祝詞は神への言葉だ。
その中における祓詞(はらえことば)は罪や穢れなどの不浄を取り除くために神に捧げる言葉であり、その奏上は力ある者によればより強く作用する。
そのことは人の理とは少し離れたものに触れる仕事をする者たちには、そのことは純然たる事実として認識をされ場合によっては必要とされてきた。
行孝にしても、八雲にしても、そのことを知らないわけではない。そうではなかった。
だが、現状に片や不快感を滲ませ片やすっかり辟易してしまっている。
それもそのはずで、彼らの認識では互いは陰と陽を象徴する存在と定義されてしまっており──もちろん彼らが望んだことではない──二人で祓詞を奏上しなければならない、そんな状況だったからだ。しかも完遂出来ぬ場合その身どころか世界に危機が迫るというのだから、始末に負えない。
八雲は大きなため息を落とした。
行孝もまた劣らぬ大きなため息を落とす。
「やるしかないです」
「わかってるよ」
相性は最悪、互いが認識するものだけでも控えめに見積もって正反対だろうその存在は、その目的を合致させた。
世界を易々と聞きに晒させる訳にはいかない。それを回避するための仕事に携わっているのだ。見過ごせるはずもないものだった。
二人は向かい合い立つと、自身の刀を握って瞼を閉じる。
──掛けまくも畏き神々よ
普段は水と油とすら評せる二人の声は、ぴたりと重なりこの場に響く。
世界がまるでこの祓詞に耳を澄ましているかのように、しんと静まり返ってほかの音は失われていた。日常を象徴する雑踏や人々の営みの音は今、ここにはひとつも存在しない。
──遠く尊き彼の地にて、禊祓え給いし時に
相変わらずぴたりと重なる祓詞が響き、静かに無音の世界を揺らす。
行孝は刀を持つ手に少し力を込め、しっかりと柄を握り直した。刀と鞘の当たる小さな音が鳴る。
だがそれだけだ。やはり静寂と、静寂の上を滑っていく二人の祓詞だけかここにある。
──生り坐せる祓戸の大神等、諸々の禍事、罪、穢、有らむをば
静寂は清浄さを増し、言の葉が場を清めていく。
今度は八雲が刀を握り直し鞘から白刃を抜き放ち、同時に行孝もまた刀を抜いた。
──祓え給い清め給えと、白すことを聞こし召せと、かしこみかしこみ申す
祓詞を謳うように重ね合わせながら、二人は同時に瞼を開くと先程抜きはなった刀を地面へと突き立てる。
刀が突き立てられた鈍い音と共に祓詞の全ては奏上を終え、二人の足元からは淡い光が次から次へと舞い上がった。
幻想的な光景が広がり、光は次から次へと拡散を繰り返す。
行孝と八雲はそのままの体勢を崩さず、集中を切らすこともなくその場で刀を地面へ突き立てたまま、立ち続けていた。
世界には二人の元から拡散された光で満たされていく。大多数の人間は知らないままだ、この日常が誰かの努力や、彼らの祓詞で保たれたということを。
だが知ればいいという訳でもない。
「はぁ……疲れた」
ようやっと普段の様子を取り戻した行孝が、何度も肩を回して疲労の様子を見せる。それでも彼は今日のこの出来事を誰かに知られることも、世界を救った事実に対して感謝の言葉を求めることもない。
それどころか、そんなものは不要とすら考えているのだ。
「……それなりの長丁場でしたね」
八雲は行孝の様子を見遣ると苦笑する。彼もまた表情に疲れ滲んでいたが、それでもまだ余裕を残しているように見えた。
「むかつく」
ぼそりと吐き捨てられた行孝の直球過ぎる悪態を、八雲は苦笑のまま受け止める。
彼らはどこまで行こうと平行線、どこまで行こうと対極の存在だと体現する様子とは裏腹に、二人によって世界は安寧に微睡み続けていた。
