かいごめ最後のシーン リプレイ風

「……上手に、やってね」
八雲が指を鳴らすとカラスの鳴き声はさらに五月蝿くなり、辺りは霧に包まれ、社の形は消えていく。
 空には紅い満月が浮かび、地面は紺桔梗の花が咲き乱れていた。二人の横には見守るように池が存在しており、八雲の背後では青い薔薇の門が手招きするように恒人の視界に飛び込んだ。
 本能的にあの門が帰りの道だと察する。そう感じるには十分すぎる存在感があった。
恒人は及び腰になりそうになるのを必死にこらえながら足に力を入れると、八雲の様子をうかがう。
普段と比べて狂気じみた瞳が真っ直ぐに恒人のことを見つめていた。
恐怖が込み上げる。
今しがた見たばかりの八雲の日記らしきものの文面が脳裏に浮かび、人間ではないとそう思い込んでいる狂った様子を思い返した。
それが問題なのだ。この状況を打破するには、八雲の認識を変える必要があるだろう。
──けど、俺の声は……言葉はあいつに届くのか?
不安と疑問がぐるりぐるりと駆け回る。
恒人に、そんな自信は持てなかったのだ。八雲が自身の声を、言葉を、聞き届ける未来など想像ができない。
普段ならばいざ知らず、この状況だ。不安が重なり合い拍車をかけていく。
それでも、このままでは八雲が狂ってそして人という形を完全に忘れてしまうのだ。そうなればもう二度と会うことも、存在を確認することも、話をすることだって叶わない。
そんな自体だけは恒人としても避けたかった。
惚れた相手がこの世から存在しなくなってしまうのは耐えられない。一生振り向いてもらえないのはいい、自分がただのしがない友人であることももう納得している。
だが、彼が──神来社八雲が生きていないということだけ、さすがに看過できるものではなかった。
恒人は八雲と向き合う。
視線の先で八雲はそれはそれは穏やかに微笑んだ。
しかし次の瞬間、その姿はとぷりと音を立てて掻き消える。恒人が動揺を覚え視線をうろつかせたとき、まるで意識などしていなかった方向からぞわりと寒気が走った。
だが、もう遅い。
人の形を崩した八雲が急に姿を現して、ずぶりと違和感が腹を裂いた。
「かは……っ」
たまらず恒人は口から息を吐き出すが、息のみではなく真っ赤な血が飛び出してくる。
「お前……容赦なさすぎ、だろ」
八雲への悪態を吐きながら、がくんと恒人は膝をついた。
一度は意識が飛ぶ。だがすぐに意識は戻って、目の前の八雲の方へと視線と意識を向け直した。
視界に飛び込んできた八雲は、どこか苦しげに微笑んでいる。まるでそうするしかない、とでも言わんばかりに。
──止めてやらなければ。
こんな苦しそうな八雲を見るのは初めてだった。
先ほどの日記と共に見つけた日本刀の柄を握る手に力を込める。これを使えば、きっと八雲を止めることができるはずだと、不安を掻き消そうと必死に己に言い聞かせた。
下手な一太刀ではあったが、八雲はその恒人の攻撃にがくんと身体を崩す。長くは保てないだろうが、少しくらいは猶予があるはずだ。そう思わせるほどの変化だった。
必死に恒人は八雲へと手を伸ばす。それは控えめではあったがしっかりとした動作で、まだ身体を動かすことがままならない八雲の手に触れるに至った。
八雲の瞳が小さく揺れる。恐怖というよりは衝撃、驚きと評する方が正しいかもしれない。そんなものだった。
「八雲、大丈夫だ。お前はまだちゃんと人間だよ……ほら、手だってちゃんと、俺と同じだ」
ゆっくりと語りかけながら、形を確かめるように手をなぞり触れ直す。
すると八雲の瞳が再び揺れた。今度は狂気を帯びたものではなく、澄んだ普段の青い瞳だ。けれどそこには不安の色が映る。
「……俺、帰っていいの?」
「当たり前だろ……帰ってきてくれよ」
「俺……人間で、いいの?」
恒人が今まで一度もみたことないような、不安げな顔で八雲は問いかけた。確認せずにはいられない、そんな不安定さが見える。
「怪異なんかじゃない、八雲は人間だろ」
「……うん」
言い聞かせるように繰り返せば、八雲は少し嬉しそうに微笑んだ。
恒人はそんな八雲の様子に安堵しながら、同時にこれまで見たこともないような表情に動揺する。
こんなに、人間らしい八雲を見るのは初めてなような気がしたのだ。
もちろん、八雲は機械じみた存在などではない。
笑顔とて少し悪戯の色を帯びた表情とて見たことはあるのだ。
だが、どこか感情が薄い──希薄さのようなものを感じていた。
そんな印象の取り払われた八雲の表情は、恒人の決して見せるつもりのない感情を揺らす。嬉しいのにどう言葉を返すべきか、恒人には分からなかった。
そんな感情を誤魔化すように、八雲の手に触れていた自身のそれを勢いよく離す。
「……帰ろう」
「うん……帰ろ、恒人」
八雲は恒人の言葉に頷いて、離された手を目で追ってからおそるおそる手を伸ばした。
まさか八雲がそんな行動をするとは思わず、恒人はあたふたと動揺して視線を右往左往させる。それでも引っ込められない手を見つめて、そっとそれに触れた。
先程も触れた手には確かな温度と、人の柔らかさが確かにある。
それまで真っ赤だったこの空間にはひびが入り、亀裂からは穏やかな白い光が溢れ出た。
きっと、出口はあの光だ。
本能がそう感じ取る。
二人がそこへ向かえば、ゆっくりと意識は穏やか白に染まり──意識は途切れた。