その甘さは何処から(tnzn)

「炭治郎! 今度の休みあいてるか!」
 有無も言わせぬ勢いとともに、善逸が休みの予定を訪ねてきたのはつい先日のことだった。あいていると答えれば、あれよあれよという間に予定を押さえられ、気がつけば当日を迎えているというまさに怒涛の展開というやつだ。
 炭治郎は待ち合わせの時間よりも早く、駅前の指定された場所へとやってきていた。
 善逸の「デートの予行演習だ! 付き合えよな!」という、何とも彼らしく少し辟易してしまいそうな言葉を思い出して、大きなため息を漏らさずにはいられない。
「たんじろぉ!」
 そう呼びながら小走りで近づいて来るのは、もちろん炭治郎をこの場に呼び出した張本人である善逸だ。
「待たせちゃってごめんな」
「いや、そんなに待ってはいないから大丈夫だ」
 このやりとりもだが、学校の外でしかも私服で会うなどなかなかないこともあって、どうにもむず痒さを感じずにはいられない。
「何か、変な感じがするな」
 善逸も同様のことを思っているようで、苦笑しながら炭治郎の横に並ぶと、今度はすぐに追い越して真っ直ぐ歩き始めた。
「どこへ行くんだ?」
「あっちに美味しいケーキの店があるわけよ、そこが予行演習場所だぜ」
 笑顔をにやりと妙に含みのあるものに変えながら、善逸は炭治郎の前を歩いていく。炭治郎はただ彼について行くことしか出来なかった。
 
 案内された店は、小洒落た外装が印象的なこじんまりとした場所だ。善逸が先導しながら店の中へ入ると、そう待たずして席へと案内される。
 向かい合って座ると、気恥ずかしさが湧き上がるがそれをどうすることも出来ようはずがなく、炭治郎はなんとなく視線を横に逸らした。
「ここのケーキ評判いいらしくてさ、すっげぇ食べてみたかったんだよね」
 善逸はそわそわと落ち着きのない様子で店内を見回しながら、笑ってみせる。
「そうなのか。善逸は甘いもの好きだもんな」
「おう。女の子のうけもいいしな」
「そういう下心はあまり感心しないけどな」
 炭治郎がちくりと刺すように苦言を呈するが、善逸はそれをモテたくて何が悪いと開き直った。その様子に解せないという思いとともに炭治郎は首を傾げる。
 彼の人の感情までも嗅ぎ分ける嗅覚が伝える善逸の思いと、彼の発する言葉は驚くほどに乖離していたからだ。しかし、彼の感情の匂いはどう判断したら良いものか、はっきりと判断することも難しいような淡い匂いでもあり、加えて人の多い場所ゆえに多くの匂いが混ざりあっていて炭治郎をさらに困惑させた。
 その善逸はというとすっかりご満悦な様子で、店のメニューをめくっている。
「どれにするかなぁ。炭治郎も早く選べよ、注文しちゃおうぜ?」
「ん、そうだな」
 理にかなっている善逸の言葉に、炭治郎は同意して善逸のめくるメニューを覗き込んだ。そのメニューには色とりどりのスイーツの写真が並ぶ。目に鮮やかでひとつひとつがまるで輝く宝石のようなそれらから、たったひとつを選ぶのは至難の技なのではないかとすら思えてくるほどだった。
「すごいな……」
 無意識の内に炭治郎の口からは、感嘆の言葉がこぼれ落ちる。
「だよな! 俺も来るのは初めてだからさ、こんなにかと思ってびっくりだよ」
 同意する善逸の声は楽しげに弾んでいて、炭治郎の鼻に届く匂いもまた上機嫌さを感じさせた。
「善逸は何を頼むか決めたのか?」
「いや、まだ……」
 悩ましい唸り声をあげながら、善逸は再びメニューに視線を落とす。眺めるや見つめるという表現よりは、睨めっこという表現がしっくりくるような真剣ぶりに炭治郎はつい表情が緩んだ。
「何笑ってんの? 炭治郎だってまだ選んでないだろ?」
「ああ」
「ほら、どうすんだよ」
 不服そうに口を尖らせながら、善逸はずいとメニューを炭治郎の方へと寄せてくる。テーブルを間に挟んでいるとはいえど、いきなり縮んだ距離感に驚きを隠しきれない炭治郎は、ほんの少し椅子を引いた。
「離れたら見えなくなるだろ」
 やはり口を不機嫌そうに尖らせた善逸が、今度はメニューだけをさらに炭治郎の方へ寄せる。しかしすっかり炭治郎の意識は散漫としてしまい、最早メニューを見るどころの騒ぎではなかった。
 そもそもなぜこんなに落ち着かないのか、そこから持ってして自分自身のことながら炭治郎は全く理解できない。
「なぁなぁ、俺この二つで悩んでるんだけどさ……半分ずつにしたり、しない?」
「いいんじゃないか? 俺も決めかねていたし」
「やった! ありがとな、炭治郎!」
 へにゃりと笑ってから善逸は、あっという間に注文を済ませてしまう。驚きの素早さに炭治郎は圧倒されるばかりだ。
「たんじろ?」
 首を傾げる善逸の姿は、炭治郎の目にあまりにも反則的に映った。
 
 しばらくして彼らの前には、スイーツが並ぶ。片や定番のショートケーキ、片やミルクレープである。
 ショートケーキは生クリームに包まれたスポンジケーキの上に、彼らの慣れ親しんだケーキよりも色鮮やかで、それでいて大粒の苺が主張していた。苺は艶っぽく輝き、それだけで食欲がそそられる。
 ミルクレープの方は、定番の生地と生クリームが交互に重なっているものとは異なり、薄手の生地とカスタードクリーム、そして薄くスライスされた苺で構成されていた。淡いクリーム色と赤のコントラストが見た目にも美しい。
 双方を食い入るように見つめる善逸の瞳は、キラキラと輝いて喜びを映している。
「どっちもうまそうだなぁ」
「すごいな……これは」
 目の前に広がるスイーツの輝きに、炭治郎は新しい世界を感じて目を丸くするばかりだった。
「おし、半分ずつな! たんじろ、苺どうする?」
 炭治郎が目を白黒させている間に、善逸はもう約束の通り目の前のスイーツを切り分けようとしている。
「えっ? ああ、俺はいいよ」
「やった! 後で後悔するなよな」
「大丈夫だよ」
 想定していたものと違う答えだったらしく、善逸は少なからず驚きの様子をみせていたが、それでも嬉しそうにまた笑ってショートケーキの切り分けを終えた。次にミルクレープの切り分けも手早く済ませてしまうと、言葉の通りにショートケーキの苺が乗っていない方の皿を炭治郎に差し出す。
「ありがとう」
「どーいたしまして」
 丁寧に切り分けられたケーキから漂う甘い香りとそれとは違う別のやはり甘い香りが、炭治郎の嗅覚を刺激した。炭治郎はもう一つの匂いの正体が分からずにぐるりと周りを確認するが、なんの変哲もない喫茶店の様子以外には何もない。
「たんじろ? 食おうぜ」
 突然に周りを確認しはじめた炭治郎に、善逸は心底不思議という様子で首を傾げたあとに、促す言葉とともに微笑む。
 また甘い香りが、炭治郎の鼻に届くがこれを詮索するのは今までと何かが変わってしまいそうに思えて、どうにもはばかられた。
「そうだな、食べよう」
 そう答えてから、炭治郎は律儀の手を合わせると、いただきますとこちらも丁寧かつ美しい所作で述べて用意されたフォークを手に取る。炭治郎の様子にあたふたとしながら、善逸が続いて手を合わせてフォークを手に取ると、苺をころりと転がしてから摘んで、そのまま口の中へと放り込んだ。その様子は、何故やら艶めかしく炭治郎の目に映り、反射的に頭を振った。その間にも善逸はケーキに手をつけていて、あっという間にそれを口に運んでいく。
「んん~!」
 善逸のもらす感嘆の声と、舌鼓をうつそのこの上なく幸せだけを映しこんだような表情に、炭治郎もまた幸せな気持ちを抱いた。続いてケーキを口に運ぶと、甘すぎずほどけていくような柔らかな甘味に、その表情が綻ぶ。
「美味しいな」
「だなぁ! 来れて良かった~」
「……これで、予行演習になったか?」
 何故か複雑な気持ちを覚えつつ問い掛けた炭治郎の言葉に、善逸は一瞬ぽかんと呆けた表情になるが、すぐにその口角を上げた。
「お、おお! 充分だよ、付き合ってくれてありがとな!」
 ほんの少しだが焦りの感情を匂いから察して、炭治郎はその意図について思いを馳せるが何一つ思い当たらない。しかしそれ以上にケーキはもちろん、もうひとつの甘い香りは増す一方で、考え事もつい散漫になってしまう。
 今だけは、この匂いとこの瞬間に酔っていたいと、そう思わずにはいられなかった。