ユア・インフルエンス(コーイク)

 一面真っ黒で何も感じない、果てがあるのかないのか、自分が存在しているのかそれとも意識だけしかここにはないのか、何一つわからない漆黒の空間にコーキスはいる。少なくとも、コーキス自身は謎の空間に囚われていると本能的に感じていた。
 目に何も映らず、気配のひとつも感じない。自分自身の気配すらも希薄を通り越しそうなほどだ。そして身体は鉛のように重く、どこまでも果てなく沈み込んでいくかのような感覚がコーキスを包んでいた。
(あれ?俺、どうしたんだっけ……)
 抱いた疑問も身体と同じく沈み込み、いつしか考え頭を働かせることすら億劫になっていく。
(あ……れ……?俺……)
 自身の身に起きたことすら混濁した意識の奥へと、深く深く沈んでコーキスはただただ何を見ることもなく何を感じることもなく、ついに意識さえも手放そうとしたその時だった。
『……ス、聞こえ……か!……コーキス!』
(声……?呼んでる……誰だ……?)
 途切れ途切れだが、確かにコーキスを呼ぶ声が彼の耳へと届く。呼ばれていることは分かる、しかし声の主がわからない。……きっと大切な人だったはずなのに、声の主の名前も顔も混濁して沈んだ意識から引き出すことが叶わなかった。
「だれ……?」
『コーキス!俺だよ、イクスだ』
「イクス……?」
『ああ、そうだよ。コーキス、早く意識をこっちへ』
 イクス、その名前にコーキスは覚えがある。懐かしさと愛しさと恋しさと切実さと……多くの感情の奔流が一度は沈み込んだ意識を再び押し上げた。
「マスター!」
 返ってきた意識を掴み取り、コーキスは力の限り声をあげながらイクスの意識のする方へと手を伸ばす。手を伸ばした先から光が広がり、コーキスはその柔らかな光に包まれた。

「うわっ!」
 コーキスは驚きの声を発し、がばりと勢いよくその身体を起こす。あたりは一面結晶に覆い尽くされ代わり映えしない場所だったが、ここはコーキスの知る場所だった。
「やっと戻ってきたな、コーキス」
 そう言って笑うイクスの姿に、コーキスは心底ホッとする。そう、ここはイクスとコーキスの心が繋がる場所……心の世界だ。
「マスター、俺はどうなって……?」
「魔眼の力の影響を受けたんだろう、強すぎる力は毒になるからな……お前はもう少しで消えてしまうところだったんだ。こんなことになるとは思いもしなかったよ……」
 イクスはコーキスの問いかけに、申し訳なさそうに視線を落とした。
「ごめんな、コーキス」
「やめてくれよマスター。俺はあのとき魔眼を使ったこと、後悔してない。それより、助けてくれてありがとな」
「……うん」
 表情を変えることなく、しかし落とした視線をコーキスの方へ向けたイクスが、歯切れの悪い返答をする。コーキスに危険なことをさせている、させてしまったという後ろめたさがイクスからありありと見てとれてコーキスは思わず吹き出してしまう。
「大丈夫だって!ほんとマスターは心配性だな!」
 努めて明るく言ってコーキスは、イクスの感じる後ろめたさを吹き飛ばしてしまおうとでもするかのように大笑いをした。しかし、その行動はイクスをなぐさめはすれど、逆に心配を増長させることになる。
「……俺が言うのもおかしいかもしれないけど、無理はするなよ?コーキス」
 イクスは増長し膨れ上がった心配を隠すことなく言葉にして、優しくコーキスの頭をひと撫でしてから「な?」と念を押した。
「……ん」
 肯定の意を示すように短い声を発したコーキスは、名残惜しそうに離れてしまったイクスの手を見つめている。口を開こうとしては口を固く結び、繰り返されるその様子はまるで酸素を求める金魚のようだった。何度かその動作を繰り返した後、コーキスは意を決した様子で息を大きくひとつ吸い込んで視線をイクスの顔の方へと向ける。
「なあ、マスター」
 コーキスの呼び声にイクスは、きょとんとした様子と疑問の色がはっきり浮かぶ視線を向けつつ首を傾げた。その次の瞬間、少しオーバーに思えるほど盛大な動きでコーキスがイクスを抱き締め、イクスは状況に理解が追いつかずされるがままにその目を白黒させることしか出来ない。
「コーキス?」
「ちょっとだけ……もうちょっとだけ、このまま……」
 コーキスはイクスの背に回した腕に力を込め、イクスの肩口にゆっくりと顔を埋めた。イクスも同様にコーキスの背に回した腕に力を込めると、とんとんと子供をあやすように手を動かす。ゆっくり、しかししっかりと同じ感覚で刻まれる優しい振動にコーキスは静かにその瞼を閉じた。

——どれだけの時間が経ったのだろうか
 イクスの肩口に顔を埋めたままでいたコーキスが、ゆっくりと顔を上げイクスの背に回していたうでに込めた力を緩める。
「もういいのか?」
 イクスの問いに力強くうなずいてから、あどけない笑顔を浮かべたコーキスは背筋を正した。その様子を見てイクスは柔らかな笑みを返して、コーキスの背に回していた腕をそっと解く。
「マスター、俺頑張ってくる」
「ああ、何かあったらいつでも声をかけてくれよ」
 コーキスがもう一度力強くうなずきイクスの言葉に返事をすると、世界が眩くしらんで二人の時間の終わりを告げる。充電は出来た、あとは走り出すだけだ。
「行ってきます、マスター!」