春は始まりの季節であり、出会いの季節でもある。
他にも多くの異名があるだろうが、これからはじまるものにはこの言葉がふさわしい。これはまさしく、出会いとはじまりのお話だ。
見渡す限りの桜、一面の春の色は目に眩しく分かりやすく季節の到来を告げる。
満開の桜の樹が見守る一本道を多くの親子が笑顔とともに通り過ぎていった。
一人の少年もまた両手を父親と母親と繋ぎ、満面の笑顔と共に並木道を歩いている。少年ははやる気持ちを抑えきれないのか、両親の手を引くようにして道の向こうをめざしていた。
「炭治郎、そんなに急がなくても大丈夫だよ」
父親の声が柔らかく諌める。
「だって、たのしみなんだもん!」
炭治郎と呼ばれた少年が父親を見上げて笑った。
「そうね、昨日から楽しみにしてたものねぇ」
包み込むようにあたたかい母親の声が炭治郎に降る。
「うん!」
今度は母親の方を見上げて、炭治郎は満面の笑みを浮かべた。三人は手を繋ぎ道を進んだ。行く先は炭治郎の今日から通う幼稚園、その入園式はもう間もなくだった。
期待に胸をふくらませる炭治郎は真っ直ぐに前だけを見ている。これからの出来事と出会いへの期待、そして希望に溢れた視線の先にあったのは薄ピンクの桜の色の中、一際映える黄金色だった。
「……!」
「どうしたの?炭治郎」
母親の問いかけにも応えず、炭治郎はただひたすらに目の奪われるほどの金色を持つ一人の少年を見つめる。しかし炭治郎の視線を釘付けにする少年は、べっ甲のような瞳からぼろぼろと涙をこぼして隣に立つ老人を見上げるばかりだった。
「やだやだ、おうち帰る!じいちゃんといっしょじゃないとやだ!」
そんな激しい主張を受け取る老人の様子は困り果てていて、見ている方がいたたまれなくなってくる。
「わがままを言うな……」
「やだやだ!」
ついに金髪の少年はふてくされてその場に座り込んでしまった。
「これ!善逸!」
老人は善逸と呼び掛けながら少年を立ち上がらせようと手を引くが、頑なに動こうとしない。周りにも人が集まり、ちょっとした騒ぎになりつつあった。
「今日から年長になるんじゃからしっかりせんといかん」
「ねんちょうさんなんて知らないもん!」
ほんの少し前まで涙をこぼしていた善逸はふくれっ面に口をとがらせ、てこでも動かないという様相だ。
その一部始終を見ていた炭治郎の表情はみるみる不機嫌なものに変わる。
しかし彼の両親は相変わらず穏やかなもので、善逸という少年のわがままを見てもいやになってしまったのだろうかと話しながら微笑むばかりだ。
炭治郎は誰かを困らせる行いを見ることが悲しい、自分に妹がいて彼女を困らせてはいけないしひいては父や母を自分のわがままで困らせるなどあってはならないことだと、強く意識していることが大きく目の前で繰り広げられる善逸の行動にも悲しさと怒りを覚えた。自身のできないことが出来る彼への嫉妬もあったかもしれない。
炭治郎は両親の手を振りほどくと、初対面の金髪の少年の前にずんずんと歩み出た。
そして善逸の目の前まで進み出ると、両親の制止を聞くことなく思い切りよく頭を振りかぶって全力の頭突きを見舞う。善逸はその唐突な頭突きの衝撃により気を失うこととなり、その場にばさりと倒れた。
善逸の名を呼ぶ老人の声と、両親の炭治郎の名を呼ぶ声が混ざり合う。
炭治郎がはっとして両親の方を見つめると、母親がずんずんの迫ってきて彼は無意識に頭を守る。母の頭は炭治郎より硬い、物理的にだ。
母親の圧に震える炭治郎の後ろでは、善逸が泣きじゃくる。
「いたい〜!あたま、かたい〜!いたいよぉ〜!」
存外元気に騒いでいるもので、老人の方も苦笑しているほどだ。
「うちの息子が申し訳ありません」
老人に炭治郎の父親が頭を下げる。
「いやいや、気にせんで下さい。儂がきちんと叱れんのをこの子がかわりに叱ってくれようとしたんでしょうな」
老人は穏やかに笑い、炭治郎に近付いた。
「ありがとうな。じゃが、すぐに頭突きをしてはいかんよ?」
その老人の言葉に炭治郎はしょんぼりと項垂れながら頷く。
「……ごめんなさい」
老人は言葉を返さないかわりに微笑みとともに、炭治郎の頭をひとなでした。
「ごめんね」
炭治郎は善逸の方に向き直ると彼に対して謝罪の言葉を口にする。善逸の方は面食らっている様子だったが、何度も首を横に振った。
「おれ、悪かったから……だから……」
まだ炭治郎の頭突きの衝撃から立ち直れていないらしく、くらりと頭を揺らしてから後ずさろうと必死に体を動かしている。善逸の瞳には確かな怯えの感情が映っていた。
「ごめん、なさい。もうしないよ」
もう一度、炭治郎は謝罪の言葉を口にして視線を落とす。
「ちゃんとごめんなさいが言えてえらいわね、炭治郎」
母親が露骨に落ち込んだ炭治郎の頭を撫でた。それでも炭治郎は下を向いて、泣くのを必死にこらえて肩を震わせる。
炭治郎の様子を見つめて、善逸はその場に立ち上がると一歩だけ前に進み出た。
「たんじろう」
呼びかける善逸の声に、炭治郎は落としていた視線をゆっくりとあげる。見上げた先の善逸は少し硬さのある笑顔で立っていた。
「おれもごめんね。友達に、なってくれる……?」
「……うん!もちろん!」
今度は照れくさそうに笑う善逸は握手をしようと手を差し出している。その手を勢いよく握りながら、ほんの少し前まで伏せていた赫い瞳をきらきらと輝かせて炭治郎は満面の笑みを浮かべた。
「よろしくな!ぜんいつ!」
炭治郎の勢いの良さに驚き、善逸は目を瞬かせるが悪気のないことが正しく伝わったのだろう。すっかり硬さのとれた笑顔を炭治郎へと向けた。
二人の様子を見守っていた大人たちは、安堵の表情でその場を見つめる。
丸く収まった状況にこの場の誰もがほっと胸を撫で下ろすなか、入園式の時間が迫っていた。
「よし、善逸。もうわがままは言わんな?」
「……いやだけど、言わない!」
「よう言った、行こうかの?」
優しく差し出された老人の手を、善逸は意を決したようにして握る。
「では、儂らはこれで」
老人に手を引かれながら善逸は炭治郎を振り返り、手を振りながら笑顔を見せた。
炭治郎はそんな善逸の様子に嬉しそうな様子で手を振り返す。
「よかったわね、炭治郎」
炭治郎の両親は二人して老人に頭を下げてからにこりと微笑み、母親は語りかけた。すると炭治郎はほんの少し視線を落とす。
「炭治郎?」
「おれ……ごめんなさい」
先程しでかしてしまったことに対して炭治郎は謝罪の言葉を改めて口にした。しょんぼりと俯く炭治郎を彼の父も母も顔を見合わせてから、再び微笑む。
「炭治郎は悪い事をしたと思ったから謝ったんだろう?」
「うん……」
「じゃあ次から悪かったところは治していこうな」
「うん!」
父親の言葉に大きく頷いてから、すっかり元気を取り戻した声を張った。
炭治郎は再び手を引かれ、今日から通う幼稚園の門をくぐる。始まりを告げる式はもうすぐそこまで迫っていた。
色とりどりに飾り付けられた広い場所、普段からここで園児たちが遊んだりしているのだろうことをうかがわせる。そんな場所に集められた今日から入園する子供たちとその親の様子は、和やかで期待に満ちていた。まだ幼く、落ち着きのない動作で各々の親から注意されたりもしながら、今日から始まる新しい何かに対して子供たちは目を輝かせる。
炭治郎もまたその中の一人で、機嫌よくそして行儀よく座っていた。しかし視線は右往左往していて、何かを探しているようにさまよわせている。
「炭治郎」
こそりと小さな声で母親が炭治郎を呼んだ。ちらりとそちらに目を向けた炭治郎にあるのは、いつもどおりの優しい母親の姿だったが彼女は「あまりきょろきょろしないの」とたしなめるように言う。
指摘されてしまっては仕方がない、炭治郎は観念してじっとしていたが思い浮かぶのは先程であった善逸のことばかりだった。
つつがなくはじまり、つつがなく終わりを迎えようとしている入園式だが、一人落ち着きのない子供がいる。今にも動き出したくてたまらないという風で、手足をじたばたとさせているが、おっとりとしたようにら見受けられる母親と顔をつきあわせるとピタリと、動きを止めるのだ。
しばらくするとまた動き出しては同様に、また動きを止めを繰り返す。落ち着きのない青みがかった髪を垂らした少年は、式の終わりを告げる言葉に目を煌めかせた。
「もういってもいい?」
「まだ、だーめ」
少年は今にも動き出しそうだったが、母親に再び静止されて口を尖らせながらもその場に留まる。ただこの上なく不服そうにしている事だけは間違いない。
「もうちょっとだけ。ね?伊之助はいい子だからできるよね?」
やはり表情もそして声までにこやかな母親に伊之助と呼ばれた少年は、得意げに鼻を鳴らす。
「あたりまえだぜ」
威張るように胸を張る伊之助の頭を、母親はひと撫でして頷いた。
そして無事に式から、親も子も等しく開放される。伊之助然り、他にも駆け出したくてうずうずしている子供らを親がなだめながら、デフォルメされたひよこの大きく飾られた部屋に移動して行った。
彼らは今日から、ひよこ組。年少クラスとしてこの縁に加わるのだ。
ひよこ組の部屋からは元気で賑やかな声が響く。子供たちほ有り余る元気は今にも弾けてしまいそうだったが、今のところは押し止められていた。
しかし、それも長くは続かない。
「さようなら」
この時間の終わりを告げる挨拶に、子供たちはついに駆け出す。部屋の中を、廊下を、そして園庭を、子供たちは自由に駆回り、親たちは四苦八苦だ。
「ちょとつ!もうしん!」
伊之助もまたそんな駆け出した子供のひとりで、言葉の意味を知ってか知らずか勢い良く前へ前へ直進していく。
「うわ!」
そして一人の子供の背中に思い切りぶつかった。相手は炭治郎で、彼は踏ん張って何とかその場に踏みとどまる。
「なんだおまえ」
ぶつかった側のはずである伊之助は、何故か不服そうに炭治郎の背中を見た。
「はしったらあぶないとおもう!」
「うるせぇ!はやくあそびたいんだよ!」
残念ながら二人の認識は交わりそうにない。全く別々の主張は文字通り平行線で、二人の間には火花が散っているように見えるほどだ。
二人が火花を散らす間にも、一人また一人とその横を子供が通り過ぎていく。炭治郎も伊之助さえもそれに気付かない。
「あそびたいのはわかるけど、はしるのはあぶないとおもう!」
「おまえうるせぇな」
「おまえじゃない!かまどたんじろうだ!」
「きいてねぇよ!」
すっかり頭に血が上ってしまっている二人は言葉の応酬を続けて止まる気配がなかった。すっかり子供たちの数も少なくなってきた部屋に二人の声が反響する。
「かまぼこごんぱちろうはだまってろ!」
「だれが、かまぼこごんぱちろうだ」
「おまえだ!」
「ちがう!」
遂には名前の話にすり変わってしまっていたが、それもまた二人は気づいてすらいない。大人たちもまた慌ただしく行き来するばかりで、どうやら二人のこの盛大なやりとりを認識すらしていないらしかった。
しばらく無言で二人がにらみ合うような形になる。言葉は発しないが、相変わらずピリピリと火花の散るような空気あたりは満ちていた。
実は、この場所を見つめている子供が一人だけいたが炭治郎も伊之助も全くもって気づいていない。部屋の入口に隠れて様子をうかがっているのは、善逸だった。彼はわかりやすく動揺の表情を浮かべて、炭治郎と伊之助のことを見つめる。
息をのんで、しかし言葉を発することはなく少しだけ開いた扉の隙間から状況をうかがった。
(うわぁ……たいへんなことになってる……)
善逸もまた拘束される時間が終わり、炭治郎を訪ねようと年少のクラスの部屋のある方へやってきたのだが、目的は果たしてもそれ以上の問題が起こってしまっていることに、どうするべきか分からない。
炭治郎と伊之助の間では無言の戦いがくりひろげられていて、口出し出来る様子ではなかった。
(どうしよう……)
先生にけんかのことを伝えたほうがいいのだろうか、そう悩みはじめたときに炭治郎たちの視線が一斉に善逸へと向けられる。
「ひっ……」
突然の事で言葉も出てこない。
しかし善逸をみた二人の反応は真逆だ。炭治郎は目を輝かせ、伊之助はさらなる混乱をうむ。
「お、おれ……!ごめんなさい!」
どうしてそうなってしまったのか。謎の謝罪の言葉と共に走り去ろうとしたら善逸の手を、炭治郎がぐいと握ってその場にとどめた。
「わ!」
当然ながら善逸は反発する力につんのめる格好となり、なんとかその場に踏みとどまる。
「まって!ぜんいつ!」
「こわい!こける!!」
「だいじょうぶだ、こけない!」
まだぐらぐらと揺れる善逸の身体を炭治郎が支えた。落ち着いてきたところに、善逸が口を開く。
「……けんか、だめだよ……」
視線を落として自信無げだが、それでも確かに善逸は状況を変えようと言葉を紡いだ。
「なんだよこいつ」
伊之助は炭治郎に隣に立つ善逸に分かりやすく苛立ちの表情を向ける。
「こいつじゃない!ぜんいつだ!」
頬をふくらませ、口を尖らせながら炭治郎はずいと一歩前に出た。文字どおり一歩も引かない構えだ。
「その、もんいつがなんの用だよ!」
さらに大声を張る伊之助に善逸は驚きでびくんと大きく肩を震わせながらも、炭治郎の後ろでしっかりと足に力を入れて立っている。
「……もんいつじゃなくて、ぜんいつだもん」
すぐに逃げ出していくと思っていただけに、伊之助としては善逸のこの行動は意外で、ぽかんとした間抜けな表情を浮かべた。が、すぐに豪快に笑い出す。
その大きな笑い声に善逸は再び身体を震わせ、炭治郎の腕を掴みながらその後ろに隠れた。
しかしそんな様子など目にも入ってはいない様子で、伊之助は今までからは考えられないような楽しそうな表情を浮かべ続けている。
「どうしたんだ……?」
あまりの豹変ぶりに、炭治郎もまたおそるおそる口を開く。
「おまえらおもしれぇ!子分にしてやる!」
伊之助の上機嫌な声に、炭治郎と善逸は顔を見合せて目を丸くした。そして次には顔を見合わせて吹き出して笑い出す。
「なんだ!」
一人置いてきぼりをくらった格好の伊之助が、二人に詰め寄った。
「いや、いのすけ。よろしくな」
「おうよ」
「よろしく……」
「おう」
ぐっと三人の距離が近くなる。嘘のような和やかな空気がそこにはあった。
この先、この三人が元気に遊び回ることになるのは言うまでもない。
