ハッピーバースデーのお話

『ハッピーバースデー、八雲』
『誕生日おめでとう』
画面に踊る生まれた日を祝う文字たちに、八雲は小さく笑みをこぼす。
今でこそ自分の誕生日を祝う言葉に疑問を持つことはないが、学生の頃にはそれを向けられること自体を不可思議に思ったものだった。

「八雲の誕生日、いつ?」
「たん、じょうび……?」
問いかけを受けて復唱するようにつぶやいた八雲には、何の実感もこもってはいなかった。
実際、それは自分自身のことであるということは理解していても、まるで他人事のように感じられる。自分の家で祝われたりということはなくはないが、それもまた体裁上のことだ。
少なくとも八雲はそう感じていて、自分自身が他の誰かと同じように誕生日を祝われて笑うという情景をどうしても想像することができなかった。
これまで様々な事情により他人との付き合いが希薄だった八雲にとって、発生することが限りなく少ない事象であり、そのことがさらに彼から実感を奪い去っていく。
問いかけた恒人は、この不可思議な様子の復唱とその後の言葉が続かない八雲に対して、純粋に首を傾げた。普通の家庭で普通に生きていたり、そういう人間と接してきた者からすると限りなく異端な八雲の状況は、想像することも難しいだろうことだった。
「今日」
「は? 今日って。言えよ」
「えっと……」
言葉を詰まらせる八雲に対して、自分では言わないだろうけどと言葉を続けながら恒人は頭を掻く。そして苦笑した。けれどそれは決して馬鹿にしたわけではない、軽口を叩いて笑い合うような不愉快さなどないものだ。
それを受けて八雲は嬉しさを感じて恒人に笑い返した。

そんな高校時代のやり取りの後から、恒人は必ず八雲に対して誕生日にメッセージを寄越して、最近は必ず何か料理を振る舞ってくれるのだ。
それがすっかり当たり前になってしまったのだから、八雲は心底不思議だと思う。
それは恒人だけではない。最初は仕事が縁の始まりだったルースとて住む場所は遠く、会うことは叶わなくとも祝いの言葉は送ってくれるのだ。
基本的には文面でのやり取りが主だが、その中でも日本の文化に興味を示すのと同じくルースは八雲の生まれた日を知ろうとしてくれた。それが八雲には本当に嬉しく、あたたかなものだと感じたのだ。
自然と八雲の表情が穏やかなものになる。それは、彼にとって間違いなく幸せな瞬間だった。