嘴平伊之助は晴朗なり(kmbk)

 竈門炭治郎は悩んでいた。我妻善逸もまた悩んでいた。
 理由はただひとつ。
 嘴平伊之助、彼の誕生日をどう祝うか。このことについて二人は頭を回転させ、知恵を巡らせていた。
 だが、残念なことに今のところ妙案は浮かばぬまま。ただ時間だけが過ぎ去っていくばかりだ。
 彼は今まで文字通り一人で生きてきた。だからこそ、初めての事柄を楽しくそして大切にして欲しいと思わずにはいられない。その気持ちから、伊之助の生まれた日を祝おうという、そういう話になったのだが。
 これがどうにも悩ましい。そして二人は唸るばかり、という有様になってしまっているという訳だった。
「伊之助はどうしたら喜んでくれるだろうか」
「……天ぷら?」
「いや、それはそうなんだが! そうじゃなくて!」
 炭治郎が善逸に詰め寄る。もう少し真面目に考えて欲しい、と重ねて告げると善逸は苦笑を返した。
「ごめんごめん。そうだなぁ……楽しいことをしたいよな」
「そうだな」
 二人は伊之助が特に好むものを思いつく限り挙げて、どうしたものかと思案する。
「祝う気持ちが大切なんじゃないだろうか」とは、炭治郎の談だ。しかしその言葉に善逸は唸るばかり。
「具体性だって大事だろ?」
 言われてみれば、それも一理ある。そして話ははじめに戻るのだ。
「アオイちゃんに料理頼んでみる?」
「それには賛成だな。あとは、ことろことろが好きみたいだから、思う存分付き合うのもいいかもしれない」
「うん。あとは……」
「むぅ!」
「禰豆子ちゃんっ!」
 ひょっこり奥から顔を覗かせた禰豆子が持っているのは羽子板だった。
「そうだな。伊之助のやりたいことをたくさん一緒にしよう」
「む! むぅ!」
 炭治郎の声に、心なしかいつもより弾んだ声で禰豆子が応える。善逸も大きくひとつ頷いた。
 
 
 
「誕生日おめでとう、伊之助」
「おめでとぉ」
 笑顔の炭治郎と善逸に、伊之助は唖然とした表情を向けた。
「前から思ってたんだけどよ」
 口を開いた伊之助の言葉は疑問の色を帯びる。猪頭を外した下の表情は、見るからに解せないというもので言葉と全く相違ないものだ。
「何をこんな喜んでんだ?」
「お前の誕生日! だろ」
「生まれた日が何だっていうんだよ」
「だーかーらー!」
 伊之助の言葉に応じる善逸だが、それに尚も食い下がられて露骨にいら立つ様子を見せた。喧嘩のひとつでもはじまりそうな雰囲気に割って入ったのは炭治郎だ。
「季節が巡る間、元気で過ごせたお祝いなんだよ。伊之助」
「ほぉ?」
「なんで炭治郎のときは、食ってかからなきんだかなあ」
 ぼやく善逸には目もくれず、伊之助は炭治郎を見つめている。
「伊之助はこの一年、元気だっただろう?」
「そりゃあ当然だぜ!」
「でも、その当然が当然じゃない人もいるんだ。だから一年を元気に過ごせたことへ、感謝と喜びを形にする。あと、生まれてきたことにも」
 言葉を紡ぐ炭治郎は、部屋の中から見える青い空を見上げた。その視線は空よりもどこか遠くを見ていて、その姿はどこか苦しげで。けれどそれだけではない幸せも持ち合わせている、不思議とすら感じるものだ。
 伊之助はその様子にただ頷くことしか出来ない。善逸も察するところがあったのだろう、静かなものだ。
「だから伊之助。今日は伊之助のやりたいことをみんなでやろう」
 もう一度、言葉を紡いだ炭治郎は、今度は満面の笑みを伊之助に向ける。
「……子分たちの言うことだからな、乗ってやるぜ」
 猪頭を被りながら伊之助は炭治郎の言葉に応えた。それは見るからに照れ隠しの行動で、炭治郎と善逸は顔を見合わせて笑う。
「何がおかしい!」
 伊之助のさらなる照れ隠しだろう大声に、炭治郎と善逸が笑いながら彼の背中を叩いた。
「おかしいんじゃないよ、嬉しいんだ」
「全く、伊之助も素直じゃないよなぁ」
 二人の笑う中で、伊之助は猪頭をぐっと被り直しながら、どうにも落ち着かない様子だ。どうしていたらいいのか分からない、というのが正直なところなのかも知れない。
「む! むむぅ!」
 そんな三人に割って入るように禰豆子が羽子板を持って突進してくる。
「禰豆子。部屋の中で羽子板はだめだぞ?」
 炭治郎に宥められてすっかり意気消沈してしまう禰豆子に、伊之助が「暗くなったら勝負だ」と告げた。禰豆子の目がほんの少しだが、喜びに輝いているように見える。
「ありがとう、伊之助」
 禰豆子によかったな、と声をかけながら炭治郎は伊之助に兄として礼の言葉を口にした。
「ふん、子分だからな」
 完全にそっぽを向いてしまった伊之助だったが、これもやはり照れ隠しだろう。その様子は落ち着きなく、それでいて満更でもないといった風だったからだ。
「紋治郎、紋逸!」
 妙に勢い勇んだ呼び声に、呼ばれた二人は静かに次の言葉を待つ。
「今日は、俺の山の巡回に付き合え!」
「ああ、もちろん」
「分かったよ、親分」
 先頭を歩き始める伊之助は振り返らない。その背中を炭治郎と善逸が追いかけていく。肩を並べ、歩く姿は微笑ましいものだった。
 
「ちょっと、こんな時間まで歩き回るとか聞いてないんですけど……?」
「お前が知らなかっただけだ」
「だから知らないんだから、教えとけっていってんの!」
「まぁまぁ、善逸。落ち着いて」
 日が高く済んだ青い空が広がっていた時間帯から、気がつけば空は橙色に染まり、日はほぼほぼ沈みつつあった。
 日中ほぼ伊之助の山の巡回というものを堪能することになった炭治郎と伊之助は、土埃にまみれ疲労困憊といった有様だ。当然、いつも通りの行動をしているだけらしい伊之助は、いつもと変わらず元気を有り余らせている。
 想像を超えた状況に、善逸が不服を漏らさずにはいられなかった、というわけだ。日の沈む空のもと、昼間と変わらぬ騒がしい声が響く。
 その声に禰豆子がそっと近づいてくる、手にはやはり羽子板を携えていた。禰豆子の姿を認めると伊之助はニヤリと笑って口を開く。
「勝負だ」
 その声に禰豆子が羽子板を持って三人の元へと駆け寄った。日は落ちてすっかり夜が訪れている。
 庭で二人は一心不乱に尋常ではない速度で羽をつき、当たればただでは済まないだろう羽子板が繰り広げられ始めた。小気味の良い打音が高速で響く。
「何度見てもとんでもないな」
「全くだよ……これ、夕飯いつ食べられるかな……」
 炭治郎と善逸は、庭で繰り広げられる高速羽子板を縁側に腰を下ろして眺め始めた。奥からは食事の支度の香りが漂い、天ぷらを揚げる音が聞こえてくる。
 あたたかな感覚、あたたかな匂い、あたたかな音、全てが伊之助のことを祝福しているかのようだった。