都会の空に満月が浮かぶ。
夜の街は静まることなく、人間の気配もまた絶えることがない。眠らない街、という言葉があまりにもしっくり当てはまるこの場所に、環と壮五の姿はあった。
彼らは二人での仕事を無事に終え、寮への帰途についている途中だ。
本当は迎えの車を用意してもらっていたのだが、環がそれを断ってしまった。曰く、今日は王様プリンの月見団子味が売っているから買って帰る、ということらしい。
相変わらず突飛な行動ではあるが、それもまた環らしいと壮五は笑う。はっきりと要望を伝えてもらえるということは、嬉しいことでもあり壮五としても、こんな時間は嫌いではなかった。
「環くん」
「ん〜?」
「月見団子味、というのはこの時期にいつも出るの?」
「そ、毎年。いつものも好きだけど、俺、月見団子味も好き」
「そうなんだ」
そんな何気ない会話を交わす道に人は少ない。それもそのはずで、時計の針がてっぺんを目指していくのもあと少しという時間帯だ。人が行き交う時間のピークはとうに超えてしまっている。
人通りが少ないのは当たり前で、環と壮五にとってはそれはとてもありがたいことだった。
彼らもすっかり名前が売れたアイドルとなり、居場所が分かればファンに囲まれサインや握手といったサービスを求められてしまう。
その可能性が少ないということは、二人にとっては少なからず安心できる状況ということだ。外を歩き、誰かに見られている可能性がある以上、完全に安心し切れるわけではなかったが、それでも昼間の移動を思えば幾分もマシというものだった。
実際、環も壮五も口元にマスクこそしていても、それ以上はなにも変装などは施していない。見るものによってはすぐにでもばれてしまうだろう、それほどに無防備さのある姿を見せていた。
そんな変装と無防備のアンバランスさあふれる壮五の姿を、言葉を口にはせずとも環がじっと見つめている。
「どうかした? 何か、変かな?」
「いや? 何もない」
環の視線の理由を尋ねたところで、特に答えが返ってくるというわけでもない。ただただ、不思議な時間が流れていくだけだ。
「なぁ、そーちゃん」
「どうしたの?」
「この間、授業で先生が言ってたんだけどさ。何かの英語を訳したら月が綺麗ですね、って なるんだって」
「夏目漱石の話かな?」
「あ〜……多分、そう」
要領を得ない環の言葉に、壮五は彼がなにを伝えたいのかを必死に思案するが、このままでは結論までは辿り着けそうにない。
その間にも環は空を見上げて、今日の大きな満月をじっと見つめている。
「それ聞いて、そーちゃんに言いたいなって、思った」
視線は空に向けたまま、環はぼそりと言葉を続けた。
――意味を、承知して、いるのだろうか。
そんな疑問が壮五の中に生まれる。
先程の会話からは、承知しているようでもあり、肝心なところは忘却しているようにも思える。判断しかねる状況の中から発せられた環の言葉に、壮五は動揺していた。
「……僕に?」
「うん。そーちゃんに」
確認の言葉に対して、明確な肯定の言葉を口にする環はやはり視線は空に向けたまま。はっきりと表情を窺うことは叶わない。
壮五の方が身長が低いということも手伝って、こういったときの環の表情は見えにくいものだ。それでも何となく、穏やかな雰囲気と気配を壮五は感じており、それは彼にとっても心地の良いものだった。
「どうして、そう思ったの?」
「だって、そーちゃんのこと大切、だもん」
――これは、承知している。
環の返す言葉に壮五は確信を得る。それと同時にこの上なく嬉しいものであり、幸せを感じるものでもあった。
すると、それまで空を見上げていた環の視線が壮五の方へと降ってくる。落ち着いていて、穏やかで、柔らかな視線だった。
「そーちゃんは?」
ほんの少し首を傾げて環は、壮五の様子を窺う。返事を求める問いかけに、壮五の口角が自然と持ち上がった。
「そうだな……僕は」
口元が隠れていてもわかる。お互いがお互いに笑みを向けていることが、そして慈しむような視線を向け合い、この瞬間に幸せを感じているということが。
「月が綺麗だね、環くん」
あえて同じ言葉を送る。何よりもそれが一番に思えた。
「おー」
間の抜けた返事とは裏腹に、優しげに目を細めてから環は応える。
それだけで十分だ。あまりにも充分だった。
