我妻善逸を囃す(kmbk)

「俺、自分の生まれた日ってのは知らんのよ」
 善逸はいつもと変わらない調子で話す。一方で炭治郎はその衝撃にすっかり固まってしまい、伊之助はよくわからないといった様子で首を傾げた。
「ふんどしに書いてなかったのかよ」
「だから、それはお前が親に愛されてたからだって。前にも言ったじゃん」
 本当にいつも通り過ぎる、そんな目の前のやりとりが一層、炭治郎の頭を混乱させる。
「自分の親ってもんがどんな奴なのか、俺は知らんし興味ないけどな」
 飄々と告げる善逸は、感慨のひとつも感じさせない。炭治郎の鼻に届く匂いも、いつもと変わらぬ状態であるということを申し分なく知らせていた。
「でも善逸、九月三日が誕生日だと話していなかったか?」
 それは素朴な疑問だ。今までの話は、炭治郎の以前聴いていたものとは著しく矛盾する。
「ん~、それはさ。爺ちゃん……育手になってくれた人が、生まれた日を知らないって言った俺に今日が誕生日だって言ってくれたんだよね」
 善逸の口調が淡々とした者から、ほんの少し柔らかなものへと変わった。
「たまに善逸が話してくれる人だな」
 炭治郎の言葉に、善逸は嬉しそうに頷いて見せる。その様子だけで善逸の育手への想いが伝わるようだ。
 その様子と見つめる伊之助は、何か思うところがあるようで、いつもより輪をかけて落ち着きなく、そわそわとしている。ちらりちらりと炭治郎に視線を向けてくるあたり、何か企みがあるらしかった。
「おい、凡逸」
「何だよ、また変な名前で呼んでくれちゃってさ」
「お前、ちょっとどっか行ってろよ」
「酷くない!? それ!」
 いつもよりさらに勢いのあるやりとりに、炭治郎は苦笑してから、二人の間に割って入る。
「まぁまぁ、二人とも落ち着くんだ」
 二人をぐいと引き離して、にこりとしてはいるがその笑顔は心なしか冷たい。
「やめろよ、たぁんじろぉ~……そんな音させるのはさぁ……」
 炭治郎の機嫌をうかがうように、善逸はおずおずとその顔を覗き込んだ。伊之助とのやりとりにおける善逸に対し、少なからず大人気なさを感じての態度らしかった。
 そこまでも瞬時に音で察しながら、善逸は笑うと「伊之助の要望を叶えてやるよ」と口にしてその場に立ち上がると、ゆっくりと歩き出す。
 また後でな、という言葉とともに立ち去る善逸のことを見送りながら、炭治郎は伊之助に対して口を開いた。
「伊之助、あんな言い方はしちゃだめだ」
「だってよ……」
 存外しょぼくれた様子の伊之助だったが、それでも続けて口にした言葉は微笑ましいものだ。
「紋次郎のときみたいに、何かがやりてぇ」
 それは、夏の頃に善逸と伊之助が炭治郎の誕生日を祝ったことを差しているらしい。とは言っても、三人で連れ立って外食をしたというだけなのだが。
「たしかに、明日には善逸の誕生日がやってきてしまうし……何かしたいよな」
 炭治郎の言葉に、伊之助の様子は一転して晴れやかなものへと変わる。
「紋逸の好きな食いもんは、うなぎだぞ」
「そうだったな」
 伊之助の弾む声に相槌を打ちながら炭治郎は考えを巡らせた。自分のしてもらったことと同じで良いのだろうか、と。
 善逸が一番喜ぶことは何だろうか。そう考えれば考えるほどに思いの外、炭治郎は自分が善逸の知らない部分が多いと思うに至る。
 口数も多く、表情もころころ変わる、明るいと言う言葉や元気という言葉もよく似合うように感じられる善逸だが、存外と自分自身のことを口にすることは少ない。結局のところ我妻善逸という人間については、関わってきたその積み重ねのみが炭治郎にとっても伊之助にとっても全てだった。
 かつて彼の身に一体何があったのだろうか、そんなことを考えてしまわなくはなかったが、閉ざされた口は固くいつだって開かれることはない。口を開けば軽口にも似た言葉や、調子に乗った想いなどを吐露するばかりで、自分のことはしかと守り抜いていたのだ。
「おい、いきなり黙りやがって。どうした、健太郎」
「いや、何でもないよ」
「そういや……飯はみんなで食った方が美味い、とか言ってたことあったよな」
 伊之助はどこか薄ぼんやりと、かつての記憶を手繰り寄せるようにして呟く。
 それは炭治郎と善逸と伊之助、彼ら三人が出会ってすぐのことだった。満身創痍だった彼らが身を寄せたとある藤の家紋の屋敷で、伊之助に向けて善逸が口にした言葉だ。
 炭治郎はその言葉に、ひとつひらめきを覚える。きっと、善逸が喜んでくれるだろうとそう思えた。
「伊之助」
「あ? 何だよ?」
「行こう、明日の準備だ」
 上機嫌にひとつてを打ってから、炭治郎は伊之助を手招きしながらあっという間にその場を後にする。伊之助は炭治郎の後をただついて行くことしか出来ぬまま、必死にその背中を追いかけた。
 それはいつもとは正反対のような有り様だったが、炭治郎はどうやらそれには気付いていない。その足取りはただ軽く、ひたすらに目的の場所へと一目散とでも言った様子だった。
 
 炭治郎が足を向けた先は、屋敷の奥にあるしのぶの部屋だ。どうやら、中には部屋の主がいるらしい。
 伊之助にはこの場所を訪れた理由が未だに分からず、ほんの少しの緊張が彼にごくりと唾を飲み込ませた。
 その伊之助の様子をちらりと視線を向けてうかがいながらも炭治郎は、しのぶの部屋の扉を叩くと彼女のいつも通り、ふわりとゆるくおっとりとした声が「はぁい」と応える。
「突然すみません。お願いがあってきました」
「どうぞ入ってください」
 いつもと全く変わらないしのぶの様子を確認しながら、炭治郎は部屋の扉を開くとそこには、やはりいつものように彼女の姿がそこにはあった。
「どうぞ?」
 しのぶは笑顔とともに手招きをして、部屋の中の空いた椅子へ二人を誘う。その招きを受けて炭治郎がゆっくりと腰を下ろして、伊之助もそれに続くがどうにもいつもとは違う意味で彼には落ち着きがない。
「伊之助くん? どうかしましたか?」
 名前を呼ばれ、伊之助は慌ててしのぶに視線をむけるが、炭治郎に対して気になることがある様子で何度も何度もちらりと視線がしのぶから外れる。
 そんな伊之助の様子にしのぶは口元に指を当てて考える様子を見せたが、すぐにその理由に思い至ったらしくまた微笑みを浮かべた。
「炭治郎くん、まずは伊之助くんにきちんと話してあげてください。彼、困っていますから」
「お、俺は困ってなんか!」
 彼女の言葉に対して半ば反射的に否定の言葉を口にしようとする伊之助だが、勢いこそあれどそれに反して言葉そのものは詰まってしまう。
「ごめん、伊之助。何も言わないまま、ここまで連れてきてしまったな」
 炭治郎はしのぶの言葉でようやくそのことに気づいた様子で、申し訳なさそうに表情をゆがめて勢いよく頭を下げた。
 別に、と言葉を返しながらもどこかばつの悪そうな様子の伊之助は、いつもの姿からしてみるとなかなかに珍しいものだ。
「伊之助の話していた、善逸の言葉で思ったんだ。善逸はたくさんの人と食事をする方が楽しいと感じているんじゃないかなって」
 そう伊之助に話しながらも、炭治郎の心は善逸の方へと向けられている。伊之助はそういった、誰かが誰かを想うという感覚が最近嫌いではなかった。
「だから、しのぶさんに頼んでみんなで食事できる場を作れないかと思って」
「なるほど、それで私を訪ねてきてくれたわけですね」
 流れるように、しのぶが炭治郎の言葉に自身のそれを続ける。炭治郎はその言葉に頷いて肯定を示し、ほんの少し不安げな様子でどうでしょうかと問いかけた。
「問題ありませんよ。そういう場は親睦を深めることにもつながりますし、誰かと一緒に食べる食事は美味しいですからね」
 しのぶの返答と、柔らかな表情に炭治郎はほっと胸を撫で下ろす。伊之助も、ほわりと胸の奥があたたかな気持ちになるのを感じながら破顔した。
「美味いもんがたくさん食えるな!」
「そうだな、善逸が喜んでくれるといいんだが……」
「きっと大丈夫ですよ。では、善逸くんのお祝いということであれば明日がいいですね? こちらで準備は手配しておきますけれど、何か必要なものはありますか?」
 問いかけに炭治郎と伊之助は顔を見合わせてから、意志の疎通が出来たらしく満足げに頷き合ってから口を開く。
「うなぎだ!」
「鰻を、お願いできますか?」
 二人の様子に目を見開いて驚いたしのぶだが、すぐにいつもの微笑みをたたえなおして「わかりました」と彼らの要望を承知した。
 
 
 
「なぁなぁ、何で今日に限って昼餉をみんなで食うとかそういうことになってんの?」
 炭治郎と伊之助がしのぶに、皆での食事の場を嘆願しに行った翌日。すっかり日の高くなった頃、屋敷の廊下を炭治郎と伊之助が先導して善逸を連れている。
 善逸の口から紡がれる疑問に、炭治郎は微笑むばかりで伊之助も答える気配がまるでない。
「何がはじまるわけ? 怖い!」
 耳を澄ませば大概の意図は理解出来てしまうだろうに、そうしないのは無意識なのか意識的なのか。どちらにせよ、善逸は大袈裟に叫んで足を止めようとして、結局のところは炭治郎たちに引きずられて廊下を進んでいく。
 しばらくすると、宴会などの際に使われる大部屋の前にたどり着いた。善逸の耳でなくてもわかるほど、多くの人たちの声が響いている。
「主役の登場だぜ!」
 伊之助がご機嫌に襖を開け放つと、部屋の中に置かれた大きな机には所狭しと大皿に乗った料理が並んでいた。取り立てて目を引くのは、うなぎの蒲焼だろう。塗られたタレがてらてらと光って、誰の匂いと併せて食欲を否応がなしに等しく刺激するものだ。
 そして、机の周りには見知った隊士らがひしめき合う。彼らは伊之助の声に視線を一点、善逸の方へと向けると口々に祝いの言葉を述べた。
「誕生日おめでとう、善逸」
 善逸の隣に立っている炭治郎が微笑む。アオイをはじめ、きよ、すみ、なほたちを中心に甲斐甲斐しく準備を進めている人々、それを不器用ながらも手伝うカナヲや、他にも多くの人が大部屋に集まっていた。
 その彼らの様子を善逸は呆気にとられて見つめている。
「どうしよう、俺……」
「何だよ鈍逸。不満かよ」
「……んなわけあるか。すごい嬉しいよ」
「善逸が喜んでくれているのならよかった」
「ありがとな」
 当然、主役が姿を現したのだから彼はすぐに多くの人に囲まれることとなり、あっという間に用意された席へと連れて行かれてしまった。
 それでもいい、否、それがいい。彼らのなかでもみくちゃにされている善逸は、心底からの笑顔を浮かべていた。