行孝の死生観というか相手の死への向き合い方

2連ちゃんでこの手のこと考えることになってんなぁ……って思いながらですけどもね……

 

まず前提として、行孝にとって死は別に救いではないということ。自分自身が事故で生死の境をさまよった経験があるから、あれで救われるなら世の中クソだねくらいまである。

カタシロのときのテセウスの船の問いかけの際、船のあれこれを全部取り換えて同じ船と言えるかという話に変わってしまえばそれは別物と見なすところが出てきて。それはつまり、魂に対して入れ物が変わってしまえば別物なのではと感じている。
ま、だからこそ実際に身体をあげなかったというのはあるんだが。

LGOではゆずかちゃんは精霊さんに捧げられてしまったので、このままではあの精霊さんのところで苦しみ続けることになる。それは、体が朽ちてなお精神が取り残されて、あの場で苦しみ泣き続けるということでもあるし、在るべき形にはもう戻れないということ。
そうだとしたら自分の仕事の範疇でもあり、昇華させてやることがスジだと思ってる。

割と身体が残ってるかというか、骨が残るとかそういうのは正直こだわりとかなくて、この人の場合は存在が在るべき形在るべき姿(と行孝が定義するもの)におさまれるか、みたいなところがある。スジが通らないと感じたら突っぱねるし、ばかなのと切り捨てる。

あと、これは和真くんの弔いの話を読んでて思ってたけど、多分ねこの人は自分の何かがいざ死んだ時この世に残ってるのすごい嫌だから残したくないと思ってる。気持ち的には。
もしそんな日がきたら、何か残され落ちてたらいいね。という運次第な感じですわ。