桜の花の蕾が大きく膨らんでいる。ところどころに咲き始めた桜の下で、深刻な形相で立ち尽くしている一人の学生の姿があった。
彼の名は竈門炭治郎、キメツ学園の高等部に通う二年生だ。彼の視線は綻ぶ桜の蕾へと向けられ、その表情には悩みと焦りが混ざり合い滲んでいた。見たままではあるが炭治郎は今、ひとつの懸案事項を抱えて悩んでいる。その悩みぶりといったら、頭を抱えて悶々としてしまいそうなほどのものであり、彼にとって非常に重大な懸案事項であった。
「竈門くん」
炭治郎を呼ぶ声が響く。その呼び声に炭治郎は小さく肩を震わせたが、すぐにその声の主の方へと振り返った。
「我妻先輩、お疲れ様です」
悶々としている様子を悟られないように、つとめて冷静に炭治郎は先輩である我妻善逸に言葉を返す。善逸はへらりと笑って、お疲れとさらに言葉を返してきた。
炭治郎の想い人というのは、この善逸のことである。自分でも驚きしかなかった、気がつけば先輩であり友でもある善逸に、友愛ではなく恋慕の感情を寄せるようになっていた。
「卒業おめでとうございます」
「ありがと、いまいち実感湧かないんだけどね」
少し緊張と硬さの残る面持ちの炭治郎に対し、いつもと変わらぬ様子の善逸の姿はあまりにも対照的なものだ。
「先輩は大学に行くんでしたっけ?」
「うん、その予定」
いつもよりも少し淡白なやりとりは、炭治郎の緊張と懸案事項への悩みを増長させる。
「炭治郎、いつもより音が……緊張してる?」
善逸はその聴覚を使い、たやすく炭治郎の状況を把握すると、その緊張の意味を問いかけた。炭治郎の嗅覚に届く匂いは、善逸のやはりいつもとは変わらない様子をありありと伝えていて、毎度のことながらこの落差に愕然としてしまう。
「もしかしたらこれが最後になるかも知れないので、先輩に伝えておきたいことがあります」
「え、なんだよ改まって。あと、そんな寂しいこと言うなよ……」
「いや、もしかしたらって話で……じゃなくて! そうじゃないんです!」
言葉尻を拾ってほんの少し悲しげに視線を落とした善逸に対して、慌てて炭治郎捲し立てて否定の言葉とさらに必死に言葉を繋ぎ紡ぎ始めた。その慌てように善逸は黙って次に続く言葉を待つ。
「俺……その、我妻先輩のこと好きなんです!」
「へ?」
炭治郎の一世一代の勇気を振り絞った告白は、素っ頓狂な善逸の声によって掻き消されてしまった。そして二人の間にはしばらくの無言の時間が流れる。
「だからその、我妻先輩のこと……」
「聞こえてる! ちゃんと聞こえてるんだけどさ! 好きってどう言う……」
「……ちゃんと聴いてください」
神妙な面持ちで告げる炭治郎から聴こえる音はやはり緊張や不安を感じさせるが、鼓動がどうにも早く緊張や不安というものでは片付けきれない何かも同時に感じさせた。
「俺は、先輩が好きです。それだけはきちんと伝えておきたいと思って。後悔はしたくなかったんです」
炭治郎はこれまでよりも少し落ち着いた様子ではっきりと告げると、清々しい表情を浮かべながら次には感謝の言葉を述べる。
「……じゃあ。引き止めてすみませんでした。大学に行ってもお元気で」
「俺の答えは聞かないのかよ」
そそくさと立ち去ろうとする炭治郎に、善逸は問いかけた。彼は下を向いていて表情を窺い知ることはできなかったが、炭治郎の鼻に届く匂いには怒りの感情が少なからず混ざっている。
「我妻先輩?」
「お前は言うだけ言ったら満足なのか? 俺の気持ちはどうでも良いってわけ?」
「違う! 違います! そんなことはない!」
「じゃあ、ちゃんと俺の話も聞けよ。……俺だって、お前のことが好きなんだから」
善逸からの思いもよらぬ告白に、開いた口が塞がらない。
「だからその……これからも、よろしくな」
「は、はい!」
門出の季節、彼ら二人にも新たな門出がやってくる。それは、とてもとても幸福なものだった。
