あたたかい〝おめでとう〟

〝おめでとう〟という言葉を言われたことはあっただろうか。

少なくとも八雲にとって誕生日を祝福する言葉は他人事であり、子供の享受する一般的なものは基本的に縁遠いものだった。
実家は大分変わった風習を持ったまま現在に存在しているため、一般常識という枠からは逸脱してしまっている。
幼い頃は疑問を感じた日もあったがそれは麻痺して久しいものだ。疑問を呈したところで、神来社家から返ってくる答えは決まっている。
それはお前に必要ではない。
だから思考を止めて鍵をかけた。求めても何も変わらないということはあまりにも悲しく、子供の彼には耐えられないものだったのだ。
そんな八雲にとって〝おめでとう〟と言葉を投げかけられるようなことは、想定できようはずもないことだった。
それなのに。
高校の頃からの親友は、律儀に毎年メッセージをよこしてくれる。
『誕生日おめでとう』
それだけが綴られたシンプルなメッセージだ。けれど欠かすことなく八雲の元にその言葉は届く。
例えその日に顔を合わせるのだとしても、必ずそれよりも先に祝福の言葉を生まれた日の祝い言葉を伝えてくれるのだ。
そんな風に自分に対して言葉を向けてくれる人が存在するだなんて、思いもしなかった。
しかもそんな相手は親友のみではない。
仕事をきっかけとして関わりが始まった友人もまた、彼は海の向こうに住んでいるにもかかわらず祝福のメッセージを送ってくれる。
たった一人だった存在が、さらに増えた。八雲が生まれた日を祝福してくれる人間は確かに存在していて、彼の存在を彼自身を大切に思ってくれる人は確かにいる。
誕生日を迎え、八雲はその大切さを噛み締めた。こんなことが起こるとは想像したこともなかったが、それもまた悪くない。

自分自身に向けられる他人事ではない〝おめでとう〟はとても暖かいものだった。