グラウンドからの声、楽器の鳴る音、歌声、授業という拘束された校舎からはたくさんの音が溢れている。その音は希望に充ちていて、それがどうにも精神を抉ってくるようで集中できないまま、それでも手を止めずひたすらに動き続ける男子生徒は、透き通るほどの金髪を揺らした。
「はぁ……疲れた……」
がっくりと肩を落として、重たすぎるほどのため息を吐き出しながら机に伏す。彼、善逸は風紀委員会に出席した後、面倒な役回りを受けることになってしまい、残念ながらその仕事に精を出し続けていた。
やっとその面倒ごとを片付けることが叶い、全身を脱力させたのだったがすっかり陽は傾き橙色の光が窓から射し込んでくる。一度机に伏せた善逸は、ちらりとその視線を教室に 備え付けられている壁の時計へと向けた。時計の針はそろそろ下校時間を指し示そうとしていて、想像以上に時間が経っていたこと、もう帰らなければならないという焦りに善逸は弾かれたように椅子から立ち上がる。
ふと疲れ切った頭に、炭治郎の顔が浮かんだ。善逸はまたしてもがっくりと肩を落として、愕然とする。それもそのはずで自分がこんなにも炭治郎のことを意識しているのだと、その無意識の思考から痛感せざるを得ないからに他ならない。
善逸が炭治郎を“好き”だと感じたのはいつのことだったか、それはもう今となっては思い出せない。彼は一つ年下で学年も一つ下、最初は服装チェックをする中で堂々とピアスをつけて登校してきた炭治郎に、とんでもない奴が入学してきたと身構えたものだったが蓋を開けてみれば父親から譲り受けた大切なものだから外すことは出来ないと、延々と語る堅物で融通の利かないしかしとても誠実な人物だった。
そんな出会いをきっかけとして、気がつけばすっかり交流を深めて今では忌憚なく話をすることのできる間柄にまでなっていた。最初こそ畏まって“先輩”と呼ばれて敬語を使う炭治郎の様子がくすぐったかったものだが、最近では逆に辛辣すぎることのある語り口は時に善逸に抉るようなダメージを加えることすらある。そんな彼らの関係は友達、親友、そう言った言葉で表現されるような関係性に昇華されていると、善逸は思っていたがある時に気づいてしまった。
――自分から聴こえる音が、今までと違うということに。
今までどこかで聞いたことはある音なのだが、この音が自分の中や周りにいる身近な人からはっきりと聴いたことはなかったように思う。といっても、さして友人は多い方ではないと自負しているので、その辺も知識の不足に影響しているのだろうとは思っているが、それはそれとしてもこの音が何を意味するのかを善逸は今この瞬間には少なくとも知らなかった。
この得体の知れない気持ちを意識しはじめてから、善逸はどうしても炭治郎のことを考えてしまうことが増えた。ふとした時に炭治郎の顔を思い浮かべてしまったり、ついつい彼のことを考えている瞬間を意識しては、ため息を吐きがっくりと肩を落とし苦笑を浮かべる。今まさにこの状況に陥っている訳だが、嫌な気持ちには全くならなかった。そのことがまた、善逸に自分から聞こえる音と抱く思いの正体を知ることが出来ないという、立ち行かないものを作り出す。
「炭治郎、帰ったかなぁ……」
無意識に口から漏れだした言葉は、控えめに言っても炭治郎に会いたいと思っていることを如実に表し、自分の中にある得体の知れない思いの一人歩きに善逸は震えた。
「善逸!」
聞こえるはずのない声、ほんの一瞬前に自分の口から出た言葉が現実になってしまったのかと錯覚するほどのタイミングで、善逸のいる教室の扉のところに炭治郎が立っている。まさかである、よもやである、絶句である、どう反応していいかわからず錆びたネジを回すようにぎこちない動きで炭治郎の方へと視線を向けた。
「よかった、行き違いにならなくて」
「なんで炭治郎がここに? もう帰ったんだとばかり……」
「一緒に帰りたかったんだ。だめか?」
一直線に近付いてくる炭治郎から帰ってきた言葉は善逸の想像力では追いつかないほどに予想外のもので、思わず首を傾げてしまう。
「善逸?」
善逸の様子に今度は炭治郎の方が首を傾げて、結局のところ首を傾げ合うというなんとも不思議な様子に、二人して笑わずにはいられない。
「お前、良い奴だよなぁ」
ひとしきり笑いあってから、善逸はそう言って幸せそうに目を細めた。その言葉に炭治郎は首を傾げたままでいる。
「炭治郎?」
今度は善逸が呼びかける番だった。心なしか頬を赤らませて、所在なさげな瞳が右往左往する。そして善逸の耳にはいつもの炭治郎の音とは少し違うものが届いていて、この様子の変貌ぶりだからと納得しつつも何か違和感を感じていた。
(なんだっけ、この感じ……どこかであった気が……)
モヤッとするような違和感は、善逸の頭の中を覆っていく。
どこかで聴いた音だ、と考えるなかで炭治郎が緊張の面持ちで「……なぁ、善逸」と口を開いた。
「うぇっ!? なに!?」
なんとも間の抜けた返しに炭治郎の表情に、薄らとではあっても笑みが浮かぶ。
「俺、善逸のことが好きだ」
夕陽が差込み二人を橙色に染め、ふわりと風が頬を撫でた。
きっと同じ年頃の女の子は、こんなシチュエーションにときめいたりするのだろう。
善逸はそんなどこか他人事のような思考とともに、目の前の炭治郎の顔をまじまじと見つめた。
「は?」
炭治郎から真っ直ぐ向けられる真剣な表情に、今度は理解が追いつかなくなり善逸は、この状況にどうしようもないほど似つかわしくない反応を返す。
人生でただ一度、くらいの大袈裟すぎる意気込みで告白の言葉を告げた炭治郎にとって、その反応は混乱をきたすものでしかなく、ぽかんとたいそう間抜けに半開きになった口がそれを物語っているようだった。
「何言っちゃってんのお前。俺たち野郎同士だよ?」
「うん。その気持ちもわからなくはないが、それ以上に善逸のことが好きなんだ」
「何度も言うなよ、恥ずかしく……なってくるだろ」
照れくさくなってきて、あまりの堪らなさに、ふいと顔を背けた善逸の耳には最近聞こえる少し変わってしまった自分の音が聞こえてくる。
「なぁ、善逸」
「……ちょっと静かに」
「あ、あぁ」
つい炭治郎の呼びかける声を遮ってしまう。そうしてまで聴いた自分の音はいつもとは違う炭治郎の音と、シンクロしていた。
(えっ、俺は、炭治郎が、好きなの?)
最近抱いていた謎に、降って湧いた ようなほどに突然の解答を叩きつけられた気分だ。それでも疑問符は消えない、実感が伴わない。
「善逸、変なこと言って悪かったな」
どうやら善逸の様子を、否定の意として認識したらしい炭治郎は、これまた真っ直ぐに詫びの言葉を告げる。
「やっぱり先に帰るよ」
気不味いのだろう、そう言って炭治郎は足早に教室を去ろうとしていた。どうしたらいいのか分からない、しかしこのままでは絶対にダメだとそれだけはよく分かる。
「待って、炭治郎!」
善逸の呼び声に炭治郎は立ち止まるが、いつもとは違って顔を向けようとはしない。その笑顔がみたいのにと、そんなふうに考えてしまった時点で、これは認めるしかないと腹を括った。
「俺も、炭治郎のことが――」
