一人の気持ち、二人の思い(tnzn)

――ああ、何時ぶりだろう。こんな暗くて寒くて、五月蝿いのは。
 
 その日、我妻善逸は一人、任務に出ていた。鬼の出たという集落は、驚くほどになんの変哲もないありふれた場所で、善逸は拍子抜けしてしまったほどだ。
 しかし、よくよく耳を澄ませてみれば息を潜める恐怖の音が巣食っていた。そして気づいてしまったのだ、恐怖を一手に引き受けるその頂点に。
 間違いない、それこそが善逸がこの集落へと遣わされた理由である。しかし彼の足は恐怖で竦んでしまっていた。そして、恐怖を集めるそれがどういう存在なのか、それは漠然としたきっとそいつが鬼なのだという、その程度のことしか分からないままに、行動したくはない。
 当然のように怖くてたまらないのだが、あまりにも何もわからないこの状況は、さらに善逸の足を竦ませた。そして遂に夜が訪れる。
 だが、何も起こらなかった。静寂に包まれた集落は、寝静まっているというよりは何事もないように息を潜め続けている、といった様子だ。
 善逸は耳を澄ませて様子を窺っていたが、異様なまでに何も起きずに彼は一人きり、集落の外れにあるすっかり廃れ切った木小屋に身を隠している。隣では鎹雀のチュン太郎が呆れた様子で羽を繕っていた。
 あまりの恐怖と異様さから今日は様子見を決め込んでいる善逸だが、それでもなけなしの情報でも何かを掴み取ろうと、その鋭敏な聴覚だけは全力で働かせている。そんな彼の人並み外れた聴力を持ってしても、せいぜい集落の奥にある高台の方から、鬼らしき音――何故かくぐもっていて、はっきりとは聴こえないのだ――がかろうじて聴こえてくる程度だ。
 どうしてもそれ以上のことが何も分からず、小屋の隅で善逸は途方にくれる。あまりにも分からない状況はやはり、彼にとって恐怖を募らせていくばかりでこのままではただの悪循環に陥るばかりだった。
 たまらず大きな溜息をひとつ吐くと、善逸はがっくりと肩を落とす。この状況が変わることはないままに、気がつけば時間は過ぎ去り朝日が顔を覗かせていた。
(ああ、もう朝か……もう鬼は出ないだろうし、いったん少しだけ寝よう……)
 うつらうつらとその場で善逸は、睡魔によってその意識を手離す。彼は日輪刀をだきしめ、小屋の一角で座ったまま身を固くしていた。

 声がする、生活の音がする、人の音がする。日中、人々の生活する場所では、多くの音が鳴っていた。それが善逸の耳には余すことなく入り、騒がしくて溜まったものではない。
 寝ている間も容赦なく飛び込んでくる音は、善意も悪意もそれ以外も何ひとつ容赦が無かった。それをうまく塞いだり、なかったことにしたりはどうにもしにくく、結局入ってきたものを受け流して忘れるしか出来ない。つまりは一度はそれを理解した上で、受け流すように忘れなければならないのだが、寝てる間ではそれも難しいものだ。
 最近は、炭治郎や禰豆子、伊之助たちと一緒にいるようになってすっかり忘れていたが、多くの音が世の中には蔓延っている。その音たちは、善逸の中に入ってきては五月蝿く騒いでいくのだから、鬱陶しいことこの上ない。

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 あれはきっと、これまで見て見ぬ振りをして生きてきた代償なんだろうな……俺はいつだって臆病者で、いつだって足りないばかりだと思うんだよ。だから、だから……
 毎日を過ごす中で、いつしかすり減って華奢になってしまった感情は、俺の中で思っていた以上にすっかり痩せ細って、もしかしたらこの感情も偽物かもしれないと不安な気持ちばかりが膨らんでいく。俺、こんなだっけ?
 なぁ、俺、少しは役に立てたかな……

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 あの日、かつて生きた日々の記憶が蘇った瞬間のことは、忘れられない。善逸の脳裏にその瞬間が鮮やかに再現される。
 鬼狩りとして業も責務も背負った日々、それは苦しくも誰かのために存在出来る、とても尊い日々だった。
 そして愛しく守りたいと心から願う、想い人も在ってかつての善逸は恵まれていたのだろうと彼は思う。境遇と言うよりは環境に、周りの人に、助けられて生きていたのだと記憶をひとつ、またひとつと拾い集めながら痛感していた。
 今は今とて、この記憶が戻ったことを察知され、かつてと変わらぬ面子も多い鬼殺隊に再び身を置いている。
 
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 雪は懇々と降り駸々と積もる。こんな日は、どうしても思い出さずにはいられない。
――あの、あまりにも凄惨な光景を。
 息苦しさすら覚える。家族の死を目の当たりにした瞬間は否応がなしに炭治郎を襲い、その残像が深い悲しみと恐怖を呼び起こした。
 吐く息が震える。どこにいても落ち着きなどしなかったが、それでも何となく雪を見たくなくて部屋にひきこもって、引き戸を閉めた。

 いくらか時間の経った頃、炭治郎の鼻によく知った匂いが届く。優しくて強い、彼の大切な人の匂いだ。
「たぁんじろぉ~」
 その間の抜けた呼び声に安堵してしまうのは何故だろうか。
 炭治郎のいる部屋の引き戸をそっと開いて、顔を覗かせたのは善逸だ。
「炭治郎、どうしたんだよ? 音がいつもと違うけど、調子悪いのか?」
 尋ねる言葉と変わらず、その瞳は不安げに揺れる。
「いや、大丈夫だよ」
 頼ってはいけない、我慢をしなければ。炭治郎は、それだけを念じて応えた。そんな気持ちで言葉を紡げば、善逸にどう伝わるかなど分かりきったことだというのに、それでもそう言わずにはいられない。
 そして案の定、炭治郎の想いを音から判断した善逸は表情を曇らせた。
「……な、たんじろ?」
「なんだ?」
「俺、頼りないかもしれないけど……っていうか間違いなく頼りないと思うけどさ、たまには我慢しないで吐き出してみてもいいんじゃねぇの?」
 そう言って柔らかく微笑む善逸は、炭治郎の瞳には頼れる存在に映る。いつも頼りなげに恥をさらし、心配すら抱いてしまう彼がだ。
「……今日だけ、少し、甘えてもいいだろうか」
 炭治郎は自身の問いかけに、黙って頷いたその瞳があんまり優しくて泣いてしまった。