頑ななる君、日輪の君に崩されて(tnzn)

鬼の首魁はその存在を、今まで以上に慎重に隠した。それは、鬼殺隊の終わらぬ戦いを示しており、それと同時に世代の交代を迫られているとも言える。
先の鬼舞辻無惨との戦いにおいて功績を挙げた竈門炭治郎は、日柱の席を与えられた。本人は無惨との戦いについて功績ではなく失態だと語り、その命令を辞そうしていたのだが、許されることはなく責任を感じればこそ柱として鬼殺隊を支えてほしいと切望されることになる。
結果として炭治郎は、それを拝命した。
戦いで多くの隊士が命を落とし、その中には柱たちも含まれる。隊の立て直しのためには新しい柱を立てる必要が不可欠だった。
炭治郎だけではない、伊之助やカナヲたちも同様の命令を受ける。善逸とて例外ではなかったが、たった一人だけはその命令を固辞した。

「どうしてなのか理由を聞かせてもらえるかな?」
父に代わり当主となった産屋敷輝利哉は、ゆったりと穏やかな口調で目の前で頭を垂れながら、それでも自身の求めを固辞する善逸に理由を尋ねる。
「それは……雷の呼吸の筋から鬼を出してしまったからです」
善逸はきっぱりと理由を口にした。しかしそれは、輝利哉はもちろん他の者から見ても不十分なものだ。何故なら鬼となった者は、他の誰でもない善逸自身の手によって頸を落とされている。加えて彼の育手も腹を斬り、責任は二人で取ったと述べるに足るものだった。
「それは君と君の育手の行いによって水に流す、と前も言ったはずだよ?」
「こちらも同様、それでは不足と申し上げたはずです」
一歩も譲る気配のない、強くそして頑とした声があたりに響く。
「では」
落ち着いた輝利哉の声が善逸の声をかき消した。
「こういうのはどうかな。君の言う不足分、その責任を果たすべく柱の立場につくというのは」
この言葉に善逸は閉口する。二人の会話を見守っているごく少数の者たちは、この瞬間を固唾を飲んで見守っていた。
「……時間を、ください」
善逸は短くそれだけを告げて、その場を去る。びりびりとした緊張だけを残して。

そんな会議から既に一ヶ月が経とうとしていた。一部の柱と、隊士たちからひっそりしかし確かに不服の声が溢れ始める。
不穏さ溢れるこの状況を長く続けさせる訳には行かないと立ち上がったのが、他ならぬ炭治郎だった。
彼は以前と変わらぬ真摯な姿勢とその姿で、隊士たちからはすっかり認められる存在となっている。加えてかつてよりがたいが良く精悍さの増した顔つきは、女性の目を引くようにもなっていた。
かつての善逸であれば妬み羨むところだろうが、今の彼はそんな姿を見せない。
鬼舞辻無惨との戦いより戻ってから、善逸の様子はかつてとは別人のようだった。何を尋ねても答えない。柱稽古の時にも同様の状況ではあったが、より一層全てを拒絶しているように炭治郎には思えてならなかった。
そして炭治郎の鼻にはいつも善逸からの苦しげで我慢している匂いが届くのだ。善逸が一人で全てを背負おうとしていることも、自信を頼ってもらえないという悲しさも、役に立てない悔しさも、全てが混ざってただただ炭治郎はもどかしかった。
「善逸!」
炭治郎は自身の嗅覚を最大限に活用し善逸を見つけて呼び止める。こうなることを承知していたようで善逸は、驚く様子もなくゆっくりと振り返った。
ざっくりと切っていた髪は伸び放題で、雑に横でひとつに束ねてある。すだれのようになった前髪は彼の表情をわかりにくくしていた。
「……何? 炭治郎」
善逸の声は低くそして重い。問いかけながらもまるで拒絶しているような様子に、炭治郎はゾッとするがそれでも再び口を開く。
「柱の件、保留が長すぎやしないか」
「なら、炭治郎から断っておいてよ」
「だめだ。断るにしても受けるにしても、それは本人でやらなければいけないことだろう?」
「ま、お前ならそう言うか」
薄く笑う善逸はやはり別人のように炭治郎の目に映った。だが、苦しみ耐える匂いの中にはかつてから変わらない善逸の匂いが微かに残っている。それが炭治郎の心を奮い立たせた。
「一緒にお館様のところへ行こう」
「……わかったよ」
随分すんなりと応じる善逸に違和感を覚えながらも、炭治郎は彼を引き連れて輝利哉の元へと足を向ける。
二人の間に言葉はない。静かで緊張すら帯びているこの瞬間が炭治郎にはどうしても落ち着かないものだった。
「なぁ、善逸」
「……何?」
耐えきれず呼びかける炭治郎と、応える善逸の声にはまるで天と地ほどの色の差がある。淡白な善逸の声に悲しさを感じながらも炭治郎は口もそして足も止めない。
「どうしてそんなにも、全てを律しているんだ……?」
「それ聞いてどうすんの?」
「役に、立ちたいんだ」
「……気持ちだけありがたくもらっておくよ。けど、俺は……もう誰にも頼るつもりはないから」
「善逸……」
取りつく島もないとはこのことd。炭治郎の言葉は、善逸のことをかすめもしない。悲しさばかりが炭治郎の中で膨らむ。どうしてこんなことに、とつい考えてしまわずにはいられなかった。
二人はそれ以上言葉を交わすことはなく、輝利哉の部屋を訪れる。光が多くは届かない密やかな部屋からは、緊張を帯びた空気が漂ってきていた。
「突然の訪問、申し訳ありません。先日の鳴柱の件で伺ったのですが、今少しお時間よろしいですか?」
凛と通る声で炭治郎が輝利哉へ訪問を告げる。
「入ってくれて構わないよ」
そう扉越しに輝利哉の声が応えた。炭治郎がそっと扉を開けば、いつもと変わらず荘厳さと儚さを併せ持つ、彼らのお館様の姿がある。
「善逸は柱を受けてくれる気になった?」
輝利哉の声に善逸が炭治郎の後ろから一歩進み出ると、膝を折ってこうべを垂れた。
「今でも、ふさわしいとは思えません」
「善逸!」
「けれど」
炭治郎の声を意に介する様子もなく、善逸は言葉を続ける。
「兄弟子の過ちを、俺が柱となることで少しでも償うことができるならば、謹んで承ります」
あまりにも意外な言葉が善逸の口から紡ぎ出され、炭治郎は驚きに言葉どころか声のひとつも発することが出来ない。
「引き受けてくれて嬉しいよ」
輝利哉は微笑んでいたが、それに対して何か言葉を返すこともなく善逸はその場に立ち上がる。そのまま部屋を後にした善逸に続いて、炭治郎も大慌てで部屋を後にした。
「善逸!」
「まだ何かあるの?」
追いかけて善逸の肩に手をかけるが、炭治郎の声に振り返るでもなければ手を払い除けることもない。善逸はただ冷たく、淡々と問いかける言葉のみを炭治郎にぶつける。
「いや……もう少し、話をしたくて……」
言葉を詰まらせながら、それでも炭治郎ははっきりと主張した。このままではいけないと、そう思えてならない。
「話? 俺はないけど……」
善逸の返しは冷たく、そしてそっけないものだ。突き放すような言動に炭治郎はたじろぐが、それでも足を踏ん張ってもう一度善逸の方をぐいと引いた。
「痛いよ」
「ごめん、でも今話さなければいけない気が、するんだ」
「……で? 何?」
やっと善逸が炭治郎の方を振り返り、相変わらず冷たいと冷たい視線で炭治郎を見つめる。炭治郎のよく知る善逸とはあまりにも違うその様子に、どうしても一歩引いてしまうところがあった。
だがそれでも炭治郎の話を聞こうとはしているようで、居住まいを正しながらじっと見つめている。
「……善逸は、どうしてそんなに頑なに全てを背負い込もうとしているんだ?」
しばらくの間の後、やっとの思いで口を開いた炭治郎は善逸に問いかけた。
「背負い込む……?」
「ああ。良く言えば強くなったとも言えるが、誰にも頼らなくなってしまって一人で必死に頑張ろうとしている姿は、逆に不安になってしまうんだ」
「そんな……ことは……」
「あるよ。だって、無理しているようにしか見えない」
炭治郎は言い募るが、善逸はそれに対して視線を逸らしてしまう。
それは図星だという証明でもあった。炭治郎の鼻にも確かに、善逸のその感情が匂いとして伝わってくる。
「なぁ、善逸。俺は……そんなに頼りないだろうか」
「……違うよ、炭治郎」
不安げな表情を見せる炭治郎に対し、善逸のそれは苦しげだ。苦悶ともいうことの出来るだろう表情と、今にも消えそうな声が善逸をより一層苦しげなものに見せる。
「頼りないのも、ダメなのも、全部……俺だよ。大切にしたいと思っていた家族を守れず、のうのうと生きてる」
あまりにも悲痛な声は、炭治郎に言葉を挟むことすら許さない。
二人きりの廊下に、善逸の声だけが冷たく響いた。
「口をつぐんだところで何も変わらない、それならあいつの償いは俺がきちんとしてやらなきゃって……そう考え直しただけだよ」
続けられた善逸の言葉は、どこまでも突き放すように冷たく付け入る隙を与えない。自身を道具であるかの如く淡々と扱う姿に、炭治郎はやるせなさを感じるばかりだ。
「……そんな風に言わないでくれ」
炭治郎はたまらず口を開く。善逸の言葉を否定することは出来ずとも、肯定したくmなかった。そんな炭治郎の複雑な想いは、音を通して確かに善逸へと届く。
何とも情けない、くしゃりとした笑みを見せた善逸のことを炭治郎は思わず抱きしめた。
「た、たんじろ⁉︎」
「やっと……やっと、笑ってくれた」
心配をたくさんした、不安をたくさん抱いた。だからこそこの瞬間がとてつもなく感慨深い。
「……俺、そんなに心配させてた?」
「うん、俺はもちろん伊之助だって、他のみんなだって心配してたよ」
「えぇ……そんなに?」
今、炭治郎と言葉を交わす善逸は、ここ最近の張り詰めた彼ではなく、かつての表情がころころと変わる感情の豊かな彼だ。
「そのままの善逸でいてくれ」
「……何それ、口説き文句みたい」
「そう思ってくれて構わないよ」
「構わんことはないだろ……」
抱きしめられたまま、耳元で炭治郎が囁く言葉は甘く善逸を蕩けさせていく。
ついに耐えきれなくなったとでも言わんばかりに、善逸の様子はみるみる蕩けて落ちた。
「なぁ、たんじろ?」
「うん?」
「俺、厄介だよ?」
「善逸のためならなんだって受け止めるよ」
「……後から、やっぱり嫌って言っても、我慢出来ないよ?」
「言うわけがない」
善逸の言葉を次から次へと炭治郎が受け止め、包み込んでいく。
退路がはっきりと塞がれた。
善逸はため息を吐くが、炭治郎の嗅覚には甘く楽しげな匂いが届く。
「……ありがとね」
ぼそりと感謝の言葉を口にしてから、善逸はゆっくりと炭治郎の背に腕を回した。

この日以降、かつてのように口数多く、感情豊かな我妻善逸が戻ってきた。
しかし彼は柱として申し分なく、確かに鬼の頸を落とし、同じく柱である炭治郎をはじめ多くの人々と支え合って生きたという。
こんな生き様に誰がした――それは日輪の申し子のなせる技。