荘厳で澄んだ空気が辺りを満たす。
同時に張りつめたどこか緊張した空気も確かに存在していた。
四方を緑に囲まれその真ん中にぽっかりと空いた穴の如く存在する池の中心。人の手によって作られたものでありながら、人の世の理からは外れていると感じるほど神聖な雰囲気をたたえた建造物が浮かぶように建っている。
神聖で、この世から隔絶されているかのような小さな建物は屋根こそあるが外から内部の様子を窺うことが出来た。その中心に、輝くほどに白い装束を身に纏った人の姿がある。
肩下まで伸びた髪を赤の紙紐で結い止めた幼さのまだ残る少年──篁朔太郎だった。
それは神々しさすら感じる姿であり、誰にも染まることのないような真っ白な装束は彼の姿を一際強く印象付ける。
朔太郎の姿を、舞台となっている建物から少し離れた場所から多くの人間な見守っていた。その中にはもちろん、従者である東雲衛の姿もある。
衛は朔太郎に一番近い場所──それでも池を囲んだ緑の中に身を隠さなければならなかった──であり、彼の瞳は真っ白な装束の主人の姿を捉えていた。
不用意に音を鳴らしてしまわないようにしながら、衛は息を呑んでただただ主人たる朔太郎の姿を見つめている。一瞬たりとも見逃すことのないようにしている、そんな必死さが彼にはあった。
そんな必死な衛の視線の先に立つ朔太郎は凛とした立ち姿でその場に在り、手にした弓を握り直す。反対の手に矢はない。
当然だ。これから始まるのは鳴弦の儀、またの名を弦打の儀とされる儀式である。必要なのは弓、そして儀式を行う人物のみだった。
朔太郎の瞳に感情の色は灯らない。今ここに立つのは、魔の気と邪な気を射ち祓う役目を負う存在であり、それ以上でもそれ以下でも決してなかった。
その姿は衛にかつての己の中に閉じこもり他を拒絶していた朔太郎を思わせ、向ける視線には自然と不安の色が滲む。大丈夫だと頭では分かっていて、どうしても不安が顔を覗かせてしまうのだ。
不安を払拭するために不安の対象を見つめるという、なんとも矛盾この上ないことを行いながら衛は儀式を見守る。
儀式の当事者、朔太郎は一瞬不敵に笑んでから天空へと弓を向けた。
この場には押し殺された人の気配と、儀式の神聖な空気だけが満ちている。人間の世界からは切り離されてしまったかのようなこの場に、弓の音が鳴り響いた。
それこそ神聖で、この場の一切の不浄を──それどころかこの世の不浄の全てを消し去れそうな清められたものに感じられる。儀式の荘厳さに相応しい矢のなき弓の一矢だった。
清め、鎮められた沈黙の中で見守っていた多くの人々が動き出す。
それは儀式の終わりを確かに告げていた。
朔太郎はふらりふらりと、まるで亡霊のように弓を手にしたまま歩く。その足取りはそれまでの張り詰めた儀式の中とは全く違う、今にも消えそうな灯火のようですらあった。
衛は慌てて待機していた場所から駆け出して朔太郎の元へ向かうと、彼のふらつく身体を受け止めながら弓を握る。その感覚は朔太郎の気を楽にさせたのか、弓から手を離して衛に向けて小さく微笑んだ。
「朔太郎さん、お疲れ様です」
「ありがとうございます」
一矢のための集中力がいかに大きく凄まじいものなのか、朔太郎の疲弊した様子がそれを物語る。
それでも、儀式の時とは違った普段と変わらない笑みを見せる朔太郎に衛はほっと胸を撫で下ろさずにはいられなかった。
──ここにいてくれて、よかった。
