教室は喧騒に包まれていた。それもそのはずで、今の時間は放課後しかも学生の本分たる勉学の権化、定期テストの終了を告げるチャイムが鳴ったばかりだ。
「ふぅ……」
イクスはテストの終了に安堵の息をひとつ落とすと、帰り支度を整えながら歓喜にも近い喧騒を冷静に見守っていた。
(そろそろコーキスが来る頃かな)
コーキスはとてもイクスに懐きそして慕っている、イクスの後輩だ。彼は部活などがないときには授業が終わると、イクスのクラスへやって来て他愛のない話で盛り上がってから周りが静かになる頃、二人で帰宅の途に着くと言うのがすっかりお決まりになっていた。
帰り支度も整いすっかり手持ち無沙汰になってしまったイクスはぼんやりと廊下側にある自分の席から教室の外側に視線を向けては、特徴的な毛先に向かい白くなっていく髪の毛と眼帯をつけた彼の姿を探す。そうしている間にクラスメイトたちは一人また一人と教室から去っていくクラスメイトたちの姿を見送り、向けられる挨拶を返しながらイクスはコーキスを待っていた。
やがて教室の中にいる人の数もまばらになり、廊下にも少しずつ静けさが戻り始めた頃、遠目に見ても軽やかな身のこなしで生徒たちの間をすり抜ける人影がイクスの目に止まる。あっという間に教室の窓越しに目の前までやってきた人影の正体は、待ち人であるコーキスその人だった。
「すみません……今日、日直で……」
「お疲れ様」
心底申し訳なさそうに頭を下げながらイクスの元へやって来たコーキスは、息が上がり言葉も途切れがちだ。彼のそんな様子にイクスは一言だけ言葉を返すと軽く腰を浮かせて腕を伸ばすと、労うかのように肩をぽんぽんと叩いて笑顔を向ける。
向けられた笑顔にコーキスはがらりと表情を変えて嬉しそうに笑い返すと、小走りで教室の中へ入ると主が帰ってしまっただろうイクスの前の席に鞄を置いてから背もたれを抱えて椅子にまたがるように座った。もちろんコーキスはまっすぐイクスの方を向いている、いつもの風景だ。
「どうだったですか?テスト」
「うーん……どうかな。やれることはやれたと思うけど」
「これはハイスコアフラグですね!」
「そうかな?心配なところをあげたらキリがないよ……」
「大丈夫ですって!そう言ってるときほど点数高いんですから!」
まるで自分のことのように胸を張るコーキスに、イクスは思わず吹き出してしまう。
「なんで笑うんですか!」
「悪い悪い。そこまで言ってもらえたら百人力だな」
頬を膨らませて見せてから苦情を言うコーキスにイクスが笑いを噛み殺しながら返した言葉は、彼の表情をまた誇らしげなものに変え、もちろん!と発した言葉とともにコーキスはやはり胸を張って見せた。
そんな二人以外は生徒たちの往来もすっかりまばらとなって、教室には鮮やかなオレンジ色の光が差し込む。夕暮れ時、下校の時間が迫っていた。
「コーキス、そろそろ帰ろうか」
「はい」
イクスは外から差し込む夕日にコーキスを促して帰り支度をしておいた鞄に手を伸ばすと、すっくと席を立ち机の横で止まる。一方のコーキスは名残惜しそうに視線を落として、重い腰を挙げられずにいた。
そんなコーキスの姿をイクスは愛おしそうに目を細めながら見つめふわりとした髪の毛に手を伸ばすと、くしゃりと撫でてから笑いかける。
「もう二度と会えないって訳じゃないんだから、な?また話をしよう」
夕日を背にして笑うイクスの姿は、コーキスには儚くもそれでいて綺麗なものに見えた。
「はい、また遊びに来ます」
「今度は俺もコーキスところに行くよ」
「是非!」
イクスの言葉にきらきらと輝くような笑顔を浮かべながらコーキスはやっと、腰を下ろしていた席から立ち上がり鞄を手にすると先程までの様子はどこ吹く風という様子で足取り軽やかにイクスの前を歩き出す。
「早く早く、行きますよ!」
すっかり調子の戻ったコーキスはどんどんイクスの前を歩いて廊下に出て振り返ると足取りと同じく、跳ねるように言葉を発してイクスを手招いた。イクスはコーキスの様子に困ったような笑顔を浮かべながら、小走りで彼に続く。自由な彼に振り回されるのにもすっかり慣れっこになっていて、寧ろそんな風に自然体で振る舞える彼を羨んでいるほどだったが、だからこそイクスの目にはコーキスの姿は輝いて見えていた。
廊下へと出てみると、下校時刻の近さを物語る人の少なさだ。定期テスト終わりなのでまばらではあるが、部活動をしている生徒たちも少しはいるようでその活動しているあたりはまだまだ人の気配も声もする。しかし、イクスとコーキスのいるところには取り立ててそういったものはなかった。文化部の中でもしかしたら、活動している生徒がいるかもしれなかったがいたにしてもそれはとんでもなく静かに無言で活動しているに違いないほどの静けさだ。
校舎に入り込む夕日と、漂う静寂をまるで切り払うかのようにずんずんとコーキスは歩を進め、イクスもそれに倣って進む。
やがて、下駄箱へとたどり着いた二人は他愛のない話に興じながら靴を履き替えると、校庭そして校門をくぐりさっきまでいた校舎を背にしてさらに二人は通学路を家に向かい歩いていく。
決して静かとは言わないがそれは別の場所から反響してくる音で、周り近くには主立って人影もなかった。ふいにコーキスのそれまで軽快に開かれていた口が閉じられ、歩く足にも軽やかさがなくなる。しかしそれは重くなったと言うものではなく、真剣な面持ちを浮かべる彼に相応しい足取りだった。
「どうした?コーキス」
コーキスの変化にイクスが気付かないはずもなく、当然のことながら変化の理由を尋ねる。
「あの……いや、やっぱりいいです……!」
ほんの少し手を動かし何かをしようとしたコーキスだったが、イクスに真っ直ぐ見つめられてたまらず視線を逸らしながら、露骨にはぐらかす言葉を述べた。
「そう?」
「……はい」
「でも、何かしたかったんじゃないか?」
「えっと……あの、手を……繋ぎたいなって」
夕日のオレンジに照らされてコーキスの顔はオレンジに染まっていたが、それでもなおはっきり見えるほど頬は赤く染め上がっている。
「いいよ」
「でも、恥ずかしくないですか?」
「誰も見てないから、大丈夫だよ」
肯定するイクスを心底心配な様子で見つめるコーキスだったが、イクスはその言葉にふわりと笑い返してから手を差し出した。コーキスは最初は差し出された手をとることを躊躇している様子だったが、照れくさそうにしかし嬉しそうにはにかんでからイクスの手をとるとまた軽やかな足取りに戻ってぐいぐいとイクスの手を引きながら歩く。
「コーキス、あんまり引っ張ると痛いよ」
「あっ、すみません!」
「あんまり早く歩くと手を繋ぐ時間が短くなるんじゃないか?」
「それはダメです!ゆっくり歩きます!」
あまりのコーキスの慌てぶりにイクスは、小さく笑いながらも手を引かれて歩いている。
手をつないだ二人は夕日に照らされ、足元から長い影が繋がって伸びていた。
