巡り会いし運命の人

 アルファは運命のオメガを求め、オメガもまた運命のアルファを求める。

 男性女性という性とはまた異なる、第二の性というものを人間が持つようになってから世界には長い長い時間が流れた。

 すっかり受け入れられた第二の性は、時には運命を、時には悲劇を導く。

 だがアルファは権力という名の元に欲の渦の中心に据えられ、多くを惹きつけ求められた。またオメガも文字通りの欲望の渦に引き摺り込まれ、多くを無意識のうちに魅了し求められてきたのだ。

 だがそんな彼らは引き寄せ合う。どんな形であれ、運命は人間を等しく逃さないものだからだ。

 とある高校の入学式。

 桜の花が咲く校庭は目に鮮やかに映る。新しい門出を祝う花を背景にして、新たな出会いに心を躍らせる生徒たちは胸に祝いの花をつけて浮き足立っていた。

 中性的な容姿を持ち、柔らかなウェーブのかかった淡い金色の髪が目を引く人物、新橋ミオは一人ゆっくりと廊下を歩く。

 中学よりもさらに多い人の数に、いわゆる人酔いを起こしてしまった彼の足取りは覚束ない。同じ高校に進んだ友人がいないわけではなかったが、残念なことにこの場には誰もいなかった。

 浮き足立った新入生たちは、一年間を送ることになるクラスを確認して足早に教室へと向かってしまっていたからだ。

 ミオは自身の体力のなさを恨みながら同時に己がオメガであるが故の発情期の到来でないことにだけは安堵しつつ、ゆっくりと歩く。だが、体調は良くなるところか悪くなる一方で、ついには彼の視界がぐにゃりと歪んだ。

 ──あ、だめかも。

 そうミオが思った時には、すでに遅い。動かしていた足が絡まりその場に彼は崩れ落ちていく。目に映る景色がやたらとゆっくりに見えたが、身体を動かすこともろくにできず受け身を取ることすらままならない。

 床にぶつかる、ミオは覚悟とともに目を瞑る。

 しかしいつまで経っても覚悟した大きな衝撃はなく、代わりに腕が後ろに引かれそのままミオは尻餅をついた。背後からは誰かの気配がする。

「いたた……キミ、大丈夫?」

 その声にミオは恐る恐る瞑っていた目を開いて、声の主の方を振り返った。

 そこにはミオ同様の金色の髪を持つ顔立ちの整った生徒がいる。胸には祝いの花が、ミオと同じく飾られていて同じ学年らしいことが見てとれた。そんな彼はミオと一緒に尻餅をついているばかりか、すっかり下敷きになっている有様だ。

 状況の認識が追いついてくるなりミオは慌てて立ち上がる。しかし、先ほどまでではないにせよまだ不調は続いているようで、立ち上がるなりぐらりと身体を大きく揺らした。

 先ほどまでミオが下敷きにしてしまっていた彼が弾かれたように立ち上がって、揺れるミオの身体を手を引いて引き止める。

「大丈夫じゃなさそうだね。保健室行く?」

「……少しじっとしてれば大丈夫だから。それよりえっと……今のも、さっきも、ありがとう」

「ううん、それはいいけど……」

 ミオは改めて、自身を助けてくれた恩人の方を見つめた。

 すると何故だろう、全身に今までにないような不思議な感覚が走る。そして本能からの啓示をミオは反射的に認識した。

 ──運命の、相手?

 出会ったばかり、名前も知らない相手に抱くようなものではない。であるにも関わらず、ミオの本能がはっきりとそう告げていた。

 ぼんやりとしているままにミオを、相手は心配そうに覗き込む。

「本当に、大丈夫?」

「え、と。うん、大丈夫」

 実際、ミオの体調は先ほどの瞬間をピークにしてかなり落ち着きを取り戻し始めていた。もうしばらく休めば、教室へ行くことは問題ないだろう。

 だが問題は時間だ。教室には早めに行くように、と時間を指定こそされなかったが案に急ぐようにという言葉は、入学式の後に告げられていた。

 それどころかこのままでは、目の前の彼すら巻き込んでしまう。

「ありがとう、もう大丈夫だから先に行って……?」

 ミオはそう言うと少し笑って見せたが、目の前の彼がこの場を離れる様子はない。少し考えるそぶりを見せてから、何かを閃いた様子で口を開いた。

「キミの名前、聞いてもいい? あと、クラスも」

「え……新橋ミオ、確かクラスは一組……」

 ミオは流されるままに問いに答えると、目の前の彼の表情が目に見えて輝く。

「オレも一組! 神楽オスカーだよ、よろしくね」

 嬉しそうに笑ってから、目の前の彼──オスカーは言葉を返した。

 驚きのあまり面食らった格好になってしまったミオは、目を白黒とさせながらオスカーを見る。オスカーはやはりにこりと笑ってから、また口を開いた。

「同じクラスなんだし、一緒に行こうよ」

「けど、そうしたら君に迷惑がかかっちゃうから」

「気にしなくていいよ、オレがそうしたいだけだからさ」

 どうやら毛ほども先に行くことを考えてはいないらしいオスカーは、相変わらずミオを支えるようにして立ちながらどこか楽しげに笑う。

 こうして二人は出会った。このあと二人して入学早々教師に苦言を呈されることにはなったが、そんなことは瑣末なこと。

 この運命の出会いの前では全てが小さな出来事だった。

 

「バースの検査どうだった?」

 教室でそんな言葉が飛び交う。

 理由は至極簡単だ。この高校に入学してから最初の、義務付けられているバース検査の結果が個人に通知される日だった。

 とはいえ、この問いかけに正直に答えるかどうかは本人次第である。理由は簡単なもので、バース検査の結果というのは個人情報に含まれるからだ。加えてアルファやオメガである場合は、それだけで何かしら問題が発生してしまう場合もあるため否応がなしに開示については慎重にならなければいけないという側面もあった。

 よって検査の結果は通知されたものを学校には正しく申告するが、それ以上のことは求められない。告知されることももちろんなければ、開示を強要されることも決してないのだ。

「な、オスカー。お前ってアルファじゃね?」

 軽はずみな男子生徒の問いに、クラスが一瞬だが確かにざわめいた。

「え? オレ、ベータだよ?」

 オスカーの返答に先ほどとは別の意味で、再びクラスがざわめく。安堵の声もあれば落胆の声もあり、驚きの声もあれば信じられないという声もあった。

 ミオはというとオスカーの自身はベータだという返答に衝撃を受ける。だとしたら、入学式の日の、本能が発してきた運命は嘘だったとでもいうのだろうか、と。

 ──運命だって、思ったのにな。

 悲しさや寂しさがはっきりとそこにはある。しかし、だからと言ってオスカーに対して抱く好感が変わるというわけでは決してなかった。

 とは言っても、今オスカーに対して何かしら言葉を発することはミオには出来ない。何を言っていいかわからなかった。

 その表情は困惑したものだったのだろう。オスカーが寄ってきて「ミオ、どうかした?」と問いかけた。

「ううん……? なんでも、ないよ」

 答えるミオの様子は明らかに狼狽したものだ。オスカーがミオの顔を覗き込む。

「本当に? 無理してない?」

 問いただすというよりは確認をするといった風だが、そこには嘘をつかせない何かが含まれているようにも思われた。

「……大丈夫、だよ」

 再び答えたミオに対して、納得は行っていない様子だったがオスカーは言及を止める。それはミオにとって安堵できるものであり、オスカーとしては少なからず不服さを覚えるものだった。

 そんな二人のやり取りに先のオスカーがアルファではないかと問いかけた男子生徒が、勢いよく割り込んでくる。

「いや、お前絶対アルファだって」

「だからベータだよって〜」

 追求しようとする男子生徒にオスカーはただただ苦笑を返すばかりだ。

 するとオスカーの困り様が伝わったらしく、周りの生徒たちが今しがたの男子生徒の追求を止めにかかり始めた。

「言いたくないのかもしれないでしょ」

「オスカーくんがベータって言うならそうだよ」

「さすがにお前、しつこい」

 もうさんざんの言われようだ。さすがの男子生徒もこれには部が悪い思い知ったのだろう。

「悪かったって、もう言わないから」

 そんな必死の釈明を口にした。ようやっと止まった言及の嵐に、男子生徒は胸をわかりやすく撫で下ろす。

 すっかりそんな騒ぎの中に埋もれてしまったオスカーとミオの会話だったが、ミオの様子は相変わらずどこか落ち込んだ様子に見えてオスカーの表情もまた曇ったものになったままだった。

 そんなてんやわんやな状況が繰り広げられた日の放課後、オスカーとミオは肩を並べて帰宅すべく道を歩く。

 入学式の日のフィクションのような出会いがきっかけとなり、友好的な人間関係を築き上げてきた二人だったが今日ばかりはどこか空気が気まずい。教室でのなんとも言えないやりとりが、尾を引いてしまっていることは明白だった。

 ミオとしては聞いてみたいのだ、オスカーが本当にベータなのかどうかということを。

 オスカーとしても知りたいのだ、教室で本当は何を考えてあんな複雑そうな表情をしていたのかを。

 だが、口を開けない。どう切り出したらいいのか、判断しあぐねているといった状態のまま無情な時間だけが流れていった。

「あのさ、ミオ?」

 その無情な時間にエンドマークを与えたのはオスカーだ。

「教室で、みんながバースの話をしてたでしょ?」

「う、うん」

「そのときに何だかびっくりしてたというか、ショックを受けてたような気がしたんだけど……」

「あ……」

 オスカーとしては蒸し返す格好になってしまうことについては申し訳なさがどうしようもなく募る。それでも、あの瞬間のミオの言葉が真実だとは思えず、何より彼がどこか苦しげな表情をして見えた。そんな表情をしていて欲しくは、オスカーとしてはなかったのだ。ただそれだけだった。

 ミオとしては教室でも、今この瞬間でも変わらない。これを答えてしまって、オスカーにベータだといっていた第二の性を改めて問いかけてしまってもいいものなのかと、悩ましく感じる。本当にベータなのであれば、それはただただくどいばかりの筋違いな問いかけでしかない。そうでなかったとしても、アルファであることを答えたいと思うものだろうか。

「答えたくないなら無理には聞かないけど……心配になっちゃって」

 苦笑するオスカーの姿にミオの胸は苦しくなる。

 ──違う、心配させたいわけでも困らせたいわけでもなくて。

 口を開こうとする度に、言葉を見つけられずに小さく息を漏らすのが精一杯だった。やはり問うには不安があまりに大きく、ミオは言葉を紡げないままだ。

「ごめんね」

 オスカーの声が響く。

「違うよ、オスカーは悪くない。僕の方こそ、ごめんね」

 やっと言葉を紡ぎ出したミオは一度視線を落とすと、前を向き直すと同時に不安を横へと避ける。オスカーは無下になんてしない、そんな思いを抱きながらもう一度口を開いた。

「……僕、勝手にオスカーがアルファなのかなって思ってて……僕はオメガで……その……運命の人、なんじゃないかとか……そんなふうに思っていたから……ベータって話してて、びっくりしちゃって」

 途切れ途切れ言葉を必死に選びながら、ミオはオスカーに問われた答えを吐露していく。

 オスカーはただ静かにミオの言葉に耳を傾けていた。

「運命……」

 ただそう呟いたオスカーの声が耳に届いて、ミオは急な羞恥心に襲われる。それでも本能はやはりオスカーから運命を感じていると主張してくることが、余計に羞恥心に拍車をかけた。

「あ、あの、忘れて……?」

 羞恥心からミオはどうしたらいいか分からず、ばたばたと手を動かして必死に忘却を望む。

 しかしオスカーはその言葉に応えることなく、真剣な面持ちで何かを思考している様子で視線を落としていた。

「……ミオも、そう感じてるの?」

 ようやっと口を開いたオスカーの言葉で、ミオは驚きに固まってしまう。

 彼は今、確かに、ミオ〝も〟と口にした。それはつまり──。

「え……オスカー、それって……」

 先程までの羞恥心はすっかり引っ込んで、今度は淡い期待がミオのことを包む。感情がひっきりなしに動いて、心臓もうるさい。これで勘違いであれば目も当てられないが、やはり期待とそこからくる緊張で鼓動は早くなるばかりだった。

「あ……えっと、オレ……本当はアルファなんだ。嘘ついててごめんね」

「う、ううん」

「オレも入学式な日に思ったんだ。ミオが運命の人なんじゃないかって……」

「あ……」

 勘違いではなかった。

 オスカーはアルファで、ミオはオメガで、二人の間には本能が啓示する運命が確かに存在したのだ。

 まるで奇跡のようで、手を伸ばせば消えてしまいそうで、けれどそれは確かに二人の手の中にある。

 自然とミオの瞳からは涙が溢れた。

「……嬉しい。すごく嬉しい」

 オスカーは涙を指で優しく拭うと、満面の笑顔を浮かべる。

「オレも嬉しい」

 お互いに笑顔を向けあって、この奇跡を、この幸福を、噛みしめあった。

 しばらく二人は言葉はなくとも幸福に満たされた時間を享受する。こんなにも幸せだと思ったのは、人生で初めてかもしれない。そう思えるほど、二人はあたたかな幸福にひたった。

「ねぇ、ミオ」

 どれほど時間が経ってからだったか、オスカーは口を開く。ミオはオスカーの声に視線を向け、次の言葉を待った。

「今は学生だし、すぐには無理だけど……大人になったらオレと番になってくれる?」

 ミオはぱちりと大きく瞬きを一度してから、しっかりと頷いてみせる。

「……うん。よろしくお願いします」

「あとね」

 幸せに一度は破顔したミオだが、オスカーの声に首を傾げた。

「ミオが嫌じゃなければ、キミに首輪を贈らせて欲しいんだ。今の約束の証、みたいな」

 再びミオは大きく瞬きをして、やはり破顔する。

「嬉しい」

 ありがとうという言葉を包んで隠してしまうかのように、オスカーがミオを抱きしめた。

 ふわりと柔らかく、それでも絶対離さないという決意のこもったそれは、二人の体温を伝え合い混ざり合わせて次の幸せを伝える。

 まるでこの時間は永遠とでも言わんばかりではあったが、ずっと抱きしめあったままいるわけにもいかない。

 名残惜しそうにお互いの身体を離しながら、もう一度笑いあった。

「帰ろ?」

「うん」

 二人はまた肩を並べて歩き出す。

 そこに先程までの気まずさはどこにもなかった。

 心が近づき、伴って隣に立つ距離も近づき、公言こそせずとも二人はクラスにおける周知の仲になっていった。

 穏やかに日々を過ごし、時間は流れ積み重なっていく。

 互いの運命を受け入れあってから少し経った頃、オスカーとミオはいつものように二人肩を並べて帰り道を歩いていた。

「ミオ、あのね」

 オスカーの声に「どうしたの?」とミオは応じる。

「今日この後、オレの家に寄っていく時間ある?」

「うん、大丈夫。だけど、どうしたの?」

 珍しいオスカーの誘いに、ミオは小さく首を傾げて見せた。

「来てからのお楽しみ」

 そう言って笑うばかりのオスカーに、やはりミオは首を傾げる。楽しげなオスカーの様子からはきっといい事が待っているように思われ、何が待っているのだろうというほのかな期待がミオの中に咲いた。

 ややもせぬうちにたどり着いたしっかりとした佇まいの家の横を抜け、勝手口の方へ回り込んだオスカーはミオを手招きする。

 招かれるがままに家の中へと入ったミオの手を引いて、オスカーは自室に彼を誘った。

「お、お邪魔します」

 慌てて挨拶の声を発しながら、ミオへオスカーの自室へと足を踏み入れる。

 物が多すぎることもなければ、殺風景という訳でもないその部屋は、整頓されたすっきりとした部屋だった。

「そのへん適当に座って大丈夫だよ」

 小さめなテーブルの前には床に座布団が置かれていて、ミオは言われるがままにそこに腰を下ろす。

 オスカーは普段使っているのだろう机の上から綺麗に包装された箱をひとつ持ち上げると、ミオに差し出した。

「これ、この前に話してたやつ」

 ミオは何のことかが分からずに、またしても首を傾げる。

「開けてもいい?」

「うん」

 何が出てくるのだろう、期待と疑問に胸を膨らませながらミオは渡された箱を開いた。

 そこには真っ白の首輪が収められており、その白さは周りを明るく見せているのではないかという程にミオの目には映る。

 この前に話していた、という言葉にミオはようやく合点が行った。

『キミに首輪を贈らせて欲しいんだ』

 そうオスカーははっきりと言っていたし、その後にもどんな首輪がいいだろうという話は幾らかしていたのだ。

 それにしてもまさかこんなすぐに贈ってくれるだなんて考えてもいなかったミオは、驚きに目を丸くせずにはいられない。

「どう、かな?」

 オスカーは恐る恐るそう尋ねて、ミオに視線を向ける。

「ありがとう、話してた通りで……すごく嬉しい」

 花の咲いたような笑顔に、ほんの少し喜びの涙を滲ませながらミオは言葉を紡いだ。

 そして一度は腰を下ろしていたその場に立ち上がり、オスカーにそっとと身を寄せる。

「よかった、喜んでもらえて」

 寄せられたミオの身体を抱きしめつつオスカーは安堵の声とともに微笑んだ。

 

 この運命は、幸せの運命。

 どんなに輪廻がめぐろうと、離れない運命だ。