甘くもない冷たくもないハナシ

寒さの底が見えるこの季節、世の中が色めき浮き立つようなイベントがある。
バレンタインデーというやつだ。
国によってそれぞれではあるが、こと日本におけるバレンタインの意味合いというと専ら、告白イベントや愛を語り贈り物をするイベントというような認識をされている。
当然、感謝の気持ちを伝えたり友人や自分自身へ贈るといったところもありはするのだが、企業戦略的な側面も相俟って先に挙げたような扱いのイベントとされることが圧倒的だ。
大多数の人間からすると、誰かから贈られる愛情のこもった贈り物というのは喜ばしいものとして分類される。
それもバレンタインにかこつけた愛の贈り物は、相手が想い人であれば天にも舞い上がるような喜びを伴い、そうでなくても明確にマイナスな感情さえ持っていなければ悪い気はしないものだ。そう、大抵の場合は。
だが、その大多数には当てはまらない人間というものも確かに存在する。
左雨行孝もその当てはまらない人間の一人だ。
その彼はあからさまに面倒くさそうな表情を浮かべ、すっかり浮き足だった世の人間たちを見つめる。
どうしてそんなものを楽しいと思えるのだろうか、そんな表情はどこか他人を見下しているふうでもあった。
あまりにも冷ややかな視線は、不特定多数の人間たちに等しく注がれており、その様子を徹頭徹尾理解できないと訴えかけているようでもある。
だがその視線をいくら向けたところで、何かが変わるというわけではもちろんない。
相変わらず視界に映る人々は浮き足立ち、色めき立っていていつも以上の落ち着きのなさがあるばかりだ。
学校という場所の性質上、どうしたところでそういったイベントごとには敏感に反応する人間が大半である。
行孝はどうにもそういう所謂〝学生らしい〟行動というものが苦手だった。面倒というべきか、億劫といういうべきか、そもそもが必要最低限の関わり以外は排除したい人間である以上、この手の誰かとの関わりを必要とするものには興味がない。
興味を持とうとしていない、興味を持たないようにしている、というところが正しいところではあるのだが本人は頑としてそれを認めるつもりはなかった。
自分は他人に興味がない、あってたまるかというのが行孝本人が常に思っているところだ。
自分自身に、それを言い聞かせ続けている。行動そのものが半ば自罰的ものであったが、行孝は行動の根源が傲慢でもあるかのように振る舞っていた。
それは無意識的な行動ではあるが、間違いなく自分自身に対して他人に興味を持たないように律して、必要最低限でしか他人と関わらないと強く誓っている。
そういったところもあって、基本的には他人と関わらないつもりでいる行孝だが、それでも物好きな人間というものは存在する。
「なぁ、左雨」
このクラスメイトもまたそういった類の人間の一人だった。
「……なに」
無視して仕舞えばいいものを、そう出来ないところは行孝の性分である。
「お前、チョコとか興味……」
「ないけど」
食い気味に返された言葉にクラスメイトは面食らった様子だったが、すぐにその表情を苦笑いへと変える。
「だと思った」
「だったら聞かないでよ」
「悪かったって」
何てことない顔で笑うクラスメイトに対して、不服この上ない表情を浮かべてから視線を外してまた外を見た。
何度見直したところで、浮き足だった人々の様子が変わるはずもないのだが。
行孝としてはつまらない風景が広がるばかりだ。
「けど実際さ、大体の奴らはチョコだなんだって話してるだろ?」
「迷惑な話だけどね」
「そう言うなって」
苦笑いを浮かべるクラスメイトに対して、行孝の方はあからさまに面倒だという表情をこれみよがしに浮かべていた。
「で、何なの?」
「左雨はチョコ渡されたりするわけ?」
その問いかけは行孝の表情を、さらに歪める。もちろん驚きや照れなどではない。
嫌悪、そして不快の表情だ。
「……あるのか」
行孝は答えない。その無言こそが肯定の証と言えた。
「マジかぁ……」
クラスメイトの愕然とした声だけがその場に響く。さすがに行孝の無言が肯定であることを理解できたらしい。
「何?」
一際不機嫌さを表しながら、行孝はじろりとクラスメイトへ刺すような冷たい視線を向ける。
「オレ、もらったことないからさ……羨ましいなって」
「物好きだね、あんな面倒なだけのものを欲しがるなんて」
「……そんなふうに思える奴なかなかいねぇって。少なくとも、オレの知ってる奴では左雨くらいなもんだよ」
「ふぅん。みんな、頭が残念なんだね」
「お前が変わり者なんだよ」
がっくりと肩を落とすクラスメイトの姿を一瞥し、行孝は「……変わり者上等だよ」と吐き捨てるように呟いた。

行孝がどう思い、どう考えていようとも今日、バレンタインデーという日は状況を加速させるばかりだ。
放課後ともなれば、状況はさらに大きく加速する。
勉学、学びという体裁上の縛りも失われ、浮き足だったブレーキをなくした生徒たちは己の目当てに向かい一直線に駆けていくのだ。
奥手な生徒も、積極的な生徒も、その大半の目指すものは同じである。
行孝の口からは過度に大きなため息がこぼれ落ちた。
「あの……左雨くん」
背後からかけられる声に対して、行孝は反射的に振り返る。じろりと威嚇するような視線を向けた先には良くも悪くも目立ちそうにない女子生徒の姿があった。
「……誰?」
行孝は怪訝そうに問いかける。女子生徒はわかりやすく表情を曇らせたが、それでもここから逃げ出すことはしない。
「私目立たないし、あんまり話したこともないから忘れちゃったかな……同じクラスなんだけど」
「ふぅん、そうだっけ?」
さらに重ねられる残酷な物言いは、女子生徒の瞳に薄らと涙を浮かべさせる。誰が見ようとも十中八九、行孝に非があることを指摘する状況であり、実際それは何ら間違いではない。
そんなあまりにも居た堪れない空気の中、女子生徒は再び口を開く。
「あの……チョコレートを……」
「いらない」
言葉を伝え切る前に、行孝は切り捨てるようにすっぱりと言った。やはり残酷で、非情なその短い言葉はただ女子生徒に絶望を叩きつける。
「もらってくれるだけでも……」
「だからいらないよ。興味のないものをもらっても仕方ないでしょ?」
喰らいつけば喰らい付いた分だけ女子生徒にとっては傷になるばかりなのだが、それでも彼女としてはただ必死だ。
ただ行孝にあまりにも取り付く島がないというだけなのだが、ありもしない一縷の望みを信じることしか今の彼女にはできない。
「お願いだから」
すがるような、それでいて消え入るような彼女の声は行孝の冷たい笑い声にかき消される。
「いらない」
はっきりとした拒絶の言葉。
女子生徒の心を完全に折り、砕く言葉だったが彼女はそこで最後の足掻きを始める。
「用意してきたんだから、もらって!」
そう言った彼女は行孝に半ば強引に手に持ったチョコを押し付けると、そのまま顔を見ることもなく足を動かし始めた。
遠慮の全くない舌打ちの音が響く。続いてがたんと何かが当たる音。
何が起こったのかと女子生徒が立ち止まり、恐る恐る振り返ってみると。そこにはもう行孝の姿はない。
何となし気になった彼女が、足を先ほどまで行孝のいたところまで向けてみると、すぐ近くの教室に彼の姿があった。
「えっと……左雨、くん?」
声をかけてみると、行孝はあからさまに不快そうに表情を歪めてから踵を返す。
答えも何もないままに教室を出て、そのまま行孝は廊下を歩き始めた。
女子生徒が引き止めようといくら声を発したところで、ぴくりとすら反応を示さずに当然ながら振り返るようなこともなく、立ち去っていく。
そして教室には女子生徒が一人残された。
先ほどまで行孝の立っていた場所へと、ゆっくりと近づいていく。
目の前にはクラスにひとつあてがわれている大きなゴミ箱がひとつ、その存在を主張していた。
──まさか。
そんなことを感じながら女子生徒は、ゴミ箱の中へと視線を向ける。
そこには、一番最悪の想像の通りの光景が広がっていた。
彼女が昨日の晩に必死に準備をしたチョコレートが包装紙すら剥がされることなく、力任せに突っ込まれている。
あまりの仕打ちに涙すら出てこない。
女子生徒はただ茫然としていた。

「……それ、本当ですか?」
退屈な昼下がり、休憩の時間に一瞬の絶句の後に言葉を紡いだのは和真だ。
「嘘言ってどうすんの」
「まぁ、それは……そうなんですけど」
わかりやすく困惑の色を滲ませる和真に反して、行孝は普段と変わらぬ様子で不機嫌に吐き捨てた。
街はいつぞやと同じくチョコレートと共に想いを伝えるイベントに色めきたっている。
学生の頃から変わることなく、行孝はうんざりとした様子でため息を落とした。
「どうしてこんな面倒なイベント、続いているんだろうね」
「大半の人には面倒じゃないからじゃないですか?」
「……馬鹿じゃないの?」
「左雨さんからしたら、そうでしょうね」
うんざりとした様子の行孝に、和真は苦笑を向けて言葉を紡ぐ。
だが彼とて、行孝の本心は理解できていまい。それどころか行孝本人ですら、明確には理解できていないのだ。
誰かの気持ちを受け取ってしまうことそのものを、行孝自身が無意識下で忌避し拒絶している。それが彼の、彼自身も知らない行動の理由だ。
学生の頃から、それどころかもっと子供の頃から。
自身は何かを傷つけてしまう。それならば自分という存在は誰かを受け入れたり、これまで通りに生きていてはいけないのだろうと思った幼い日から。
孤独を己に強いることで、誰かからの想いを気持ちを拒絶することで、誰かの悲しみを不器用にもなくそうとしたというのは、また別の話。
何にせよ、花が咲くとは言い難い昔話を口にして、行孝は無気力な表情で目の前の和真が出してきた飲み物に視線を落とす。
そこにはお茶請けとして小さなチョコレートが添えられていた。