その日の午後は快晴だった。
ウィルベアトの仕事場も兼ねている自宅では、彼とアベリアが二人で穏やかな時間を過ごしている。
豪勢というわけではないが、質素すぎることもない昼食を済ませた二人は暖かな紅茶を口にしていた。
「ウィル?」
向かい合って座っているアベリアが、真っ直ぐ視線をウィルベアトに向ける。呼びかけられたウィルベアトは「うん?」と声を返して、彼女の次の言葉を待った。
「この後、買い物に行きたいのですけれど……よろしいかしら?」
「構わないよ。何が欲しいのかな?」
アベリアとしてはウィルベアトが提案を否定しないことを知ってはいるのだが、やはり肯定の言葉を受けるのは安堵感がある。
ウィルベアトとしても、要望を口にしてもらえると目的についての確認にも繋がるというところがあり、意思確認は大切だとそう感じていた。
そんな二人の方針確認は、アベリアの使っている香水が少なくなってきているため、思い切って新しいものを買いたいというところを確認するに至る。
「いつも通りのものも良いと思うのですけれど、新しいものも試してみたいのですわ」
アベリアは期待に赤い瞳を輝かせていた。
彼女は好奇心の強さゆえか、新しいものへの挑戦に躊躇がない。ウィルベアトとしては自身がどうにも保守的になってしまうところもあり、アベリアのそういった躊躇のない様子は見習いたいところでもある。
「わかった」
笑顔を見せながらウィルベアトはアベリアの言葉に応じた。
アベリアは嬉しそうに破顔する。
これが二人にとっての日常的なやり取りだった。
食後の片付けを二人で終わらせ、目的に合う店の並ぶ場所へと向かう。
アベリアの足取りは軽やかで、弾み跳んでいるようでもあった。その少し後ろを歩くウィルベアトは落ち着いた歩調で、アベリアのことを見つめる表情はこの上なく穏やかだ。
「ウィル、あの店に入ってみたいですわ!」
「うん、入ってみよう」
満面の笑顔で振り返りながらアベリアが、一つの店を指差す。少し離れた場所にある香水を取り扱った店は、外装から華やかでそれでいて敷居の高すぎない雰囲気の良い印象を受けるものだ。
ふわりと鼻腔をくすぐる甘い香りから、女性向けの香水を多く取り扱っているのだろうかと、ウィルベアトは思考しつつ頷いていた。
変わらずの足取りで店の中へと足を踏み入れれば、内装は外装と同じく華美でない華やかさのあるものだ。店内には女性客の姿が多く見受けられ、その中にすぐアベリアの姿もまた加わった。
その様子を隣からウィルベアトは、やはり穏やかな表情で見つめている。
「新しいものを試したいと話をしていたけど、方向性とかはあるのかな?」
ウィルベアトは少し背を丸めるようにしてアベリアとの視線を近づけながら、彼女を覗き込むようにしながら尋ねた。
「そうですわね……華やかなものがいいのですけど、今使っているものよりは甘さが控えめなものを試してみたいですわ」
彼女の答えを受けて、ウィルベアトは口元に手を当てながら思考する。
「それなら……」
真剣な顔つきのまま、周りを見回して商品の香水たちを確認した。
ウィルベアトはアベリアと買い物をする時にはこの調子だ。一緒に確認をし、一緒に検討をし、彼女の買い物に全力で手を貸す。
今回もまた例に漏れることなくだった。
「これとか、あとこれもいいかもしれない」
細身で少し骨張ったウィルベアトの指が香水を指し示す。商品の説明部には確かに甘さが控えめなものであることが書き添えられており、アベリアの要望を叶えているものだ。
「あら、ありがとうございますわ」
アベリアはウィルベアトへ笑みを向けてから、テスターを手に取る。
ひと吹きするだけで甘すぎない上品さを持った香りが広がり、二人の間を満たした。
途端、アベリアの鮮やかな赤の瞳がキラキラと輝く。
「とても良い香りですわ」
嬉しそうに向けられる言葉に、ウィルベアトは少し微笑んでから「そっちのものは? どうかな?」と、自身の指したもう一歩の香水の確認を促した。
アベリアは促されるまま先の香りが霧散していくのを待ってから、もう一つの香水のテスターを手に取ると同様にひと吹きする。
「こちらもとても良いですわね。悩んでしまいますわ……」
こちらの香りにも瞳を輝かせてからアベリアは、次に悩ましげに首を傾げた。彼女にとって甲乙つけ難い香りは、選択肢としては拮抗しすぎている。
「ここ以外にも店はある、そちらにも行ってみようか?」
「ええ!」
ウィルベアトの言葉の通り、二人の訪れている一帯にはあと数店舗ほど香水を取り扱う店があった。
ブランド、品物、そういったところが定められていないこの状況は当然ながら、全ての店が今回訪れる対象となり得る。
加えてアベリアは買い物という行動そのものを好んでいるところもあり、彼女の楽しげな様子を見ることはウィルベアトとしても望むところだ。
「参りましょう? ウィル」
笑顔のアベリアの手を流れるように取って、ウィルベアトは「そうだね」と微笑む。
目的地は先の店よりも来た方向とは逆、しかし言うほどに離れてはいない場所だった。
アベリアは見るからに楽しげで、自然とウィルベアトの表情も柔らかなものになっている。言葉のあるなしに関係なく、そこは穏やかで幸せな空気に満ちていた。
少し歩いた場所に、次の目的地はある。
こちらは先に訪れた店と比べると 落ち着いた外装に包まれていた。狙う客層に違いがあるのだろう、そんなことを思いながらウィルベアトはアベリアの手を引く。
「ここ、見てみるかい?」
「はい!」
相変わらず満ち溢れる元気さでアベリアはウィルベアトの問いかけに答えた。それは子供が上機嫌で返事をする様子にも似ていて、たまらずウィルベアトの口からは笑い声が小さくこぼれる。
落ち着いた外装をした店に足を踏み入れると先ほどの店と遜色なく、しかし明らかに違う香りに満たされていた。内装も外装と同じく落ち着きのある雰囲気だ。
二人は踏み入った店内で物色をはじめる。真剣に、時折笑顔を見せながら。
「甘さがある香りなら……こちら側か……?」
「そのようですわね?」
陳列棚に視線を向け、紹介文や使用されているものを丁寧に確認していく。
香りの中で甘さの強いもの、甘さを少し含むものなど、甘さのある香りと言っても一括りに出来るものではない。
今回のアベリアの要望から甘さの強いものを除外したとしても、いくらかの候補が存在する。
アベリアの瞳は真剣に候補に残った香水を見つめた。
「……悩ましいですわ」
「華やかだが甘さは少し控えめ、だったか」
「はい……」
悶々としていることが目に見えて明らかな彼女は、迷いの含まれる手つきでひとつ香水のテスターを手に取る。そのままひと吹き、香りを確認した。
「こちらも素敵な香りですわ」
アベリアは先ほどの店の時と同様に瞳を輝かせているが、どうにも決め手にかけるらしく小さく首を傾げる。
「こっちはどうだろう?」
ウィルベアトは彼女の様子を見て、近しいところから見繕った香水を指差した。アベリアはすぐにその香水を手に取るとまたひと吹きする。
これまでとは明らかに違う、さらにキラキラと赤い瞳をまるで宝石のように輝かせてアベリアは、ウィルベアトへと視線を向けた。
「ウィル!」
一声でわかる。それほど明白に瞳も、声音も、その全てがアベリアが満足と喜びを覚えているという事実を表現していた。
「これですわ!」
「決まり、みたいだね」
「はい! ありがとうございます、ウィル」
「どういたしまして」
アベリアのまるで花の咲いたような笑顔に、ウィルベアトも笑顔で応える。
納得のいくものに巡り会えたと言う満足感がアベリアには確かにあり、その瞬間にまた立ち会うことができたことがウィルベアトの満足感に繋がっていた。
「それでは、買ってきますわね」
アベリアの言葉にウィルベアトは頷いて店の外へで彼女を待つ。
しばらくすると弾む足取りで店からアベリアが出てきて、ウィルベアトの前で止まった。
「お待たせしましたわ」
「他に寄りたいところはあるかい?」
「いいえ、大丈夫ですわ。帰りましょう?」
「わかった、帰ろう」
二人は相変わらず満足そうな様子で並んで歩き出す。ウィルベアトが当たり前のようにアベリアの持つ香水入った袋を手に持ち、微笑んだ。
その笑みに対してアベリアもまた笑みを返し、足を進めていく。
これは歩み、紡がれていく日常の一頁。これから先に続いていく、あたたかな世界を彩る光の一筋だ。
