適切だろう。
ミオの感情が次第に追いついてくると、驚きと照れで頬がみるみる熱を持ち始めた。
「え、と……」
口をぱくぱくと動かすばかりで、明確な言葉一つも紡げない。
何かを言わなければ、そう思うばかりで言葉どこから声もろくに発することができないでいると、オスカーは少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ごめん、嫌だった?」
「……じゃない」
「え?」
「嫌じゃない、僕も……好きだよ」
オスカーの表情を見るだけで切なくなる。〝好き〟がミオの中で大きく形になり、存在をはっきりと主張した。きっとお互いは今、同じ気持ちだろう。
「ほんと? 嬉しいな」
眩しく輝くような笑顔をオスカーはミオに向ける。
夕暮れの陽光が控えめに街を照らす中、二人は顔を寄せて笑っていた。
